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チャイコフスキー「交響曲第5番」(私の暮らしを彩るもの#88)

最初は憧れだった。
大学時代は自分を苦しめる対象だった。
今は気が付くと横にいて、寄り添ってくれる存在。

チャイコフスキーの名曲、「交響曲第5番」について語ってみる。


はじめは父に聴かされていた。いつのことかはわからない。
父が学生の時にやったことがあり、楽しかったようだ。
父はヴィオラを弾いていて、たまに出して弾いてくれた。
運動も絵もいまいちだった私は、いつか音楽をやるのだろうと思っていた。

そうしていつかコントラバスを習得し、オーケストラの世界に飛び込んだ。
オーケストラ1年生の終わりに、交響曲第5番(以下チャイ5と略す)をやらせてもらえることになった。
ついに交響曲デビュー。それが大好きなチャイ5で嬉しかった。
当時、オーケストラを辞めようと思っていたくらい行き詰まっていたのだが、これをやらずにやめられないと思って手を挙げた。

コントラバス奏者的に言うと、チャイ5は「筋トレ」だ。
ゴリゴリパワー系体力勝負。1年目にはけっこうきつい。
要所要所難しいところもあり、やりがいがあった。

スランプ真っ最中の自分にはきつい試練だった。
泣きながら楽器を練習したのは初めてだった。
できない。弾けない。できない。弾けない。
そしてその帰り道は、チャイ5の色々な音源を聴きながら泣いた。
今思うと相当病んでいたと思う。

そしてその本番はコロナ禍の襲来により中止され、不完全燃焼で終わってしまった。
チャイ5を沢山弾いていたが、通して弾いたことはほぼなかった。

それからしばらくの間、私はクラシック音楽を聴けなくなった。


クラシック音楽を聴けない私はそのままコロナ禍のステイホームに突入。
あんなにつらかったのに、なぜかコントラバスを担いで自宅に持ち帰り、部屋の床を占領していた。

酷かった時はクラシック以外も聴けなくなったが、歌があるものから聴けるようになり、インスト、ピアノソロ、吹奏楽、オーケストラと、時間をかけて次第に聴けるようになった。演奏もピアノをきっかけに、コントラバスで吹奏楽の出番の練習をするようになった。

夏は換気100%だ!と言いながら、外でセッションをした。
雨が降ったら、メンバーの家でネイルを塗ったりした。
演奏に誘ってくれる人たちがいて、私はとても恵まれていた。


音楽ができるようになっても、しばらくチャイ5はまともに聴けなかった。
恐る恐るトライしてみるが、背中がぞっとして、涙が出そうになって、聴けなかった。

音楽が若干できるようになる一方で、コロナ禍のオンライン授業に見事に適応した私は、学年1位の成績を取るくらい授業に打ち込んだものの、中止になってしまった留学のことや、3年生以降の身の振り方で迷った私は、3年生の手前にプチ病みした。
燃え尽きた、という表現が近い。

そんなとき、身体をチャイ5がすんなり受け入れた。
むしろ私を癒してくれた。

私は過去の弱い自分を「いま」から客観視し、「ちょっとでも成長したよ」「大丈夫だよ」と励ますことで、自分を癒す傾向がある。
当時はそこまで思っていなかったが、今思うと完全にそうだ。
あの時雪まみれになって泣きながら歩いていた私の姿は実はもうなかった。
自分らしくもがき続ける限り、振り返ったら成長していることがわかる。
その延長線上だけで見たら気づかないことだが、曲を通してタイムワープすることで、「あ、あの時の私、今大丈夫だよ」と思える。
それが私をずっと救ってくれている。

そしてオーケストラ生活最後の演奏会にて、チャイ5をトップでリベンジした私は、演奏に悔いなく卒業することができた。めでたしめでたし。


最近だと休職から復職に向うのに、弱気になっていた時、チャイ5を聴いた瞬間元気になって全てが前向きになった。チョロい。


何かに迷ったり調子が悪い時、静かな自宅のベッドに横になって目を閉じて、再生する。

この穏やかな時間がいつまでも続くよう祈りながら。
過去の自分が今の自分を慰めるように、今の私が未来の自分の糧になれるように、耳を澄まして音楽を聴く。

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