家族がいようと止められぬ二次創作、そして推しへの愛
おそらく、私のピクシブのページを見て最初に思われるのは、「この人、作品数多いな」だと思う。
二次創作の小説を書き始めて2年半。登録数は100件を超え、今は120件に近づいている。もちろんシリーズものもあるし、10万字ぐらいの話を三分割してたりもするので登録数イコール作品数ではない。だが、かなりの数ではある。自分でも狂ったように書き続けていると思う。
こうなってくると、「瑞木さんって書くの早いですよね」と言われることも増えてくる。だが、私は書くのが早いのではない。多分、普通だと思う。そうではなくて、幸いなことに書く時間がいっぱいあるのだ。
創作の時間をどう捻出するか。
これは二次創作をしている方共通の悩みだと思う。私がいつもXで拝見している字書きさんなどは、フルタイムで仕事をし、残業もし、家には幼な子が二人いて、その子供たちが寝付いた後に「さあ、コーヒーも淹れたし、今から書くぞー!」と言っている。もう日付が変わろうとしている時間にだ。信じられない。どうなってるんだ、その体力と気力。と思ってたら「寝落ちしちゃったー」と言っている。あ、やっぱりそうなるよね。なんか、安心した。でも次のイベントではちゃんと新刊を出している。なんなら、一年で4冊ぐらい新刊を出している。もう尊敬と畏怖の念しかない。
気力体力に溢れ、書くのが早い人、というのはこういう人である。私はその足元にも及ばない。私がもっぱら創作に充てている時間は、子供たちが学校に行っている時間である。そう、私は昼間に時間がいっぱいあるのだ。
こういうと、ちょっと申し訳ないなと思ってしまう。私だけズルしているような気がしてしまう。一応、自宅で少し仕事もしているので、その仕事が忙しい時期は「繁忙期のため、低浮上ですー」と忙しいアピールをしてみたりするが、実際はそこまで忙しくない。フルタイムで子育てしながら書いている人には、やっぱり足元にも及ばない。
だが、こんな私でも書けない時期というのはある。そう、夏休みだ。
二次創作を始めて2年。ということで、夏休みを2回経験した。まあ、大変だった。
子供たちがずっと家にいる夏休み。朝ごはんが終わったと思ったら、もう昼ごはん。料理を終え片付けを終え、洗濯して掃除して時間を見つけて書こうとするものの、リビングではYouTubeのゲーム実況が流れ続け、子供は歌い踊り、その声が耳に入って全く集中できない。絵の具を使うからテーブルでやっていいかだの、家庭科の宿題の玉止めができないだの、このKポップのグループでは誰が好きかだの、いつ子供が「おかーさーん」と隣に来るか分からない。それが1ヶ月半続くのが夏休みである。
ところで、絵を描くときはネームを切ったあとは(切るって言い方、かっこいいよね)、やることは作業に近くなり、作業通話などをして喋りながら描いている人も多いが、字を書くときはそういうことができない。たまに喋りながら書ける人もいるが、かなりレアだと思う。
私も書いてる間は脳内を日本語が飛び交い、同時に話を組み立てているので、一人で集中して書きたい。特に『人の声』が耳に入ると、途端に字が書けなくなる。脳内で黙読してる言葉と、声に乗っている言葉がぶつかるからだろう。そして声の方が勝つ。つまり私が一生懸命に脳内で捻り出している文章は、ゲーム実況者の声に簡単に負けてしまうのだ。
そういうわけで、二次創作を始めて最初の夏休み。私は全く書けないでいた。それまでは週に2本ペースでピクシブに上げていたので、本当に辛かった。禁断症状が出た。ついにはゲーム実況が流れていてもできる仕事を前倒しでやることで、「夏休みが終われば、この終わらせておいた仕事の時間を創作に充てられる。この仕事をしている時間はつまり、小説を書いている時間と同義」という境地にまで至った。
でも人間何事も慣れるもので、2回目の夏休みでは、ゲーム実況の大げさなリアクションが鳴り響くリビングで字が書けるようになった。小説を書くこと自体に慣れてきたのもあったのだと思う。もちろんいつものようにはいかないが、それでも少しだけ小説を書くことができた。2年目は禁断症状が出ずに済んだのである。
ここまで読んで、瑞木はどこで小説を書いてるんだと思われる方がいるかもしれないが、私はリビングの隅にある書斎コーナーに置かれたパソコンで書いている。今はスマホでも書ける時代だが、私はパソコンでしか書いていない。スマホの入力が恐ろしく遅いからと、画面が小さくて目が疲れるからだ。まあ、おばちゃん的理由だ。
つまり、子供がいるリビングの隅でコソコソと書いているわけだが、この点絵描きさんは大変だと思う。絵だと遠目にもいかがわしい絵だということがバレてしまう。子供の目に触れないところ、を探さなければならないだろう。
字はその点、結構大丈夫だ。いかがわしいシーンのときは「あっ……」とか「んん〜〜ッ!」とか、『あ』『ん』『ッ』『…』『〜』が多用された文章になって見る人が見れば分かる字面になるが、まあじっと読まれなければ大丈夫だろう。そして幸いなことに子供たちは興味がないからか、画面をじっと見てくることはない。
気をつけなければいけないのは、夫の存在だ。彼は私が何してるか興味があるらしく、画面をじっと見てくる。見てこようとする。だから、夫が帰宅すると慌ててウィンドウを閉じる。夜のそろそろ帰ってきそうな時間は私も玄関の音に耳を澄ませて警戒しているが、たまに昼間に帰ってくることがあり(職場が自宅から近い)、そのときは本当に焦る。部屋でエロ本を読んでいる中学生と同じだ。母親がノックもせずに入ってきて、慌ててベッドの下に隠すやつ。まさか、この歳で同じことをするとは思わなかった。
一度は慌てすぎて保存をせずに消してしまったことがあったが、後から確認するとちゃんと保存できていた。骨髄反射で『下書きを更新』ボタンを押していたのだろう。このピクシブの『下書きを更新』ボタンは書きながら何百回とクリックしているので、もはや無意識で押せている。やはり、慣れというのはすごいものだ。
ここまでして書き続けるというのは、やはり推し(男)と推し(男)への愛という名の腐った願望があるからだろう。
100作を超えて書いてなお、その願望は枯れることなく、むしろ他の方の創作物を読むことでますます膨れ上がっている。
沼に『落ちる』というのは、よく言ったものだなとしみじみ思う。