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つくられた安らぎを捨てて

お酒はよく飲む方だった。一年前は毎晩晩酌していたし、夜食時にお酒は必ずセットだった。周りの人から「酒に強い」という評価を頂戴したこともある。生まれつきお酒には強い体質だったようで、今でもお酒を飲む機会があればとことん飲めると思っている。なので、お酒は好きだと言っても差し支えない。しかし、ここ最近は自主的にお酒を飲むことも無く、機会が無ければ一滴も飲まなくなった。それこそ、飲み会がなければ、一ヵ月以上お酒を飲まないことも珍しくない。

なぜそうなったのか、特段説明できる理由はない。それでも一応の理由をつけると、私がお酒は好きだけど、そのお酒を一切飲めなくても平気なタチで、お酒に依存していないからだということになる。

そんな性質だからか、私はお酒の楽しさもわかっていると思っているが、同時に、お酒で間違いを犯した時にお酒のせいにする人が好きではない。「酒に酔って正気ではなかった」という類の弁明の言葉を何度も耳にしたことがあるが、それは本人の持ち合わせている性質のせいで、お酒のせいではないといつも思っていた。
さらにもっと言えば、酔っ払うことが面白いというイメージも肯定したくないと思っている。偏見があるかもしれないが、お酒好きな人の中で、お酒にまつわる失敗やお酒に依存している姿を、茶目っ気たっぷりに披露する人がいるが、それは、世間の酔っ払いに対するチャーミングさを後ろ盾にしているだけで、本質的には自己の落ち度を反省しておらず、単に自己欺瞞化しているように見える。

私が偉そうに言えることではないが、長い人生では、酒で失敗したり、酒に溺れてしまう時もあると思う。しかし、それでも酒を免罪符に使った謝罪や言い訳はやめた方がいいと忠告したい。そんな上っ面は他人から簡単に見透かされるし、何よりあざといから。

デンマークに「子供と酔っ払いは嘘をつかない」ということわざがある。私はデンマークの映画「偽りなき者」でこのことわざを知った。そして、「偽りなき者」は、このことわざのアンチテーゼのような内容になっている。
酔っ払いも子供もイメージに反し、狡猾で残酷な部分がある。もっと言えば、人間は全員狡猾で残酷な性質があるといえる。そしてそれは、表層が少し変化したぐらいで簡単に拭えないイメージだと思う。

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