川上未映子『愛の夢とか』を読んで
川上未映子初めての短編小説集。川上未映子作品は『乳と卵』についで2作目になる。
『乳と卵』は関西弁のテンポの良さに引きこまれたが、こちらの作品は標準語でゆっくりと時間が過ぎゆく感じで、同じ作者とは思えなかったが、読み進めていくうちに、確かに感性が川上未映子だと思った。感性だけで書かれた小説と言ってもいいかもしれない。
この短編集は表題作を含めて7つの作品で出来上がっている。関西弁のテンポは消えているが、まわりの風景や人との会話が丁寧に描かれている。
私が小説を書くと、どうしてもメインストーリーが大半を占めてしまい、長くしようと後から風景描写を付け足すと、どうしても間延びして、ストーリー自体の勢いが失せてしまう。著者はその点、自然の流れを自然のままに自然な文章で着地点へとたどり着く。
これからは私のイメージ。(内容に踏み込む箇所もあるので、これから読む人は読まないほうがいいかと思います)
表題作『愛の夢とか』は東京の私鉄沿線の高級住宅街が舞台か。主人公はその一軒に住む中高年の奥さん。夫との関係はといえば、奥さんからすればもっとコミュニケーションを取りたいと思っているが、夫は以心伝心で何もかもうまくいっていると思っている節がある。時間を持て余した奥さんの趣味は園芸。
ある日奥さん(愛称ビアンカ)は隣人の奥さん(愛称テリー)と出会います。
ビアンカは毎日ピアノを演奏します。曲はリストの『愛の夢』。最後まで間違えずに演奏することができない。テリーは『愛の夢』に思い入れ(若い時代の苦い思い出)があり、この曲を完全に演奏することに必死になる。それが少女時代の舞台での失敗なのか、昔の彼氏との苦い経験に関わるものなのかは書かれていない。
ビアンカは週2回、テリーの家で『愛の夢』を聞くが、なかなかうまくいかない。
ある日、『愛の夢』に初めて成功したテリーはビアンカと喜びのキスをする。しかしその後、ビアンカはテリーの家へ行かなくなり、ピアノの音も聞こえなくなった。
テリーにとってはピアノを弾くことより『愛の夢』を成功させることが目的だったからなのか。そして、ビアンカはその成功を証明してくれる唯一の聴衆だったのか。
それならば題名は『愛の夢』で十分だろう。『愛の夢とか』の「とか」は何を表しているのだろうか。『愛の夢』の完成は過去の日常への回帰だけを意味した。ビアンカはテリーの家へ行かなくなるどころか、顔も見なくなる。ピアノの音も消え、隣人との縁は切れてしまった。『愛の夢』にまつわる二人の思い出や心のやり取りを、筆者は「とか」で表したのか。そのあたりが謎である。
帯で江國香織は「一編ずつが、しずかな奇蹟」と書いている。日曜日の午後、紅茶とクッキーを準備して、時間も忘れて、ゆっくり読みたい本だ。
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