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過ぎ去りし思い出

私が幼い頃は本当に素直だった。その素直さが分かるエピソードを一つ。

私が小学生低学年の頃、学校に映画監督が来た。映画監督と言っても、世間的に名の通った監督ではなく、地元出身で、地元に暮らす市井の人々の生活を八ミリフィルムで撮っている、ローカル気質な監督だった。おそらく、本業は別にあって、休みなどにコツコツと制作活動にいそしんでいたのだと思われる。
その監督の作品を私達が通う小学校の体育館で上映するということで、私達小学生とその保護者も参加出来るとのことで、私の母親も映画鑑賞に来ていた。ただ、その監督がやけに謙遜する人で、内容はつまらないかもしれないから、寝ても構いませんよ。という事をわざわざ上映前の説明で話した。
当時の私は、馬鹿で、素直だったので、馬鹿素直にその言葉に従い、体育館が暗くなったのを良しとして、思いっきり眠る姿勢をとって、開始二、三分後には眠ってしまった。そして、私が目を覚ましたのが、映画が終わった直後で、私は本当に監督の言葉通りに、映画の内容をほとんど観もせずに、上映会をやり過ごした。しかし、その姿を私の母親はしっかりと見ていて、体育館の片付け時には、母親に体育館の外に連れていかれて、凄い剣幕の叱責を受けた。また、担任も私の不徳に気付いていたようで、その後担任からも雷が落ちた。

叱られた当時の私の心中は、「だって、寝てもいいって言ったじゃんか。ちゃんと、言う通りにしたのに。」と、まったく不服な気持ちだったが、人が一生懸命に作ったものを碌に観ようともせずに眠ってしまうのは、いくら年端のいかない小学生とはいえ最悪な行動だったと今ならば言える。当時の私はろくでもない思考をしていたと思い、今でもその行いを反省している。

上記の通り、幼少の頃の私は、馬鹿に素直だったが、良くも悪くも、そのまま素直なまま成長せず、世間の荒波に揉まれて、立派なひねくれ者に育った。今は他人の言葉の背景を探るという芸当も、少しは出来るようになった気もしている。
しかし、偉そうにその監督に一つだけ苦言を呈させてもらうと、子供に向かって説明するのに、下手な謙遜や妙に回りくどい言い回しをせずに、実直な言い方を心がけるべきだと思います。以上。

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