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14:46耳鼻科にて

あの日、マツリさんは3歳でした。

翌年の入園の前段階として金曜日だけのプレ親子幼稚園に1年間、私も楽しみながら通いました。
3月11日金曜日で修了。四月から幼稚園で待ってるよと先生方に笑顔で見送られ帰宅しました。

車を停めて、家に入ろうとするとイダテンさんとツヅミさんの乗った車がアパート近くに停車し、マツリさんは
『じいちゃん、ばあちゃん。』
と走り寄って行きました。
イダテンさんは目を細めて、マツリーと運転席の窓を開けて手を伸ばしました。マツリは嬉しそうにイダテンさんの親指に自分の親指をあわせました。

『これから、確定申告をしにイオンに行ってくるから。』
とツヅミさんが言いました。

『私たちは、今、幼稚園から帰って来たところ。午後からはマツリさんの耳鼻科があるんだあ。イオン、気をつけて行ってきてねー。』
『あんたらもね。』
『んだら、マツリまたなあ。』

14:30に耳鼻科の診察予約をしています
マツリさんは、アレルギー体質なため花粉症の季節は、耳鼻科に毎日のように通っていました。鼻をかむという行為がなかなかうまくできず、苦しくなってしまうため吸い取ってもらっていました。

その日も、吸い取ってもらっていると鼻の粘膜が痛んでいるせいか鼻血が止まらなくなってしまいました。鼻の穴に綿を詰められ、すぐ脇にある椅子で止まるまで待っているよう医師に言われました。
時計を見ると14:45でした。マツリさんを膝にのせ椅子に座るとガタガタと小さな音がしたかと思ったら、突然、
経験したことのない大きな揺れがやってきました。
棚の上の薬瓶が連続してガッシャンガッシャンと落ちます。金属の器具が耳をつんざく音を立て一気にばらまかれると看護師さん達が悲鳴をあげました。
待合室の大勢の患者さんが診察室近くに集まり床に座り込みます。いつの間にか医師は患者さん達を誘導してきたようです。
『あっ。』
いつも丁寧で優しい看護師さんが慌てて私達の近くに来ました。伸ばした手にしがみつくと看護師さんは手を振り払い、私たちの隣にある大きな機械を押さえつけ、さらにもう一方の手で検査室のドアを押さえつけました。

わたしはマツリさんを抱っこして
『大丈夫よー。落ち着いてー。』
と大声で連呼していました。
自分に言い聞かせていました。

長い揺れでした。

診察室の床には、割れた薬瓶と液体、器具が散乱していました。
『これでは、今日は診察できない。
休診にします。』
その声でみんな我に返ったようでした。立ち上がる患者さんの中から、一人のおじさんが
『次の予約とっていきたいんだけど』
と事務のお姉さんに言いました。
『今日は、とりあえず終わりだから。多分明日は開くと思うし。また明日にしてください。ごめんね。』

これ以後病院が再開するまで、だいぶ時間がかかるのですが、誰もそんなこと予想できませんでした。

近くの薬局のお兄さんが
『先生、ひどいよ。道路が割れて水出てるし、フェンスもグニャグニャだ。』
と窓から顔を出しました。
二人は連れ立って病院の周りを眺め、互いの持ち場に戻りました。

きょとんとした顔の私の膝の上でマツリさんはじっとしていました。

医師が私たちに気付き、
『あっ、鼻血止まったでしょ。診察台に座ってみて。』
と言ったときには、わたしは腰がぬけて立ち上がれませんでした。仕方なく苦笑いをしながら医師がそばにきてくれ、綿をとりましたがまだ出血は止まっていません。
『もう少し待ってね。』
と言われ、やっと遅ればせながら私も我にかえりました。鼻血がとまり、待合室へ戻った時には、患者さんは誰もいず、頭上のテレビから慌てた声のアナウンスや非常音がけたたましくなっていました。

どうしていいのか、とっさの判断に迷い椅子に座り込んでから、
『こういう時ってどこへいけばいいんですかね?』
と場の緊張感に似合わないような、途方に暮れた顔で受付の方に声をかけると
『わたしは、帰るわ。家のことも心配だし。』
と机上を片付けながら返事をしてくれました。

耳鼻科があるところのすぐ近くには高台がありました。私のアパートも実家も大きな河川や海の側というほどではありませんが間違いなく近い場所にあります。

私は、高台へ向かわずに川や海へ向かって車を走らせていました。とんちんかんにもほどがあります。理由はそこがわたしの家だから。

車を走らせると薬瓶の割れた耳鼻科よりもさらに怖い光景が待っていました。道路が割れて水が吹き出しています。液状化という言葉を知ったのは数日後でした。車の列はゆっくりと前に進みます。
現状を理解するためにラジオをつけました。私だけならパニックになっていたかもしれませんが、マツリさんが後部座席のチャイルドシートにいます。
しっかりしなくてはと深呼吸をしました。
ゆっくりと進む車の列の原因は道路が真っ二つに大きく割れ迂回しないとどうにも通れないのです。
何が起きた?大きな地震。
津波?こっちに向かっていいの?
ラジオからは津波が来るから逃げるようにという声が響きます。でも、道路は渋滞でした。この流れに逆らうよりも行ってみようと思いました。

