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てぃくる 136 ライン

たくさんのラインが渡されていて
その中の一つを自分に結ぶ

もしくは
自分という線を
どこかに結ぶ

端のない線はない
始点と終点のどこかで
あらゆる線は交差し、絡み合う

自分が結んだ線
自分に結ばれた線
それはどこに繋がるのだろう?

絡み合って糸になり
糸が編み上がって布になり
それが裁たれ、縫い合わされ
衣服となって身を覆う

自分が無数の線に覆われているように
自分も線として誰かを繋ぎ
誰かを覆っているということを
あなたは分かっているのだろうか?


 まだ低速モデムでがーごろごろぴーとBBSに接続していた頃から、わたしはネットでいろいろな繋がりを見てきましたが。ネットでは相手の顔が見えないから現実とは違う、バーチャルだという意見を目に、耳にする度に、おやあと疑念を抱いたものです。
 人と人の間がどのようなラインで結ばれていようと、その両端のどちらかが石やロボットということはないんですよ。そして相手が直接見えるかどうかも、ラインが橋渡しする意思や感情の確かさの決め手にはなりません。

 毎日顔を合わせていても無視し合う。
 遠く離れていても、数年に一度の手紙で心が通じる。

 繋がるラインの種類ではなく、ラインで繋げようとする意思とちょっとした想像力。それが点が線に、線が面に充実していくための決め手なんじゃないかなあと思うわけです。

 ああ。画像のラインはシュロの繊維です。
 箒や縄の原料としてよく知られていますね。

糸も縄も綱ももろとも捨てて春羽化す

(2015-03-24)

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