村田沙耶香『生命式』(更に3編)を読んで
『大きな星の時間』
この短編集の中では、風変わりなメルヘンチックな童話を読んでいるようだった。
しかし、ここにも非日常が姿を現します。みんな、大きな星(太陽)を嫌い、太陽が沈んでから街は賑わいます。
それでも、日常という名の街からきた女の子は「大きな星の時間」に外に遊びに出かけます。そこで男の子と出会います。男の子は非日常のこの街の中で非日常(つまりは日常)を生きています。ただし、女の子と違って、「眠る」ことを知りません。女の子と一緒に眠ろうとしても、どうしても眠れません。女の子はとうとう泣いてしまいます。自分が眠れないのが悲しいのか、男の子が眠れないのが可哀そうなのか。たぶん、女の子は男の子と一緒に寝たかったのでしょう。
そこで女の子は男の子に気絶しようと誘います。しかし、二人とも気絶の仕方がわかりません。
いつか二人が大人になったとき、『眠る』ことに対する憧れを忘れてしまうのでしょう。それがこの街の日常なのだから。
それでも一縷の望みはかけてみたい。二人が大人になって、抱きあって寝ている姿を見てみたい。
『ポチ』
これでもか、と難題を吹っ掛ける村田沙耶香に、どうにか追いつこうと必死に読んできたが、この小説には想像力より妄想力のほうが必要なようだ。
「ポチ」、「餌当番」、「小さな小屋」とくれば、当然犬のペットを想像する。しかし、その実態は「私のお父さんと同じくらいのおじさん」なのだ。
そのペットは「ニジマデニシアゲテクレ」と鳴くことがある。ここで初めて、このペットは編集者なのだろうと予測がついた。大手町で編集長と作家の板挟みにあっていたポチは、ストレスの波に溺れているところを、ユキに拾われた。
ある日、ポチの小屋が開いていて、ポチの姿が見えなくなった。大手町に引き戻されたねかと心配するユキとミヅホは、影に蹲っていたポチを見つけてホッとする。
「ニジマデニシアゲテクレ」、そう鳴くと、ユキの腕の中で寝てしまう。
どこの業界も大変な時代だが、ポチのストレスが解消されるには、まだまだ時間が必要なようだ。
もしかしたら、村田沙耶香は締切ギリギリにならないと原稿が書けないタイプなのでは?
『魔法のからだ』
僕は男性だから、女性の性欲については説明できるわけがないと思っていた。でも、人間だけでなく、その他の哺乳類にも性欲があって、だからこぞ生命を繋続けてきたのだろう。そう考えると、男性も女性も性欲には変わりなく、もっと言えば、人それぞれに自分の性欲を持っているものなのかとも思えてくる。ただ、思春期は性欲を持つことを恥じる世代でもあり、笑い事で済ませたい風潮はある。この主人公の瀬戸瑠璃は詩穂の影響を受けて、正常な性についての考え方を持てるようになったのだと思う。この小説に出てくる女生徒たちはエロ話をしているが、自分の恥ずかしさを隠す方法として女生徒は皆純粋なのだと思う。男子生徒もそれはまったく同じで、性欲に対する恥ずかしさが言わなくてもいいことを言わせているだけだ。瑠璃と詩穂が他の人と比べて純粋だとは思わない。たた、自分の意志を持てているかどうかだけが問題であり、答えは人の数だけあるのだろう。性の問題は自分自身で解決するべきことだと思う。村田沙耶香が瑠衣タイプか詩穂タイプかはわからないが、僕は瑠衣タイプだと思っている。詩穂タイプは小説など書く必要がないから。
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