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第1話:港町ヨコスカへ

ワタシ、山口 瑞樹(やまぐち みずき)は赤い車両の京急電鉄快特・三崎口行に乗車していた。在来線とは思えないスピードに揺られながら新しい勤務地である横須賀に向かっている。
 
 
大学卒業後、毎朝(まいちょう)新聞社に入社し2年目で総理番の担当になった。総理の分刻みのスケジュールに合わせ、総理を見失わないように注視する仕事に没入しそれなりにやりがいも感じていた。
夜は記者クラブのデスクで突っ伏して寝るのも当たり前、食事は常にインスタント食品の早食い、服は同じ濃紺のパンツスーツ3着を着まわしているだけで、女子力とは縁遠い。お風呂に数日入れないことも日常的になっていた。
 
毎朝新聞社のみならず総理番はハードな業務だ。担当は1年交代が暗黙のお約束だったが、ワタシ自身が総理官邸周りの人に気に入られていたこともあり、気づけば3年目に突入していた・・・・
 
そんなある朝、政治部長から本社への呼び出しがあった
 
「おめえは明日から神奈川支局の三浦半島全般の担当やってもらうから、さっさと荷物をまとめとけよ!!
総理番は今この瞬間で終わり!!
向こうの家は支局のセンドウに段取りさせてるから自分で調整してあとはテキトウにやっとけ!!」
 
と電話番号だけが書かれた紙を渡され、頭の中が真っ白になった
 
『なんで・・・・???ってかセンドウって誰??』
 
東京で生まれ、東京の下町の食堂を営む両親の娘として育てられ、そのまま東京で仕事をしてきたワタシにとって三浦半島は彼氏とドライブで行ったことがあるくらい。その彼氏とも就職してからは音信不通だ。
『あ、髪傷んでる、最後にカットしたのいつだったっけ…』
 
車窓をいくつかのトンネルが過ぎると湾曲したホームに赤い電車が滑り込む。

横須賀中央駅ホーム

「横須賀中央、横須賀中央でございます。電車とホームの間が広くあいておりますので足元お気をつけてお降りください」
少し鼻にかかった声の車掌アナウンスに促されホームへと降り立った。

***

 
 横須賀支局の船頭(せんどう)記者とは横須賀中央駅ペデストリアンデッキ(通称Yデッキ)のある東口改札口で待ち合わせをしていた。
 
 『そういえば船頭記者の顔知らないな・・・・』
 そう思いながら、東口改札を出る。

Yデッキ

キャリーバッグが鈍いきしみ音をたてている。
とりあえず生活できるだけのものを無理やり詰め込んできた。
 
スマホ画面の時間をみると約束の時間にはまだ10分ある。ペデストリアンデッキの銅像前ベンチに腰をおろすと、短い溜め息をついた。
 
『横須賀って港町のイメージだけど全然海見えないじゃん。
 駅前は意外と普通なのねぇ・・・・地方都市って感じ』
「人口約38万…っと」スマホで検索していると
 
 突然社用携帯がなる。

「山口さん??船頭です。今どこにいるの?」
「楽器吹いてる銅像の前にいます」
 「あ、そう。僕車で来ているから、エスカレーターでデッキの下に降りてもらうとタクシー乗り場に車停めてるから。車はスズキのジムニーで色はイエローね。見たらすぐわかるよ。じゃあ、よろしく~。」
 
 一方的に電話が切られた。
 
 ワタシはエスカレーターで下に降りながら鮮やかな黄色のジムニーを確認した
 助手席側の窓ガラスをノックすると、サングラスをかけたやくざ風のあごひげを蓄え、季節的にはまだ早いジムニーと同じ色のアロハシャツを着たオジサマがこちらを向きながら、パワーウインドウを下ろす。
内心『コワッ』と思いながらワタシはやくざ風のオジサマに軽く会釈した。
 
 「山口さん?こんちわ。荷物はトランクに積んで~。
 車が小さいから座る場所、助手席しかないんで。
 おっさんの横に座るの嫌かもしんないけどガマンしてね。
 僕は船頭 一翔(せんどう かずと)っていいます。
 よろしくね~。」
 
 私が助手席に乗るやいなや黄色のジムニーは走り出した。

***

10分ほどで社の横須賀支局に到着。
 
 「ここはテナント借りて駐在所にしてるんだよね。地名は日の出町ってところね。市役所も警察署も消防署も近いから取材には便利だよ。
山口さん住むとこどうするの?
あ、支局の近くに借りたんだったね。
内覧もしてないの??本社は忙しいもんね~。
ちなみに横須賀駐在は僕ともう1人だけで、三浦半島全体で僕含めて4人いるんだ。三浦市に1人、葉山・逗子方面に1人ね。
 今日は僕が非番で相方は今、取材中なんだよ。あとで紹介するから。
 ちなみに僕はあと1年で定年だから山口さんに横須賀市を引き継ぐって話。
 ん?聞いてないの?
 まあ、政治部長らしいね。彼、僕の同期なんだよ。昔からそんな感じのぶっきらぼうでさ。仕事はできるんだけどね。
 家近いんでしょ?鍵は?
 郵送で受け取ってるんだ。了解で~す。
とりあえず荷物おいてきてから昼飯でも行こうか。」
 
ワタシは船頭記者の一方的なマシンガントークに圧倒されながら駐在所を出た。
キャリーバッグを転がしながら、内覧せずに借りたアパートの2階に上がり恐る恐る部屋に入るとカーテン越しに陽が差し込んでいた。1Kの部屋で家電備え付け、電気・ガス・水道がすぐ使えるよくある物件。布団は新品が届くことになっている。
 
