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生きる

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ー破壊そして再生へー
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2020年1月の記事一覧

(何か)になりたい私たち

何かになったら終わり。何かになってしまったら、この人生ゲームはアウト。私たちは、この世界で何かになろうと必死にもがいているが、何かになった時点で、私たちは自分の本質を見失う。 何かになるという事は、何かの形になり、そして凝固するという事に等しい。 何かになりその形に固まった時点で、その人の人生は終わる。 考えるべきは、いかにこの世界で、自分の事を固めずに生きられるか?という事に尽きる。 大切なのは何かになる事ではなく、自分が何であるのかを知るという事。

自然に倣え

私たちは何かになろうと日々努力している。一生懸命自分というものを形作ろうと日々奮闘している。でも、よくよく考えてみたのなら、そんな事をする必要はないという事に気付かされる。 ただそのままにあればいい。でも、私たち人間からしたら、そのただそのままにあればいいという事がとても難しい。これがなかなか簡単にできない。 自然に倣えという尊いことばがある。この言葉に倣って自然を観察してみた。 私たち人間と自然の間にある差は一体何なのか? 私たちは日々何かになろうと奮闘している。で

罪悪感という名の呪い

自分のせいで、大切な誰かが傷付けられたという経験を持っている人は、自分の行動を極端に制限してしまう傾向にある。 自分があのような事を言わなければ、しなければ、あの人を傷つける事はなかった。こうした認識は、殆どの人が幼少期に持つものであると考える。 自分が好き勝手な事をしたり、言ったりしたことで、自分の親が批判されたり、他者にバカにされたりするのを見ると、子供はその責任を全て自分に見てしまう。そして自分のせいで、自分の大切な親が他者に否定された。他者にバカにされたと子供はそ

苦悶というご馳走

ちょっとしたことで相手の人生が彩り豊かなものになるのなら、そのちょっとした事をしてあげればいいのだが、そのちょっとしたことをあえてしない人が世の中にはいる。 これをしてあげれば、この人の心は満たされると言う事がわかっていながら、あえてそれをしてあげようとしない人がいる。 してあげれば、その人の人生が彩り豊かなものになり、楽しく充実したものになるのはわかっている。けれど、あえてそれをしてあげようとしない人。 彼らは、そういった人たちが幸せになる事を求めてはいない。彼らは、