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#自己認識

認識する事の出来ない苦しみ

自分は虐待されていました。そう言えるだけまだまし。本当にきついのは、虐待されていたことを認識出来ない事。笑い話にしてしまう事。 他人が聞けば引きそうな事を淡々と笑い話にしてしまう事。虐待があったことをそう簡単に人間は直視する事が出来るんだろうか? 私は虐待されていましたという言葉をよく聞くが、そう言えるだけ、そう自分の頭で認識出来るだけまだましなのではないだろうか? 人間本当に苦しい事は意識から完全に消える。でなければ生きていけないから。辛い過去は心の深くに沈めてその上

親の為に子は笑い、そして自分を失う

親の為に私たちは笑う。特に何もおかしくもない事でも、愛想よく笑顔を振りまく。 何も嬉しくない。何も楽しくもない。でも、一生懸命笑って、面白いという振りをする。何故、そんな事をするのか?と言われれば、親がそうした事を私たちに強要するからだ。 自分のしたことを認めて欲しい親は、いちいち自分のしたことに対して私たちから、ポジティブな反応をもらおうとする。 何も面白くないし、楽しくもない。でも、それが自分の親が計画、発案した事である場合、その全てに私たちはポジティブな反応を求め

素直でいい子になっていたら自分は潰れる

そう簡単にこの世界にある色々な事に納得してしまわないで。もっともっと深くまで色々な事を疑って!!なんにでも、素直に反応するんじゃなくて、とことんまで、自分が納得いくまで自分の目の前にあるその事象を疑ってみて!!いとも簡単に自分のその目の前にある事象を自身に受け入れては駄目。 そんなにいい子になって、何でもかんでもすんなり自分に受け入れては駄目。何でもかんでも疑ってみて!!何でもかんでも自分のものにしないで!!自分の中に受け入れないで!! 自分を守るには、今自分の目の前にあ

無気力の正体

ねえ見て!!という自分に何の反応も示してくれない親。 ねえ聞いて!!という自分に何も耳を傾けてくれない親。 そんな親の元にずっとあると、だんだんと生きているという事がしんどくなっていく。ここに自分は在るけれど、その自分が誰にも認識されない。 これ程に苦しい事はない。ねえ見て!といったときに自分に関心を以って見てくれなければ、子供は当然親に対して、この人は自分に何の興味もないんだ!とそう思う。 ねえ聞いて!といったときに、その話をじっくりと聞いてくれなければやはり、子供