満月
カチャン。そっと回したはずの玄関の鍵が、寝静まった家の中で思ったよりも大きな音を立てた。扉を開けて外に出ると、まだ満月が空を高く照らしている。
「何分の電車かいね」
「5時半」
頷いた父親が先に玄関先の門扉を開け、階段を降りて車に乗り込む。3週間前に父と私で代わる代わる運転して広島まで連れてきた、川崎ナンバーの白のアウディが、閑静な住宅街に獰猛な低音を響かせる。
高校時代も、こうして毎朝駅まで車で送ってもらっていた。朝練のある日でも流石にもう30分遅かったし、運転していたのは祖父で、乗っていたのは白のトヨタだったけど。
早朝の住宅街の道路はほとんど車通りもなく、思っていたよりもスムーズに駅に着く。
「気をつけて帰りぃね」
「うん、また連絡して」
高校時代は駅員さんが立っていたこの駅も、今では完全な無人駅。真新しい自動改札機の上部で光るICOCAのパネルにSuicaをかざし、階段を降りたところで聞き慣れない機械音声が流れた。
ーーまもなく、1番線に5時30分発、広島行きが参ります。
いつも黄色のディーゼルカーが来るホームに、早朝だからかオレンジの車両が2両やってきた。ビニールのスポーツバッグを床に置いた制服姿の学生ばかりが、ぽつんぽつんと座っている。
自分がオフィスカジュアルを着て化粧をしているのを忘れそうだった。
***
新幹線の中で駅弁のあなご飯も食べ終え、もうすぐ名古屋に着こうとする頃、父親から「電話くれますか?」というメールが来た。
なんだろう。何か忘れ物したかな。それとも川崎の家でこれを探してくれっていう頼みごとかな。
そう思って、新幹線のデッキで電話をかけると、父親が静かに言った。
「先ほど、お祖父さんが亡くなりました」
昨日、病床でふたりだった時に握った力の無い手を思い出した。苦しそうな呼吸音。焦点を結ばない瞳。でも、認知症が確定した祖母を両親が施設から連れてきたら、土気色だった頬がわずかに紅潮したのだった。祖父の余命宣告がキッカケで見当識を失った祖母は少女のようにただただ「かわいそう」とべそをかいていたけれど。
中秋の名月でスーパームーンだと話題になっていた一昨日の月。羽田を飛び立った飛行機の窓から見えた、宝石箱のような夜景を照らす月が頭に浮かんだ。巨星墜つーーそんな言葉が脳裏をよぎった。
***
「今から来てもあなたがやることはないから、ゆっくり戻ってきんさい」
父親にそう言われて、予定通りそのまま東京の職場に出勤して引き継ぎを済ませ、急ごしらえの香典をありがたく受け取ってから一度帰宅。両親に頼まれた喪服や数珠を鞄に放り込み、溜まっていた郵便物をひっつかんで17時頃に再び新幹線へ。
新横浜駅の夕焼けは、今朝の広島駅と同じ、穏やかな淡いピンク色をしていた。
「1日の間に8時間も新幹線に乗るの、初めてだな」
いつもと同じ、海側の窓辺の席を押さえたけれど、今朝も見た景色だし、すぐに真っ暗になってしまった。それでもどうしても目を閉じる気にならなくて、一昨日から少し欠けた月と暗闇に目を凝らしながら、流れる風景を追い続ける。
21時過ぎ。そろそろ降りようと荷物を整え、ふと頭をあげると窓辺が真っ白な光に照らされた。つい最近、駅の近くに移転してきた、広島の復興の象徴。電光掲示板に表示された得点は新幹線の中からも確認できた。
「なんじゃ、カープ負けよら。しっかりしんさい」
ステテコ姿で野球中継をみる祖父を思い出し、ぼやけた視界でふふっと笑った。
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