私が「暇」と言い続ける理由

めちゃくちゃどうでもいいのだが、私はいつだって「暇」だ。

私の周りの人は、あいつどうせ暇だ、と思っている。
いつだって暇な女、という認知をされている。

この字面だけ見ると、たいして頑張ってないやつみたいだ。
あながち間違いではないのかもしれないが。

でも思う。
暇って悪いことか?

たしかに前の投稿で暇は地獄と言った。

本当の暇は地獄だし、多分多くの人は暇なことはネガティブな状況と捉えるだろう。
時間的余裕がある、なんてポジティブには捉えられない。

本当の暇の場合、私は結構メンタルがやられる。
余計なことを考えるし、もっと時間を何かで埋めなきゃいけない、と思い込むがゆえに何もできないから。

ただ今回の「暇」というのはそうではない。

この「暇」にはメリットがあるし、ある種戦略だ。

***
今まで私は癖で言ってしまっていた。

別にこの人生、暇だ暇だと言っていたとき、暇ではなかった。
特段忙しい訳でもなかったが、やるべきこと、やりたいことはたくさんあり、常に目の前のことに一生懸命取り組んでいた。

そんな中で暇と言い続けたため、周囲のまともな人々はきっと、コイツ全然頑張ってねえじゃん、もっと努力しろよ、と思っていたと思う。
今振り返ればだが。

この発言は完全に反感を買っていたと思う。
特に相手に対して傷つけるようなことをした訳ではないのにどうして?と思っていたが、今思えば暇と発することが相手にとっては傷というか、ハレーションを起こさせる原因だった。

そんなこんなで、なぜ私は暇と言い続けるのか。

それは、頑張ってる姿、取り組んでいる姿を見せたくないからだ。
忙しい。なんて言いたくなかった。
自分に負けた気がするし、とにかく卒なくこなすことが自分の美徳だった。
だった、と言うか今もそう思っている。

その姿を見せたら、もうこれ以上は頑張れないんじゃないかとか、これが限界なんじゃないかと察せられるのが嫌だった。
心配されるのも嫌だった。
いつだってどんどんレベルアップしていけるんだよ、と察して欲しかった。

あとは、忙しいと言ったら機会が降ってこない気がしていた。
仕事でも、プライベートでも。

プライベートでは、常にフッ軽女でいたい。
あいつ暇してそうだから誘おう、となってほしいから。
完全にイジリだけど、それはそれでいい。
もはやアイデンティティだ。
そういうところに顔を出すのは、楽しいし嬉しいし時にはチャンスになるからだ。
もちろん損得感情抜きだけど、必ず参加してよかった、と思えるから。 

若干の完璧主義な考え方と、卒なくこなすのが美徳という考え方と、フッ軽でいたいという欲求。
この三つが合わさって、
私は今までもこれからも、「暇」と言い続けたい。

でも、暇と言うことによって何人かは気分を害してしまうならば、何か他に適切な表現はないものか。

「暇」な時間で見つけよう。

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