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オンライン授業に対応できない、障がいを持つある学生の話

大学1回生のとき、初めてのバイトとして家庭教師を始めた。受け持つことになった生徒は、音楽科に通う高校3年生の女の子。

音楽とアニメをこよなく愛し、優しく努力家の彼女は、発達障がいを持っていた。

彼女は周りよりも集中力が乏しく、覚えることが苦手だった。マンツーマンの授業ですら、少し考えているとすぐにウトウトする。決してやる気がないわけではないのだが、学校の授業はついていけないし、眠ってしまう。

用意された教材は中1の国語と英語だった。国語は読解を、英語はbe動詞からコツコツと教えた。3年生なので、高校のテストの点数も取らせなければならなかった。

彼女の努力の甲斐があり、大学は音楽科に推薦が決まった。しかしこの時、彼女は未だにbe動詞を完全には理解できていなかった。大学の推薦のため、私が「最低限の点数を取るための授業」をしていたせいもある。彼女が中学英語を学び直すには莫大な時間が必要だった。

大学の音楽科に合格したものの、英語の単位は必須である。私は家庭教師を続けることになった。春休みの間にまたbe動詞と中学レベルの単語から復習した。

彼女は大学1年生になった。私と週に2回2時間ずつ英語を勉強した。大学の英語は長文が読めること前提で授業が進むので、彼女はそのままでは授業についていけない。どこを読んでいるのかも分からない。私と2時間かけて大学の授業1コマ分予習する。分からない単語を調べてきてもらうのだが、出てくるほとんど全ての単語を調べてくる。

相変わらずすぐにウトウトしてしまうし、何度も何度も同じ説明をした。10回以上出てきた構文も、次出てきた時には残っていない。それでも復習し、説明し直し、練習問題を解き直す。私も彼女も根気強くやるしかなかった。

彼女は頑張った。週2の90分の英語授業に対して、3時間ずつの予習をして挑んでいたのだ。授業中は相変わらずウトウトしてしまうようだが、自分の口で教授に障がいのことを説明して配慮をもらっているようだった。サポートセンターでノートテイキング支援も受けていたが、テストを受けるのも授業を聞くのも結局は彼女だ。乗り越えなければ音楽科を卒業できない。頑張って頑張って、1年生の科目はフル単だった。

彼女が2年生になった春休み、履修を組むのを手伝った。彼女は履修制度が分かっておらず、登録されている必修を取れば卒業できると勘違いしていた。大学の履修要項を確認し、一緒に登録した。彼女は体調不良以外の理由で大学をサボったりしない。文章を書くのが苦手でも、頑張ってレポートを提出する。だから大丈夫。

な、はずだった。

大学の授業が全てオンラインになった。

ありとあらゆるアプリを駆使してオンライン授業を受けなければならなかった。スケジュールを自己管理しなければならなかった。パソコンを使いこなして課題を提出しなければならなかった。彼女はそういうことは苦手だった。

そして何より、彼女の持っているハンデや努力の一切が伝わらなかった。

私は英語の授業のサポートをした。英語の授業そのものをするだけでなく、サイトの使い方、授業の受け方、教授とのメールの仕方を教えた。コロナの影響でご家庭の経済状況も悪くなり、週2の指導日が週1になった。余裕のない中でも必死のサポートをしてきたつもりだ。英語以外の科目は課題の提出締切日を確認させ、スケジュール表を作った。大丈夫か聞くと、どうやら上手くいっているようだった。

しかし残り3週となった今日。事件が発覚した。上手くいっていると答えていた授業のなかで、4科目も、授業を受けれていなかったのだ。私の確認不足だった。

彼女は、授業がないと思っていた。そんなわけないだろうと思うかもしれないが、彼女は大学から来るお知らせの見かたを知らなかった。実際に授業の配信がなく課題だけのオンライン授業も沢山あるので、気が付かないということも頷ける。

彼女と同じくらい私もショックを受けた。泣きたくなったし、怒りたかった。でも彼女はどうしたって悪くないのだ。サポート不足の大学が悪いのだろうか。オンライン授業に慣れていない教授が悪いのだろうか。分かりにくいサイトが悪いのだろうか。どれもそうだとは思えなかった。

彼女を慰め、ダメ元で教授に連絡をさせ、もう一度サイトの使い方を教えた。自分の大学ではないのに、私は彼女の大学の履修制度やサイトの使い方に彼女以上にすごく慣れてしまった。

彼女はプロ奏者を目指している。どれほど難しいことなのか彼女がどんなレベルなのか、音楽を知らない私には分からないが、留学もしたいそうだ。勉強もその辺のちゃらんぽらんの学生よりもずっと頑張っている。なのに、オンライン授業の参加方法がわからない。努力や苦労もわかって貰えない。「不可」のひと言で済まされてしまう。

音楽科の独自の授業(演奏などの実技科目)もオンラインでは満足にいかないようだ。そりゃそうだ。高い学費と大きな努力を支払って入学した大学。彼女の大学2年生の春学期。学びたい音楽は思い通りに学べず、受けなければならない音楽科目ではない英語やその他教養科目の「パソコン対応」に苦しめられる大学生活となってしまったのだった。

高校3年生の彼女の入学を、大学は許した。私と高校は入学後困らない英語の力を授けることができなかったし、大学は発達障がいを持つ生徒のサポートができていなかった。でも推薦したし、合格をさせた。

発達障がいは目や耳が不自由だったりするのとは少し生きにくさが違う。一括りに堂々と障がいを持つ学生へのサポート十分だと胸を張られても、行き届いていない。家庭や学生自身はいくら努力をしてもスムーズにはいかない。

社会として、このような学生をどう支援していけばいいのだろうか。どうしていくのが正しいのだろうか。社会として、このような若者に対してやりたいことや才能を尊重してあげることは可能なのだろうか。

何でも数字で判断できてしまう現代社会。「測りすぎ」なこの社会で、「測れないもの」を尊重するには、何が足りないのだろう。

みんなが普通である必要はないだろう。普通なんかない。彼女が彼女らしくあるために、私が私らしくあるために、あなたがあなたらしくあるために、この社会には何かが足りないと思ってしまう。

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