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25歳OLの悩み

とにかく人生が不安だった。

平日は仕事を粛々とこなし、土日は何をするわけでもなく、この淡々と過ぎていく日々にも飽き飽きしていた。
直近での楽しみも特になく、この先も明るい未来なんてない、ととにかくネガティブだった。

「今この瞬間」を楽しめなかった。
20歳、成人式で書いた一言は、「今を生きる」だったのに
と、皮肉にも思い出した。

本当は、未来なんか何が起こるかわからないのだから悲観すべきではないし、今を楽しむべきだ。
それは十分にわかっている。

わかっていても、そうはなれないのだった。

どうせその時にも悩むのだから、今考えるのはもったいないのに。

少し落ち着いてから思ったのは、こんなこと考えていられるのは、ある意味幸せだからだ。
良くも悪くも、暇ということだ。

今を生きるのにも、明日を生きるのにも何も困ってはいなく、むしろ満たされているはずのに、何故だか満たされていない感じがしてしまうのだ。

満たされない理由は?原因は?
ずっと考えては落ち込んでいた。

多分それは、「何か」があるわけではなくて、考え方の問題なのだ。
隣の青そうな芝生を見続けて足りないな、と思ったり、ないものをリストアップしているだけなのだ。

自分の今持っているもの、あるものに目を向ければ、満たされていることに気づけ、感謝の気持ちが芽生える。
当たり前だと思っていたことを、当たり前ではない、すごいことなんだと、感謝できる。

たったそれだけのことだが、一度落ち込むと意識しようにもむしろしたくないとまで思ってしまう。
ゴールは見えていて、最短距離で進めるのに、
何故かゴールが見えないふりをして、遠回りし続ける。


なんであえて苦しい道を選ぶんだろう、そして繰り返すのだろう、と思うのだが、
だから、まだ人間なんだろうな、とも思う。
仏でも神様でもなく、人間として生かされているんだろうなと。

なんだか書いているうちに少しポジティブになった。
やっぱりnoteは面白い。

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