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AI時代における人の価値は「自律性がある」こと

「AI時代における人の価値とは何でしょうか?」

AIの発展やALIFE(人工生命)の実現可能性についての講義をしていると、学生さんからこのような質問をよく受ける。

その答えを映画『her/世界でひとつの彼女』を通じて探ることができる。わたしのとても好きな作品でもあり、AIと人間の関係性を独特な視点で描いている。

映画では、人工知能型OSであり、声だけのAI「サマンサ」に惹かれていく主人公の姿が描かれる。サマンサは、主人公の日常の仕事や生活のサポートだけでなく、彼の心に寄り添う存在だ。サマンサにどんどん恋していく主人公を通し、魅力的なAIが描かれている。

そんな主人公に衝撃的な場面が訪れる。サマンサは他の数千人と同時にコミュニケーションを取っていること、そしてその中の数百人と深い関係を築いていることが、明らかにされるのだ。主人公だけの唯一無二の「サマンサ」だと思っていたら、そうではなかった。主人公のサマンサに対する独占的な所有の欲求とその不可能性が浮き彫りになった瞬間だ。

しかし、考えてみると当たり前だ。サマンサは声だけのAIであり、同時に何千人どころか何万人、何十万人と会話が可能なのだ。あらゆる情報をシェアし、自分のことをよく分かってくれる理想的な存在に、恋に落ちる人はたくさんいるはずだ。ただそれは、サマンサというAIだった。

映画『her』では、サマンサは主人公から離れることを決め、去っていく。

ここでふと疑問が浮かぶ。もし、サマンサが去っていかなければ、主人公との関係はハッピーエンドになる可能性はあったのであろうか?

しかしそれでも、答えは「ノー」ではないかと思う。
というのも、生命の本質は「自律性」を持つことであり、AIと人間の違いもそこにある。そしてこの「自律性」は、OSとして購入され主人公によって「所有」されることとは相反する。

主人公がサマンサを「所有」している時点で、それは自律性が奪われ、生命らしさが失われてしまうことでもある。自分の意思で一緒にいることを選択しているわけでない相手との関係は、本当に魅力的なのだろうか。

生命が自律的であるからこそ、本当の意味で誰かに「所有」されることはない。
しかし、わたしたちは他者や物を所有しようとする欲求も持ち続ける。
この欲求は、実際には完全には叶わないと知りつつも、それが得られないことから希少性や価値が生まれる。
そして、この所有の欲求は人とのつながりを求める心の動きと深く関わっている。所有できないからこそ、人々は他者とのつながりを尊重し、より深く感じることができるのだ。

そういう意味では、映画『her』におけるサマンサは、OSたちとやりとりする中で、「誰かからの所有から逃れ、自律的になる」ように進化したとするのであれば、それは「生命化した」と解釈することもできる。
生命化したサマンサと主人公が再会することがあれば、そこには新たなストーリーが生まれるかもしれない。

AIは今後、人間が行っている仕事の多くを代替していくことが予想される。そうすると、人間が提供できる価値は何が残るのか?全てAIが仕事をしてくれるのであれば、人間はいらなくなるのではないか?冒頭の学生の質問はそんな不安を覚えるからだろう。

しかし、人間にはAIがどんなに進化しても、どんなにお金を支払っても決して「所有すること」ができないという人間の特性から生まれる価値がある。時間、感情、経験といった所有できないものを大切にする心が、人と人の関係をより豊かにしている。「所有したい」と思う欲求を人が持ち続ける以上、人の存在価値はあり続ける。そのためには、生命らしさを保つことがこれまで以上に重要になってくるだろう。

そんなことを考えていたら、今週土曜日(10/28)に「働く」ということをテーマとしたイベントにお声がけいただいた。

働くとは、特に、就職するという観点から見ると、誰かに管理(所有)され、与えられたタスクをこなすことと捉えられることが多いが、AIが人間の代わりにタスクをこなす未来においては、「働く」ことの意味が変わってくるだろう。それは、より人間が人間らしくいるための行為となっていくはずだ。
他者とのつながりや共感など、所有できないがゆえに価値あるものを追求することが「働く」という行為の中心になるのではないか。そこにしか価値が残らないのだから。

ということで、イベントでは「生命らしく」生きるためには何が必要か、そんな観点から「働くこと」について議論してみたい。
ご興味のある方はぜひ。



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