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運命図書館 第5章(短編小説)

良太は自分の本を読む勇気がなかった・・・はずだった。しかし、こうもいろいろな人たちの運命本を読んでしまうと、どこかでフィクションを読んでいるような気になってきた。現実とは違った作り話の世界。そう思うと自分の本もなんだか読めそうに思えてきた。とにもかくにも、自分が誰と結婚するのか、その相手がすぐにでも知りたかった。

良太はクニヤスの親父の本を返して以来、久しぶりに地元の運命図書館を訪れた。あの老紳士が良太をずっと待っていたように、カウンターの中に立っていた。
「いらっしゃいませ。もうそろそろお見えになると思っていました」
紳士が優しい笑顔で挨拶した。
「すみませんが、僕の本を貸してください」
良太に迷いはなかった。
「松原良太様の本ですね。少々お待ちください」
紳士は二階には上がらず、カウンター越しに振り向いて、棚に置いてある本を手にした。
「こちらです。どうぞ」
紳士はそう言って、良太に本を差し出した。

皮張りのB5版サイズの本は厚さが2センチにも満たなかった。表紙には金文字で「松原良太」とはっきり書いてある。
唖然としながら、良太は無意識に本を受け取った。今までの本に比べてとても軽かった。比較するべくもなく、とっても軽かった。過去の経験からすると、自分の人生は30代に達する前に終わりを迎える。良太はまだ27歳だ。あと3年生きられるかどうか、本はそれを良太に伝えていた。
図書館を出たことも、家までの道のりを歩いたことも、良太は覚えていなかった。

家に着いてからも何もする気にならなかった。本はベッドに投げ出されていた。良太には本をベッドに投げ出した記憶もなかった。

自分はもうすぐ死ぬのだ。結婚相手を知りたいなんて考えて、自分の運命本を借りてしまうなんて、自分はなんて愚かな人間なんだ。たぶん80歳くらいまでは生きていられるだろう、良太は何の根拠もなしにそう思っていた。誰かと結婚して、子供が生まれて、平凡ながら幸せな人生を送って、最後は妻に「ありがとう」って言って死ぬのだろう、と勝手に考えていた。そんな単純で何の面白味のない人生という壁が、目の前で崩れ落ちた。単純でもいい、面白味なんてなくてもいい。とにかく生きたかった。死ぬのが恐かった。死から逃げたかった。しかし、運命の本が正しいのは間違いなかった。体に力が入らず、良太はベッドに倒れ込んだ。

睡眠不足の日々が続いていたせいか、いつの間にか良太は熟睡していた。

次の日の朝、良太は目覚まし時計の音で目を覚ました。目覚ましの音で起きるなんて何か月振りだろうか。眠ったせいか頭はすっきりしていた。とりあえずは本を読もうと思った。自分の最期がどのような形になるのかを知りたかった。あきらめもあったのかもしれない。どうせならカッコよく死んでいたかった。

良太は1か月後に、同じ経理部の水元明歩と付き合っていた。美人でもなく、可愛いわけでもなく、かと言ってブスでもない、どこにでもいる普通の女の子だった。同い年で、胸も大して大きくなかった。自分がうつ状態で会社を休んだとき、家に見舞いに来てくれたのが水元明歩だった。そう、良太は自分の人生が短いことを知ってから、会社を休んでいたのだ。水元明歩は夕食を毎日作ってくれたし、昼休みには会社から電話もかけてくれた。きれいな女性ばかりに目がいっていて、これほど近くにこんなに優しい人がいたことに、良太はまったく気づいていなかった。良太は水元明歩に恋をした。恋の力か、うつ状態だった良太の心にも日がさしてきた。会社にも復帰し、良太は水元明歩と付き合い始めた。

二人の交際は順調に進み、良太は水元明歩にプロポーズするつもりで、婚約指輪を買った。水元明歩も良太のプロポーズに涙を流して喜んだ。

良太が書いていた通りの、単純で面白みのないストーリーだった。それでも幸せなスト―リーだった。このまま結婚して、子供が生まれて、平凡ながら幸せな人生が流れて、80歳前後に明歩に「ありがとう」と言って死ぬ、というストーリー。しかし、それほど長い人生を生きられないのは、残りのページ数を見ればわかる。

