『バジュランギおじさんと、小さな迷子』を見た

昨年よく一緒にライブに行く友人から誕生日プレゼントとして『バジュランギおじさんと、小さな迷子』という映画のBDを頂いた。
贈ってくれた友人が激推ししていた映画で、おそらく……というか絶対面白いのは分かっていたのだが、見る機会がなかなか訪れなかった(そもそも配信がない)ので、こうして「誕生日プレゼント」として手渡され、「見ろ」とされるのは素直にありがたい。「流石に次の誕生日までには見ないとまずいな」と言う気持ちにさせられるし、普段家で映画を見ている時のようなだらけきった状態ではなく覚悟を決めて見るしかなくなるからだ。覚悟、大事ですね。インド映画だと三時間超えを覚悟するから特にね(『バジュランギおじさんと、小さな迷子』も本編159分ある)。

そんなわけで『バジュランギおじさんと、小さな迷子』の感想だが、まず最初に言いたいのは「文句なしに素晴らしい映画だった」ということだ。
『バジュランギおじさんと、小さな迷子』のあらすじを簡単にまとめるとこうだ。

幼い頃から喋ることが出来ない六歳の少女が異国の地で迷子になってしまう。迷子の少女とたまたま出会った青年は、少女を家族の元へと送り届けるために旅に出るのだが……。

シンプルな物語である。
しかしそのシンプルな物語の中に込められているのは、舞台となっているインドとパキスタンの戦争、ヒンドゥー教とイスラム教の対立と言った政治的・宗教的な問題であり、人々の心の中で育ててしまった「憎しみ」だ。
主人公であるバジュランギが本作で行っている事は「迷子の子供を母親の元へ送り届けたい」という人として当たり前の事だ。それを困難にしているのはインドとパキスタンの2つの国家、並びにヒンドゥー教とイスラム教の関係性が非常によろしくないからである(マイルドすぎる表現だけども)。
この辺りの関係性の悪さを両国の国民に染み付いた文化や習慣レベルで見せていくので、見ているこちら側も「相当に根が深い問題である」ということが否が応でも理解させられてしまう。
だからこそバジュランギの誠実さと、人として当たり前のことをしてやりたいとする「愛」が憎しみを飛び越え、インドとパキスタンを繋ぐラストシーンが胸を打つ。
あそこにいたのはインド人とパキスタン人ではない。イスラム教徒とヒンドゥー教徒でもない。
「バジュランギ」という男を無事に故郷と家族の元に帰してやりたいと願う人々である。
「愛」を持って人として大事なことを傷ついてもなおやり遂げた男が、今度は周囲の人々の「愛」によって帰路につくことが出来たこと、そしてその最後を締めくくるのが彼の旅の始まりでもある少女の声だったのは本当に良かった。エンディングテーマも染みるぜ……。

プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。