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「ドラッカー365の金言」の1月19日は「社会の目的 - 位置付けと役割を持たなければ、見捨てられし者、根なし草」である。退職して会社(社会)から離れてしばらくすると、本当に疎外されている気がする。

今日のアクションポイント
退職して会社、すなわち社会との関係がなくなると本当に疎外された気分になる時がある。その時は、今後自分なりに社会と関わるには、どうしたものか?と自問してみよう。

友と言っても後輩であるが、彼は65歳となる今月(2024年4月)を持って会社を退職する。定年退職後の再雇用も終わりやっと会社から解放される。ラグビー観戦友でもあり、3月末に、他の友と四人でラグビー観戦し、その後飲んだ席で「もう、十分です。41年働いてやり切った感もありますし、当分は専業主婦だった妻と共に小旅行でもしてのんびり暮らします」と言っていた。彼の気持ちはよくわかる。40年以上働くとやり切った感満載で燃え尽き症候群である。当分は好きなことだけして暮らしたい。できれば一生。

私も3年前65歳になった誕生月に退職した。当時はコロナ禍でもあり、不要不急の外出は禁止、人と会うのも憚れた状況なので基本的にずっと家にいた。早朝人のいない時に散歩したり、本を読んだりしてダラダラと過ごした。外資系企業は60歳を過ぎて再雇用しても仕事の中身は変わらないので、当然給与は変わらないし激務の毎日であった。それから解放されてのんびり出来た。しかし、半年もすると退屈の毎日に飽きてきた。ワクチンを打った後、まずは鈍った身体を鍛え直すためスポーツクラブに入会した。平日昼間は私よりずっと年上の75歳以上がほとんどで、なんか自分も凄い歳とった気がして気分が暗くなるので退会した。75歳過ぎたら、また入会しよう。
既に退職していた今年71歳になる先輩は横浜市が関係している肉体系ボランティアをしていたので、同じボランティアに入った。まだコロナの流行が終わった訳ではないので活動は制限されていて、年会費だけ払ったが活動はなかった。その後、他に2つ地元で活動する横浜市が関係しているボランティアを行った。ただ、本来であれば横浜市がやるべきことをボランティアに丸投げしている気がしたので、それもやめた。高齢者の社会参加意識を利用しているような感じがして、何か違うなと。
ケンブリッジ英英辞典ではボランティア(volunteer)とは「快く、報酬を得たり、強制されずに自発的に何かをする人、特に他者を助ける人」と解説している。(ウィキペディアより)
とあるように、ボランティアをするにしても、今多くある行政が高齢者の社会参加は必要だという政策から用意されたのは、自分には合わない。他人が引いたレールの上を歩く会社勤めと何ら変わらない気がする。やはり、自発的にこれは社会にとって必要なことだから無償で行うと、自分で探して始めないといけない。と思い活動しているところですが、問題だらけの現代社会をより良く変えようと思うと、色々行政側の壁にぶつかる。これもまた生きる醍醐味ではないか。