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湖の記憶7(ミステリー小説)

「いったいどういうことなんだ?」
サトルは研究室に入るなり、机の脇に立っていた山口に問いかけた。
椅子にかけていたハゲ頭の男がサトルのほうに振り返った。男はすぐに立ち上がり、自己紹介した。
「はじめまして。私は東精大学医学部教授の谷口拓郎という者です。遺伝子を研究しています」
「よろしくお願いします」
サトルは谷口教授に勧められた椅子に座った。
「山口君、温かいお茶でも買ってきてくれないか」
山口は谷口教授から千円札一枚もらい、部屋を出ていった。

「今回のことは山口君から聞いています。山口君が嘘を言ったとは思いませんが、何か聞き間違えたのではないかと思いまして。直接確認させてほしい点がありましたので、本日は森本さんに来ていただいたわけです」
サトルが起きた出来事を話そうとしたとき、山口が自販機のお茶を三つ抱えて部屋に入った。
「間に合いましたね」
山口がほっとした声で言った。
「ああ、これから森本さんに話してもらうところだよ」
谷口教授が話を促すように、サトルの顔を見てうなずいた。

サトルは自分はプロのカメラマンで、湖を専門に撮影していること、ある湖に行ったとき初めて行ったにもかかわらず、ここには前にも来たことがあると思ったこと、観覧船に乗ったときある風景を見て、それが小さい頃夢で毎日のように見ていた場所だったことを話した。
「その夢は何歳くらいから何歳くらいまで見ていましたか?」
「たぶん初めて見たのは小学校一年生くらいだと思います。物心がついた最初の頃の出来事でしたから。夢を見なくなったのは小学生までかな? いや、中学受験のために勉強していたときにはもう見ていなかったから、小学校4年生までだったと思います。いつの間にか夢を見なくなって、あの湖を見るまではまったくそんな夢のことすら忘れていました」
「なるほど、そうですか」
「僕は不思議に思って湖のまわりを調査しました。そして古いお寺を見つけました」
サトルはお茶をニ口啜った。
「あっ、話の順番を間違えたかな。実はオレには幼少期の記憶がまったくないんです。まわりの友だちは幼稚園時代のことをみんな覚えているのに、オレには小学生からの記憶しかありません」
「まあ何歳から記憶があるかについては人それぞれで個別差はありますけどね」
「そうなんですか? でも両親だったら普通覚えているでしょう? 子どもが一番可愛い頃なんですから」
サトルの声に苛立ちが混ざった。
「なのに両親は何も話してくれないんだ。写真だって一枚も残っていない」
「確かにその点は不思議ですね」
「そんなわけで、そのお寺で自分の墓を見つけたときはびっくりしました」
「生年月日が同じで、死亡日が森本さんのちょうど記憶のない時期とぴったりだったんですね?」
「そうなんです。まるで五歳までのオレが死んで、新たに六歳のオレが誕生したみたいじゃないですか」
「偶然にしてはあまりにも偶然ですね」
「まあ、偶然って可能性もあるとは思いますが、こんな偶然が起こる可能性ってほんのわずかでしょう。それで、いけないことは承知で墓を掘り返して骨を一部取ってきたんです」
「そこで写真スクールで一緒だった僕に問い合わせてきたんです」
山口が横から口をはさんだ。
「そしてその骨と森本さんの検体をもらって、先生にDNA鑑定をお願いしました。そしたら・・・」
「鑑定結果は同一人物であると出ました。こんなことは本来あり得ない。だから、もう一度私自身が検体を取って、再鑑定させてほしいのです」
谷口教授は再びサトルにうなずいた。
「わかりました。オレだって本当の結果が知りたいです。再鑑定してください」
谷口教授は山口に綿棒と試験管を持ってくるよう指示した。
「今回は念のため、もうひとつ検体をいただきたいのですが」
「何を渡せばいいんですか?」
「髪の毛一本で結構です。ただし、毛根が付いた髪の毛が必要です」
サトルは髪の毛を抜きとった。二本抜けて、そのうち一本に毛根が付いていた。
サトルが手渡すと、谷口教授はビニールの手袋で慎重に受け取り、引き出しから出した封筒に入れた。封をしっかり糊付けした後、封筒に今日の日付と自分の名前を書き込んだ。

山口が戻ってきて、前回と同じように口腔を綿棒で掻き取った。谷口教授はそれを受け取ると、先ほどの封筒と一緒に奥の金庫に丁寧にしまった。
「これで準備は終了です。今回はいろいろな鑑定方法を試してみるつもりです。結果は2か月後にご連絡いたします。そのときにはまた来ていただかなければならないと思いますが、よろしいでしょうか?」
「もちろんです。スケジュールもありますが、こっちを優先します」
「ありがとうございます」
「よろしくお願いします」
山口はサトルと一緒に部屋を出た。
「鑑定の件、お金はいらないそうだよ。教授の個人的関心が大きいみたいだから」
「別に金を惜しんでなんかいないよ。ただ事実が知りたいだけだ」
「そうだよな。じゃあまた。今度たまには飲みにでも行こう」
「ああ、お互いに時間が合えばな。それじゃあ」
山口は木枯しの中、サトルの車が門を出るまで見送った。
                   <続く>

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