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なぜフランス女王やドイツ女王はいないのか?

ヨーロッパには女王様がいる国といない国がある

ヨーロッパには、女王がいた(いる)国とそうでない国があることにお気づきでしょうか?

女王がいた国はイギリスがわかりやすい例で、昨年亡くなったエリザベス女王やヴィクトリア女王。ロシアに皇帝がいた頃には、エリザベータやエカチェリーナ2世。ヨーロッパ以外では、日本の推古天皇や中国の武則天など。

しかし、フランス女王、ドイツ女王は聞いたことないはずです。

なぜならば、全く存在しなかったからです。

「フランク王国」の女性相続禁止ルール

現在のフランス・ドイツ・イタリア北部などは「フランク王国」という一つの国でした。この国では「サリカ法典」という法律の中で、女性の相続を禁止していました。 

その後、フランク王国が分裂してできたフランス王国、神聖ローマ帝国(今のドイツやオーストリアあたり)、イタリア王国などはこの法律を継承したので、この地域では女王は認められません。

しかし、イタリア南部のナポリやシチリアなどはフランク王国外であったため、ナポリ女王やシチリア女王は存在しています。

神聖ローマ帝国「女帝」マリア・テレジア

このルールに翻弄されたひとりの女性を紹介します。マリー・アントワネットの母、ハプスブルク家のマリア・テレジアです。

ハプスブルク家は、神聖ローマ帝国皇帝、帝国内のオーストリアや今のチェコの王位、帝国外のハンガリーの王位などを世襲していました。正確ではありませんが、日本の首相が東京都知事を兼ねているようなものです。

ところが、18世紀のカール6世には男子がおらず、ルールを変えて長女のマリア・テレジアに相続させます。

マリア・テレジア
画像引用元: wikipedia掲載
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他国は相続を認めず、プロイセンという国はちゃっかり資源が沢山取れる地域を奪っていきました。

しかし、当初舐められていたマリア・テレジアは有能な女性でした。

夫を神聖ローマ帝国の皇帝とし、自らはオーストリア、チェコ、ハンガリーの君主を兼任しながら16人の子供を育て、神聖ローマ帝国を仕切る実質的な「女帝」として君臨しました。

奪われた地域は奪還できませんでしたが、数々の業績を残した偉大な「女帝」として今でも敬愛されています。

今では各国で有能な女性リーダーが誕生

現在では、これまで例示したほとんどの国で王政(帝政)は廃止されています。

現代では、女王を許さなかったドイツにはメルケル前首相、そしてイタリアにはメローニ首相など女性リーダーが誕生しています。

時代は変わるものですね。


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