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てぃくる 471 毒と砂糖


 『ご自由にお使いください』
 そう書かれた立て札があって、立て札の前には山盛りの毒と砂糖が置かれていた。

 毒と砂糖の容器にはそれぞれ毒、砂糖というラベルが貼られているが、それがなければ素人目には区別がつかない。毒の種類や危険度の情報が全くないので、味見して区別することは誰にもできない。それらは興味本位で大勢の人々に観察されるが、使用に踏み切れる者はごくわずかだろう。

 この状況設定の一部だけを動かすと、事態は複雑に動き出す。

 もし毒が黒く、砂糖が白だったならば。すなわち二者の差がリスクなしで識別できるのであれば、砂糖は堂々と、毒はこっそりと使用されるだろう。

 毒と砂糖のラベルがなく、ただ二者が並べられているだけならば、それらは永遠に誰にも使われないだろう。

 立て札に『使用を希望される方はお申し出ください』と書かれていれば、砂糖のみ使用されるだろう。

 砂糖は山盛りあるが、毒は少量しかなかった場合、砂糖と毒の量が釣り合うまでは砂糖のみが消費されるだろう。逆に毒が山盛りで砂糖が少量の場合は、どちらも利用されないだろう。

 山盛りの毒をぱくぱく食っているやつがいれば、毒というラベルの信用性が下がり、毒がある程度消費されるかもしれない。逆に山盛りの砂糖をばくばく食っているやつがいれば、誰もが疑いなく砂糖に手を伸ばすだろう。

 毒の方にのみ監視員が付いていれば、監視員不在の間に毒のみが消費されるだろう。逆に砂糖の方にのみ監視員が付いていれば、高級な砂糖だとみなされて砂糖の消費量がぐんと増えるだろう。

 いつの間にか砂糖だけがなくなれば、補充される砂糖だけしか利用されなくなるだろう。いつの間にか毒だけがなくなれば、パニックが起こるかもしれない。

☆ ☆


 とても不思議なことなのだが。砂糖は摂り過ぎればいずれ毒になり、毒は適量を使いこなせば薬として役に立つ。砂糖と毒という文字の属性に踊らされ、その多寡だけを見て効能と影響を盲信し、何も考えずに利用したり拒んだりする人々のなんと多いことか。

 ああ、ほら。ひいらぎがひっそりと笑っている。


 葉の棘に刺された者からは恨まれ、甘い花の香りを嗅いだ者からは愛でられる。
 でも、そのどちらもぼくなんだよ、と。


柊花握り痛みとともに憶へおく

(2018-11-08)

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