 『とりあえず生活はできるな・・・よかった』
 
 とワタシは心の中で呟きながらキャリーバッグを置いて駐在所に戻った。
 
 船頭記者はまごの手で背中を掻きながら誰かと電話をしており、ワタシは勝手にお茶を入れて事務所内を観察してまわっていた。
 電話を終えた船頭記者が腰を擦りながら立ち上がる。
 
 「部屋はどうだった?2年も総理番やってたんなら、久しぶりに人間らしい生活が送れるよ」となんだか嬉しそうだ。

「じゃあ、飯にでも行こうか。せっかくだから天丼の岩松で決まりだな。」

すでにランチタイムから時間が外れていたせいか天丼屋は空席が目立っている。こじんまりとした造りの店だったが揚げたての穴子と海老がのった天丼はさくさくとして美味しく、ワタシは久しぶりのまともな食事をあっという間に平らげた。
 
食後、お茶を啜りながら船頭記者が話し出す。
 「早速なんだけどね、明日の夜、海上自衛隊と記者クラブの懇親会が田戸台ってところであるんだよ。せっかくだから挨拶も兼ねて参加してね。
 今日はこれから市役所と警察署等々の記者クラブとか広報室にあいさつ廻りだけして終わりにしようか。
 ボチボチ慣れていってくれたらいいから。
 横須賀は海上自衛隊と米軍がいるから結構取材する機会は多いからさ。」

***

次の日の夜、ワタシと船頭記者はタクシーで田戸台分庁舎に向かった。
慌ててスチームがけしたパンツスーツが何だかまだ皺っぽいのが気になっていた。
船頭記者はワタシの横でクリーニングのタグを外しながら、ちょっとキツそうなスーツに身を包んでいる。
 
 前日の夜に海上自衛隊横須賀地方総監部の勉強をしたものの、そもそもワタシ自身自衛隊になじみがなかった。付け焼刃知識のまま階級一覧をポケットに忍ばせ、緊張しながら懇親会に臨んだ。

田戸台分庁舎(外観)
田戸台分庁舎(室内)

門の前で受付を済ませ、中に入ると洋風建築の立派な建物が佇んでいた。少し前まで咲き誇っていた名残の桜が客人を出迎えている。
室内も昔ながらのシックな作りでタイムスリップしたような錯覚を覚える。


 会場に入ると袖に金線を巻いた海上自衛隊の制服を着たお偉いさんが各々談笑していた。
 「懇親会の始まる前に」と船頭記者が私を引っ張りまわして次々に名刺交換をしていく。
 あっという間に名刺入れが一杯になるほどのスピードに顔と名前が一致しない状況だったが、名刺交換は今後の取材活動の第一歩だ。
 
 
今回の懇親会は海上自衛隊と記者クラブ間での春の定期異動に伴う顔合わせという主旨だったようだ。
 主催者は、海上自衛隊横須賀地方総監の五辻 蔵之介(いつつじ くらのすけ)と案内に書いてあった。
 懇親会の冒頭挨拶で主催者である五辻総監が自己紹介も兼ねて壇上で話し始める。
 五辻総監は昨年の12月に横須賀地方総監に配置になったばかりの56歳のダンディーなオジサマ。一目で偉い人だとわかる階級章のついた制服が板についている。「長じて船乗りでしたが、30年前は幹部候補生学校で青鬼を勤めていましてね」と話している。
 
 『ん??青鬼ってなに??
 
 ワタシの中で、「青鬼」というワードが頭に残っていた。
 
 数少ない女性ということもあり、多くの参加者が次々に話しかけてくれるものの自衛隊の話についていくだけで精一杯。愛想笑いも引きつり気味だ。船頭記者はすでに酔っぱらっているのか壁側の席で他社の市役所付記者クラブ担当と談笑している。
 
 気づくと五辻総監がワタシに向かって颯爽と歩いてくる。
 
「あなたは毎朝新聞社の山口さんでしたね。先ほどはご挨拶ありがとう。
 昨日、横須賀に転勤してきて早々大変ですね。
 あなたのような若い女性に海上自衛隊を取材してもらえたらこちらとしてもありがたいことです。よろしく頼みます。」
 
 ワタシはその笑顔につられて、おもむろに五辻総監に疑問を投げかけてみた。
 
 「五辻総監は昔、幹部候補生学校で青鬼をされていたとおっしゃっていましたが私は恥ずかしながら正直、自衛隊のことが全く分かっていません。
 青鬼とは何のお仕事をされている役職なのでしょうか?」
 
 五辻総監は一瞬、怪訝そうな顔をされたがすぐに笑顔になり、
 
 「そうですよね。自衛隊のことがお分かりにならないのであれば無理はないでしょう。せっかく横須賀に来られたことですし、こちらとしても将来ある記者さんに海上自衛隊のことを知っていただきたい。
 今日はもうすぐ懇親会もお開きの時間です。
 副官からあなたにご連絡させるのでスケジュール調整をさせていただいて、横須賀地区の海上自衛隊をご案内させましょう。
 青鬼についてもその時ご説明する時間を設けましょうね。」
 
 五辻総監はそう言って、制服を着た若い海上自衛官を呼びワタシは名刺交換をした。名刺の役職には“副官”と書かれていた。

***

帰りのタクシーを待っている間に船頭記者に五辻総監とのやりとりを報告した。

 「それは儲けもんだね。僕もご相伴に預からせてもらおうかな。

青鬼についてはネットでも調べられるけど具体的な雰囲気は私たちには分からないからね。

 経験者ご本人からお話が聞けるなら楽しみだね。」

 ワタシは慣れない雰囲気の中にも、不思議な好奇心に掻き立てられていた。タクシーで五辻総監のジェントルマンな振る舞いの余韻に浸りながら、船頭記者のイビキをBGMに田戸台を後にした。

つづく

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