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「自分は哺乳類だ」と気づいたおはなし

去年息子を出産した。

おそらく、出産には十人十色のいろんなエピソードがあると思うけれど、私の出産エピソードは、

「わたしは哺乳類だったんだ」

という強烈な気付きを得たこと。

この経験を残しておきたくてnoteを書くことにしたと言っても過言ではないくらい、自分にとっては強烈で、その後の価値観を揺るがす原体験になった。

女性は生理が毎月起こるので、
なんだかよくわからないけど自分に埋め込まれている体のメカニズム
に翻弄される感覚というのは多かれ少なかれ味わっているものだけど、
陣痛+出産
はそれを1万倍濃縮したみたいな感じだった。
(病院で自然分娩で出産しました)

徐々に巨大になって迫りくる陣痛という痛みの波
その痛みに取り繕う意識も理性もふっとび、
そのときの出したい声、出したいうめき、
すべてが自分の感覚に従わざるを得ず感情も垂れ流しになる。
(陣痛時に暴言が生まれるというエピソードは出産あるあるだけど、さもありなん。それはその人の中から湧き出た魂の叫びだと思う)

そして、出産でいきむときの、あられもない姿で腹にいる子を全力で外に押し出し、引っ張り出してもらう感覚。

すべてにおいて本能的で感覚的で野性的で必死だった。
人間社会の中で過ごす中での理性的で思考優位で意識的に作る自分とは対極で面食らった。

そして

自分の体の中に秘められていた出産のメカニズムが必要なタイミングできちんと発動したことにカラダってすげーな、と感心するとともに
(子孫を残すためならもうちょい痛みの少ないメカニズムでもいいんじゃないかと思うけど)

「あぁ、わたしもテレビで出産シーンを見たことのある、尻の穴から子供を産み落とす動物たちと同じ哺乳類だったんだ」

「彼らと同じメカニズムが埋め込まれてるんだ」

という思いがふっと湧いてきたのだった。

そこから、体を休める1か月のひきこもり生活を経て久々に娑婆に出たときに
人々が行き交い、車が走る自宅のまわりの日常の風景を見て
「変なの・・・」
と思ってしまった感覚は忘れられない。

出産で得た「哺乳類自覚」をまとって世の中を見ると、
サルである私たちが洋服で着飾り、道路を整備し、車を作って乗り回し、買い物に行き、お金という代物でモノやサービスをやりとりし、そのお金を得るために体と精神に鞭打ち働き、資本主義だの民主主義だのの実体のないイデオロギーを信望することが

滑稽だ

と思えてしまったのだ。

ただ、その滑稽さに気づいたところで、今ここで衣服を脱ぎ捨てるわけにもいかないし(逮捕されちゃう)
お金がないと食べ物も買えず畑も家畜も持ってない自分と家族は餓死してしまう……

自分の中に目覚め始めた違和感に蓋をするように、育児の大変さを紛らわせ、金を稼ぐために私は仕事を再開し、哺乳類から文明人へと復活した。

そのまま私は文明人として再び開花し、ビジネスの世界で生きていくつもりだったのだが・・・・

私は復帰後1年で仕事をやめた。

これは「哺乳類自覚」が直接の原因ではなくいろんな要因が絡み合った結果なので、このおはなしはまた別の機会に。

ともかく、仕事をやめてできた自分の余白に、一度目覚めて密かに巣食っていた「哺乳類自覚」が、待ってましたと言わんばかりに存在感を主張し始め、
今まで当たり前だと思っていた物事に疑問を投げかけるまなざしを私に提供するようになった。

なぜサルなのに働かなければならないのか

なぜサルなのにお金がないと生活できないのか

なぜサルなのにここまで(地球環境を破壊するまで)の文明を築くことができたのか

etc...

それが人類学、人類史、生物学から見たヒトへの興味のはじまりとなった。

ずっと読みたくて自分の中で旬読になるのをうかがっていた
「サピエンス全史」
https://www.amazon.co.jp/dp/430922671X/
(この上ない旬なタイミングで読めた)や、
京都大学霊長類研究所の山極先生とレンマ学の中沢先生の「未来のルーシー」
https://www.amazon.co.jp/dp/4791772520/

生態学の五箇先生の「これからの時代を生き抜くための生物学入門」
https://www.amazon.co.jp/dp/4777820548/

ジャン=フランソワ・ドルティエの「ヒト、この奇妙な動物」https://www.amazon.co.jp/dp/4788515806/

精神科医熊代亨氏の「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」https://www.amazon.co.jp/dp/B08C4YDVVY/

東千茅氏の「人類堆肥化計画」https://www.amazon.co.jp/dp/442239004X/

ワカクサソウヘイ氏の「エクソダスフロムイショクジュー」https://hagamag.com/category/series/s0061

あと、NHKの人類史系のドキュメンタリー番組のアーカイブなど色々見てみた。

(文化人類学系の積ん読もたくさん。もしおすすめ本あったら教えてください)


その後、さらに興味の赴くままに探究し続け、人類史を飛び越え、地球史、宇宙史までさかのぼって人間のルーツを探究しはじめたため、
仕事を探しているものだと思っていた妻が突然138億年の歴史にアクセスし始めたことに夫は「どうしたの・・?」と驚き(そりゃそうだよね)「迷走してるね」と評していた。

ちなみに夫の前で見ていたのはこれ。



そう。私は今も迷走している。いや、夢想しているといった方がいいのかもしれない。

せっかく気づいた「哺乳類自覚」は何か私にすごく大事な気づきを与えてくれる気がする・・・!という直感。

だからこそ「哺乳類自覚」に自覚的になることでもたらされる世の中に対する違和感にきちんと自分なりの決着をつけて社会と接点を持ちたいと思う意地。

そして「哺乳類自覚」に従って生きるってどういうことなのか試してみたい、という野心。

そんな感覚と、

いや、でもこの世の中で清潔に心地よく食や蓄えの心配なく過ごしたいじゃん?家族の価値観そうじゃん?自分もそういう環境で価値観で育ってきたからきっと大元にはそれがあるべ?小さい子供を育てていくためにも、自分の感覚は世迷言として一旦置いといて今の世の中に乗っかってお金稼いだ方がええんちゃう?完全に野生に戻りたいわけではないっしょ??人間弱すぎてサバイバル負けるよ、自分にとって都合のいいとこだけ人間界と動物界から取って暮らしたいだけっしょ?

と、思う自分もいて、

絶賛葛藤している。


答えを出すためのインプットと実験が足りてないことを自覚し、
どうもすっきりしない感覚を抱えながら、今日も私は
全力で遊んで食べて出して寝て今このときをナチュラルに生きる子供と、動物たちに憧れ
この理性的で思考優位で意識的な社会の中で、今まで通り文明の利器に囲まれて生きている。

ちなみに「ヒト」をwikipediaで検索したことありますか?

この、淡々と生物としての私たちを説明してくれている文章と、右側の長大な分類項目を見るのが最近好きで。

自分がほかの生物と同じように扱われる存在だということにワクワクする変態さが開花してきた気がする。

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