見出し画像

日曜美術館を見て(2022.11.13)

「廃仏毀釈」は明治政府が神道を国教にするために、長年に渡り神仏習合を基礎とした日本の宗教を分断した取り組みのこと。

天皇を神の子孫とすることで、日本をひとつにまとめる必要があったと言う。西洋と対抗するためには、そうせざるを得なかったのはわかる。しかし、その方針の結末が太平洋戦争への突入、敗戦となった。

諏訪大社も神宮寺であったが、寺部分は破壊され、仏像などが近隣の寺に避難したことで、現存する。各寺が守った仏像が諏訪市内の美術館に展示されている。

美術館巡りを始めたときは、絵を見に行くのが目的だった。

しかし、いくつもの美術館で、仏像を見る機会が増えた。そのひとつひとつには同じものはなく、作った人の真剣さ、誠実さ、もちろん信心深さが現れる。当時の技術の最先端が仏像作りだったのだろう。

僕自身は無神論者を自称しており、仏様を信心しているわけではない。

しかし、それぞれの仏像を見ていると、どれもすべてきれいで、精密な形体には心が洗われた気分になり、世間のモヤモヤを忘れられる。

宗教美術に神や仏が宿っているとは思っていない。ただ、仏像などを作り上げた人たちの心意気と命を懸けた熱意が感じられる。だからこそ、それを見た人の心も穏やかになり、透明になれるのではないだろうか。

今、神社仏閣巡りがブームになっているが、御朱印集めばかりに奔走するのではなく、ゆっくりと仏像と向き合う時間を持ってみたほうがいいだろう。
そこには現代人が失った時間のない時間が流れている。

もし、諏訪大社に行く機会があれば、諏訪湖の御神渡りの季節に行ってみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?