そして、死が訪れる。

その日、良太は朝寝過ごしてしまい、慌てて駅に向かった。駅は混雑していて、前には携帯電話の画面から目を離さずに歩いている男子高校生がいる。イライラしながら追い越そうとしたとき、男子高校生が足を踏み外してホームから落ちた。駅のアナウンスが電車の入ってくるのを告げた。良太はとっさにホームを飛び降り、高校生を助けようとした。
「2024年2月8日午前7時32分、男子高校生を助けようとして、電車にひかれて死亡する」
本はそれで終わった。

人を助けようとして死ぬなんて、カッコいいと言えばカッコいい。死に方としては上等な部類に入るだろう。良太は本の結末に満足した。

満足した? ちょっと待て。何を満足してるんだ。事故死なら防げるではないか。2024年2月8日に寝過ごさなければいいだけだ。そうすれば男子高校生を助けなくて済む。「自分の運命を知って、その運命を変えようとしてはいけません」というルールを破ることにはなるが、死ぬことよりひどい「とんでもないこと」などないではないか。何が起こるか不安はあるが、不安になるのも生きていればこそだ。死ななければ明歩とも結婚できる。なんと言っても結婚式は良太が死ぬ3日後の2月11日なのだから。

そうだ。前の日に明歩のアパートに泊まってもいい。そうすれば違う駅から会社へ行くのだから、もし間違って寝過ごしても、あの高校生と出会うこともない。自分は死なないで済む。それだけで気持ちがだいぶ楽になった。

良太は翌日、本を返しに運命図書館へ行った。紳士は留守だったので、本は返却ボックスへ入れた。

そして、月日は流れ、良太は本に書いてあったとおりの運命を生きていた。
3日間休んでいた良太の家に水元明歩が見舞いに来た。明歩は夕食を作ってくれた。昼休みには電話で体調を気づかってくれた。そして、良太は明歩に恋をし、会社に復帰し、明歩と付き合うようになった。明歩と初めて体を重ねて、お互いの部屋を訪ねるようになり、プロポーズし、明歩はそれを受け入れた。明歩を自分の両親に会わせ、明歩の両親にも挨拶に行った。結婚式は2024年2月11日に決まった。後は2月8日が過ぎるのを待つだけだ。

2024年2月7日、良太は明歩のアパートへ行った。明歩が作った夕食を食べ、明歩と一緒に風呂に入り、明歩と一緒のベッドに寝転んだ。幸せなひととき。誰にも邪魔されない大切な時間。

しかし、そこに邪魔者が入った。例の男子高校生だ。明日、いつもの駅に行かなければ自分は助かる。でも、あの高校生は死んでしまう。自分の幸せのためにあの高校生を死なせてしまっていいのだろうか。良太はすでに安田国丸の命を見捨てていた。そのうえ、男子高校生を見殺しにするなんて、良太にはできなかった。

「ごめん。忘れ物をしてきたから、今日は帰るね」
良太は明歩に言って、家に帰った。

いったい自分は何をやっているんだろう。今の自分は自分だけのものではない。明歩のためにも良太は生きなければならなかった。それなのにもう一方で、あの男子高校生を助けなければいけないという気持ちも消えなかった。なんで携帯電話に気を取られて駅のホームから落ちるやつを助けるために、自分は死ななければいけないのか。でも、ここであいつを見殺しにしたら、一生悔いが残るだろう。

そんなことを考えて眠れなかったせいで、朝寝坊をしてしまった。良太は慌てて駅へ向かった。駅は混雑していて、ホームにたどり着くための列ができていた。良太の前には男子高校生がいて、携帯電話の画面に釘付けになっている。このままホームまで行けばどうなるかはわかっている。ジ・エンドとなって、残るのは裏表紙だけになる。遅刻してでもいいからこの列を離れて、駅から出ていかなければならない。でもそうしたら、目の前の高校生が死んでしまう。
「ちゃんと前を向いてないと危ないよ」
良太は前の男子高校生の肩を軽く叩いて、そう言っていた。
携帯電話を見ていなければ、男子高校生はホームから落ちることもなく、男子高校生がホームから落ちなければ自分が死ぬこともない。それに気づいたのだ。

「うるせえな」
男子高校生はそう言ったが、携帯電話をバッグにしまってくれた。
7時32分着の電車がホームに入ってきて、良太は男子高校生と一緒に電車に乗った。何事も起きず、いつもと変わらない日常が動き出した。

運命のとおりに良太は2024年2月8日に死ななかった。しかし、「自分の運命を知って、その運命を変えようとしてはいけません」というルールを破ってしまった。「とんでもないこと」が自分の身に起きる。いつ? どんな形で? 自分はどうなるのか? 不安はあったが、とりあえずは死なないで済んだのだ。
                   <続く>

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