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てぃくる 950 途中経過

 乳児から幼児へ。
 幼児から少年少女へ。
 少年少女から青年へ。
 青年から壮年へ。
 壮年から老年へ。

 仕分けはあっても区切りはない。
 ぱちぱちと切り替わるように次のカテゴリーに移るということはないんだ。

 全ては連続して変化していく。
 年という刻みは、変化を意識させるための標識に過ぎない。



 だが、その一方で。
 我々はどうしても代表値だけを見ようとする。
 満開の花しかイメージせず、地味な蕾や枯れた老花には目もくれない。

 魔術じゃあるまいし、いきなり満開の花が湧くものか。
 途中経過に目をつぶっているだけさ。

 なあ、紫式部。


◇ ◇ ◇


 コムラサキの花は地味ですがまとまって形よく咲くので、それなりに見応えがあります。
 しかし、本家ムラサキシキブの花はとっ散らかる咲き方で、あまり人目につきません。画像のように咲き終わり近くなるとなおさらですね。
 でもわたしは、園芸店に出回っているコムラサキよりも本家ムラサキシキブの方が好きなんですよ。途中経過がしっかり意識できるからです。

 少しずつ咲き、盛りを迎え、いつしか盛りを過ぎ、実りに切り替わる。実は少しずつ鳥に食べられ、最後に姿を消す。その営みの移り変わりは決して劇的ではないんです。淡々と、粛々と、変わっていきます。

 我々は、時の一点にとどまることができません。
 ですから、わたしは自らの経過をしっかり味わいたいと思います。
 その方が、残せない盛りにこだわるよりずっと生を楽しめますから。


団栗や脱帽すれば禿頭

(2022-09-24)

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