しばらくいき、前の車に続き止まっていると後続車が遠くにいます。道路は水に濡れたように見えます。わたしは橋の上にいました。橋の下は普段は川とも言えない水がちょろちょろとながれている場所です。なのに、向こうから瓦礫や藁がすごい勢いで押し寄せてきます。向こうの海からこの小さな水路へ水が瓦礫を抱いて押し寄せてくるのです。私の前が一台分空きました。急いで橋を降りました。橋の下には小料理屋さんなどが立ち並んでいました。瓦礫の山は小料理屋近くにとめてあった軽自動車を転がしていきます。何台もの車がミニカーのようにコロコロと簡単に転がっていくのです。
息をのんでみていると、マツリさんも同じように見ていました。

近くの米屋の駐車場に車を停めて
『歩いて逃げよう。降りて。』
とマツリさんのいる後部座席へいくと
『嫌だ。降りたくない。ママ何とかして。』
と動きません。
困り果て、細い道に車で入っていくと液状化がひどく、アパートからバスタオルに赤ちゃんを包み逃げる人が数組み見えました。
『どこに行けばいいですか?』
と声をかけると
『わからない。でも、あの丘の上の建物ならなんとかなるんじゃないかって、向かおうとしているの。渋滞にはまると移動できないから車は置いて行ったほうがいいと思う。』

そういうと走り去って行きました。
当てもなく走りながらとりあえず、車で丘の上まで行こうかとしましたが、方向音痴ゆえ、何度行ったことのあるばしょでもなかなかたどりつきません。

そうこうしている間に、3月のとても暖かい日だったのにパラパラと雪が降ってきました。
『ママ、ゆき。』
マツリさんが言います。私たちの住んでいる所は温暖で雪は滅多にお目にかかれず、降ると子供達は大喜びでした。しかし、マツリさんの声は張り詰めていました。
『うん。さっき、降りなくてよかったねぇ。雪が降ってきちゃたね。』
というと
『マツリが言った通りでしょ。』
と元気な声が返ってきました。

マツリさんの声を聞き、そうだ、幼稚園へ行こう!と考えました。幼稚園はとても高いわんぱく山のふもとにあり幼稚園自体、高台の上にありました。

行き先がわかったら、少し目の前も明るくなります。
『幼稚園いこう。咲子せんせいも歌子先生もいるよ。頼りになるー。』
と走り出しました。

ところが、
この坂を登っておりて曲がってもうすぐなのに、その坂のまえに通行止めという立て看板と柵がはってあるのです。
下の道を通っていけるはずですが、これまた方向音痴でどうすることもできません。
雪が降っているのに変な汗で額や背中がびっしょりです。

病院を出る時に、ミコシさんの携帯にかけたのですが通じませんでした。このとんでもない出来事で電話をかけているのはわたしだけではないということでしょう。
ショートメールを送ってみました。
どこ?耳鼻科の帰り、困ってる
と打ちました。
やはり返ってきません。
仕方ない。いつも通っている大道路の大きな橋の上を行こう。そう思い、車を走らせました。

すると、警備員さんがいてここも通行止めです。橋の上が濡れておりこの高さまで水がきたことが容易にわかりました。
樺川も通行止めとミコシくんに届かぬメールを打ちます。と、その時、着信音が聞こえ発信先はミコシくんではありませんか
『もしもし、もうどこも通れないよ。』
張り詰めていた分、ちょっとべそをかきそうな声です。
『樺川は通行止めだよ。でも迂回路を通ったら樺川を渡れるかもしれない。』
話の途中で電話が切れてしまいました。ミコシくんからショートメールで電話は通じにくいけど、メールの方が届きやすいみたいだよ。と送られてきました。
迂回路を通る途中、古い家が傾いて崩れていたり、なぜか道路に藁の束が投げ出されてあったりと尋常ではない光景が目に入ってきました。しかし、樺川入り口に通行止めはなく通れます。
緩やかに渋滞してはいますが、樺川を渡る時だけは一気に通れました。

ここまできたら、もうすぐです。

やっとのことで家に着いた時は辺りは薄暗くなっていました。ラジオで流れていた情報を耳にしていたので、マツリさんにも幼稚園の上履きを履くよう話し、私もスリッパを履いて家の中へ入りました。
大きなもので倒れていたのは本棚くらいだったでしょうか?台所は鍋やフライパンが落ち引き出しはほぼ全ての段が全開。床にはお米が一面にこぼれ落ちていました。
とりあえず、電気がつく間にご飯を炊けるだけ炊きました。お湯をわかし、汲めるものには水を汲んでおきました。

窓から実家を見るとまだ、帰ってきていないようです。アパート近くのフェンスが壊れ、電信柱が今にも倒れてきそうな勢いに傾いています。
テレビは地震と津波についてアナウンサーがけたたましく話しており、なんだかおかしなことになったのだとあらためて感じていました。

1時間も待たないうちに、ミコシくんが帰ってきました。方向音痴のわたしと正反対でミコシくんは冒険心旺盛で道草をしながらあらゆる道を網羅しているので混まないであろう道を通り渋滞にあわずに最速で帰ってきてくれました。
ほっとしました。
『水やお茶を買いに行こう。』
と3人で近くの自販機やコンビニ、スーパーへいきましたが自販機は売り切れ、コンビニやスーパーはやはり被害があり閉店していました。
とりあえず、炊いておいたご飯でおにぎりをにぎり食べました。

その後も余震という、震度3程の地震が何度も起きていました。実家に灯りがついたので電話をすると2人とも苦労して家にたどりついたようですが無事でした。

この続きはまた後にしたいと思います。



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