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時間を切り貼りする男の物語

年甲斐もなく、大変恥ずかしいのですが、私の恋物語を聞いてください。

私はある会社の営業課長をしていました。当時の年齢は四十八歳で、まだ独身でした。別に結婚しない主義というわけではありません。ただ、若い頃からもてなかっただけの話です。

二十六歳の女性が、中途採用で私の部下として配属になったのが始まりでした。明るくてかわいらしい子だな、というのが第一印象だったのですが、一緒に仕事をしたり、会社帰りにお酒を飲んだりしているうちに、私は彼女に恋してしまったのです。しかし、恋心は自分の中にしまっておきました。なんと言っても年の差が二十二歳もあるうえに、立場は上司と部下の関係です。あきらめなければいけないのも当然です。
彼女に会えると思うと、会社に行くのが楽しみであり、そうかと思えば彼女になんか会わなければ良かったと思ってしまうほど、切ない気持ちになったりもしました。

営業回りで残業になってしまい、二人で居酒屋に行ったときのことです。その日、彼女はビール一杯で酔っ払って、饒舌になっていました。よくよく話を聞いてみると、彼氏に振られたばかりだと言うのです。彼女を振るとは、なんてバカな野郎だと思いました。私だったら絶対に彼女とは別れないと。そのとき、彼女が言ったのです。「あー、課長がもう少し若ければ良かったのに」と。私は嬉しさと恥ずかしさで真っ赤になりました。でも、私だって酔って顔が赤かったから、彼女は気づかなかったと思います。次の日の朝に営業会議があったので、その日は十時に店を出て、それぞれ家に帰りました。

家に帰っても彼女の言葉が頭から離れなくて、なかなか眠れませんでした。「課長がもう少し若ければ良かった」、あの言葉は私に好意があるからこそ言ったに違いありません。そうだ。私さえ若ければ、彼女は私と付き合ってくれるのだ。そう考えただけで自然と笑みがこぼれました。それならば若返るしかない。私は彼女のためにも若返らなければいけないのです。

私はどうやったら若返ることができるか考えました。考えて考えて、さらに考えて考えて、そしてやっと名案を見つけ出しました。人間は過去から現在までの自分を体の中に持っています。だから、過去の自分の体の一部分を、映画のフィルムを編集するように切り取ればいいのです。つまりは過去の時間を切り取るわけです。そうすれば切り取った時間分若返ります。不毛だった青春時代からの十八年の時間を切り取ることにしました。そうすれば私は三十歳になりますから、彼女との年の差は四つに縮まります。ちょうどいい差ではないでしょうか。私の趣味は切り絵ですから、物を切るのには慣れています。手先も器用なほうです。

でも、三十歳になった私が今までどおり会社に行くわけにはいきません。私は三十歳の私として新しい生活を始めなければならないのです。

まずは時間を切り取って、三十歳の私になりました。三十歳の私は履歴書に貼る写真を撮りました。三十歳までの経歴書も作成し、新しい職場を探し始めました。会社に行くときは時間を元の場所に貼り直しました。これで四十八歳の私に戻ります。一種の二重生活です。就職が決まり、彼女と付き合うことができれば、四十八歳の自分とおさらばしようと思いました。四十八歳の自分にはまったく未練はありませんでしてから。そして三十歳の私が本当の私になるわけです。彼女と一緒に幸せな人生を歩むことになるでしょう。私の人生で、このときほど自分の将来が明るく感じられたことはありませんでした。

会社に行くのが毎日楽しくなりました。たまに彼女と視線が合うと、「早く若返ってわたしを幸せにしてください」と訴えかけているように思えました。もちろん彼女は私が時間を切り取れることを知らないのだから、それはただの私の妄想なのでしょう。それでも妄想自体が楽しいのです。「課長、最近何かいいことでもあったんですか」
まわりから聞かれることも増えました。「いや、何もないよ」と言いながらも、つい頬が緩んでしまいます。

家に帰れば時間を切りとって、三十歳になってパソコンに向かって就職活動します。四十八歳のままでは就活に前向きになれそうもない気がするのです。やはり若いほうが夢を大きく持つことができます。良い会社に入って、給料を稼いで、彼女を幸せにしてあげなければいけません。若さが後押ししてくれるので、中小企業の万年課長も強気になります。私は大企業ばかり応募し続けました。しかし、時代が悪すぎました。得たいの知れないウィルスが世界中に広まり、日本でも毎日ウィルスのニュースばかり流れていました。飲食業界や旅館業界がその波をまともに受けて、倒産も相次ぎました。企業は求人募集するどころか、リストラに必死です。こんな状況ではなかなか就職先が見つかりません。だんだん焦りが出てきました。彼女との幸せな生活が遠ざかっていくように思いました。

しかたがない。こうなったら就活は後回しにして、彼女に声をかけるしかない。無謀な考えだとお思いでしょうが、これが若さというものです。私は有給休暇を使って会社を休み、夕方になって会社から出てきた彼女の後をつけました。しかし、ナンパなど生まれてこのかたしたことがありません。どうやって声をかけていいのか、まったく思いつかないのです。駅までの道の途中、私は彼女がハンカチか何か落としてくれないかなと思いました。そうすれば拾ってあげて「ハンカチを落としましたよ」と声をかけられます。しかし、そんな偶然があるわけがありません。そんなのはフィクションの世界だけのお話です。電車に乗り、彼女の最寄り駅で降りました。後は家に着くまでのわずかな時間しか残っていません。もう一か八かです。開き直るしかありません。

「すみません」
私は彼女に声をかけました。振り向いた彼女が不審げな顔をしました。
「前から電車の中であなたを見ていました。あなたみたいな素敵な人はいないと思って、思い切って声をかけました」
彼女が困ったなというように眉をひそめました。
「もし良かったら、これから食事でもいかがですか」
私はもう必死でした。
突然、彼女がプッと吹き出しました。
「課長、何を言っているんですか。何かの冗談ですか」
愕然としました。そうです。私は緊張のあまり、時間を切り取るのを忘れていたのです。私は四十八歳の私のまま彼女に告白してしまったのです。しかし、もう引き返すわけにはいきません。
「私は君のことが好きになってしまいました。上司と部下の関係なのはわかっています。でも、もう気持ちが抑えられなくなりました。だから、もし良かったら私と付き合ってくれませんか」
やけになって早口でまくし立てました。
「ごめんなさい、無理です」
彼女は戸惑いながら言いました。
「じゃあ、失礼します」

彼女は私を置いて、早足で帰ってしまいました。彼女が自分に好意を持っていると思ったのは、ただの私の勘違いだったのです。

次の日、私は会社に退職届を出しました。恥ずかしくて、もう彼女と一緒に仕事などできません。

今、私は三十一歳になりました。小さな出版社で営業の仕事に就いています。四十八歳の自分に嫌気が差して、時間を切り取ったのです。彼女はまだいません。三十一歳のときの元の自分とまったく変わっていません。

切り取った時間は今でも大切に保管しています。たまに時間を貼りつけて、四十九歳の自分になるときもあります。もしかしたら彼女の気が変わって、私と付き合ってくれるかもしれないから。

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