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推しなんかに私の好きを裏切られてたまるか 映画『成功したオタク』感想

『成功したオタク』感想

過去映像の中での監督はとても可愛らしい人だった。推しのために韓服を着て行って、狙った通りに服装から認知されて、「可愛かった!?」と聞けば「可愛いかったよ」と返してもらえて、わかりやすく舞い上がっていて、もうめちゃくちゃ可愛かった。今この子が世界で一番幸せなのだろうと思える笑顔だった。

それが全て、推しが性加害で逮捕されたことにより、潰えた。ことへのドキュメンタリー映画だった。
見れば見るほど監督が、若いうちに人生を推しに預け切っていて、でもそのお陰で頑張れていたのだとまざまざと見せられた。本当に監督は『成功したオタク』なのだ。推しが逮捕されるまでは、間違いなくそうだった。
「初めての遠征、初めてのホテル、初めて買ったCDアルバム、全てが推しだった。でも初めての裁判所は、要らなかった」の字幕が目に刺さった。

「幼い頃から、私達は想像の世界で、こうなりたいなという自分像を作り上げる。それに対して推しは、自分の世界を作ってその中で輝く人だ。
学校で先生に叱られても、推しの世界に行けば、私は間違っていないのだと思える。
しかし推しが逮捕されて、虹だと思っていたものが蜃気楼に過ぎなかったと種明かしされてしまった」

この作品に出てくるオタク達は、どこかで諦めや嘲りや後悔を含んでいる分ものすごく自分のオタクとしての在り方に自覚的だ。推しが捕まってから、どれだけ過去の自分と向き合ったのだろうという言葉が詰め込まれてる。

厳しい現実の世界から離れて、推しが作ってくれた世界でする呼吸はどれほど心地良いか。
推しは自分の世界で自分に無尽蔵の光を当てて生きる人で、その人に肯定してもらえるなら現実なんて何でも良くなってしまう。
推しは推しの世界の中での神様みたいで、ファンは信奉者のような構図だなとこれを聞いて改めて感じた。しかし推しが性加害者となれば、信仰は途端に踏み絵に一変するのだと語られるのがまた……推しが熱心なファンに与える影響力の大きさを思い知る。

「永遠に憧れ続けられる人は、この世を去った人だけだ」そう語る彼女はパンフレットを読むに、インタビューの最初に「性加害者なんて人間じゃないよ。死に晒せ」の激情をぶつけたあの子の1年半後の姿のようだ。
つまり推し逮捕後死を願い辛辣になじった1年半後、「生きている者は、多かれ少なかれ致命的な欠点がある。死という決定的な断絶を経ないと、人間に憧れとして当て嵌め続けるのは難しいのではないか」という結論に至るんです。

私はこの言葉に大いに同感した。ドラマ『カルテット』の「いなくなるのって消えることじゃないですよ。いなくなるのって、いないってことがずっと続くことです。いなくなる前よりずっと傍にいるんです」の言葉に近いものを感じる。
この言葉は行方不明の夫に対する発言だけども、死ってこういうことじゃないだろうか。
死んでしまった人間とは、2度と現世で肉体的接触をすることは無い。それくらいパワーが大きい「不在」が続く。あくまで個人的な感覚の話になるのですが、その不在って大きなテディベアみたいな形をして自分の心に居座るように考えています。
このテディベアは、きっと現世にいた故人とはどこか異なる容貌だったり性格だったりして、良い意味で現世を生きる人間の都合の良いように捻じ曲げられる。それは生者にしか出来ないことだから、故人には文句言う筋合い無いと思うんです。今生きる人にとって希望を生む行為なら、それで良くて。
彼女はそういうテディベア的在り方を、現世から切り離された者への憧れとして語っているんじゃないかと思うんです。

私自身、死んだ母を頭の中で自分の思想を一方的にぶつけまくるテディベアにして生きてるものだから、この言葉が流れた時に思わず感動してしまった。メメントモリを掲げて何とかここまで生きてきたものだから、なんなら私の宗教の神は母になってるなとすら思っているんだ。
少なくとも私にとっての永遠の憧れは、不在により存在感を増した概念で、ある意味神のようになった身近な死者なんです。
全然文脈は違うとわかっていても、海を越えて彼女が気持ちを共有してくれたようでめちゃくちゃ嬉しかった……この映画見て良かった……
このシーンによって、推しへの感情とは恋愛のような彩りを含んだ信仰心のようなもので、あくまで利己的な作用をするものだよ〜って伝えてくれたように思います。推しに自分の人生を預けない為にとても大切な考え方なんじゃないだろうか。

本編途中にはパククネ元大統領の支持者が集う、太極旗集会の模様が映される。それは本編序盤の推しを見る為に待機するオタク集団と大して変わらないものとして、切り取られている。
オタク集団は恐らくそのコンテンツに興味が無い者からは、大砲カメラを向けたりぬいぐるみを持ってスマホを構える謎の人だかりでしか無い。
太極旗集会の彼らも、元大統領を待っているよと声高にアピールする集団でしか無く、その対象に興味が無い人間から見れば等しく異様で気味悪く映る。

熱心に説く集会参加者のおじさんに説き伏せられ、過去の推しへのファンレターを読んで自嘲的な笑みを浮かべる監督が、元大統領に「寒くなってきましたが、暖かくしてお過ごしください」と綴ることになる。
時系列は異なるがどちらの手紙も、「犯罪を犯し現在獄中にいる、ファンを抱える推しの側面を持つ人間」に宛てられたものだ。

集会で元大統領への想いを叫ぶ彼らは自分が希望を持って生きる為に、自分にとっての『神』の席に獄中の彼女を座らせたのだろう。推し活をするオタクにとっての推しが座る席と似たものを感じ、監督はこのシーンを入れ込んだのだと思う。

またこの作品で私が一番好きなインタビューは、セクハラを告発された俳優を推していた監督の母へのものだった。決定的に登場する推し達と違うのは、その俳優は猥褻行為の容疑で召喚調査を受ける直前に自ら命を絶ってしまった点だった。
個人的に「死者は永遠の憧れとなりえる」と語られた後に、この立場の人が差し込まれるのが何より象徴的だと感じながら見ました。

男を見る目も遺伝したのかもね、と自嘲する娘に対して「それでもあなたは彼のお陰で頑張れていたよね」のような肯定もしていた姿勢が、監督を大事に思ってくれている家族愛に溢れていて素敵だった。
彼女の笑みは、監督の推しが控訴したことを知ると一気に冷ややかになったことまで含めて、ものすごくこの作品らしかった。一連の会話がこのフィルムに落とし込まれたことに感動しました。思わずから笑いしたくなる感じ。

「推しに言いたいことは?」の質問に、「死ね」と返したオタクから本編のインタビュー映像は始まり、最後には「幸せに生きて」と願う多くのオタクで終わる。インタビューを差し込む構成がめちゃくちゃ巧くて、ニヤニヤしてしまった。

「あなたが飼ってるフレンチブルドッグがいたよね?お金たくさん稼いだでしょ?お家でその子と幸せに生きて。結婚しないでね。」とちゃっかり付け加えるオタクもいた。苦味2割、晴れやかさ8割の綺麗な笑顔だった。

かつて推しを神様のように崇めた彼女達が、これから先も真っ当に生きていく私の人生までめちゃくちゃにされてたまるかという怒りと諦めと悲しみが詰め込まれたフィルムでした。
本当に見て良かったし、全オタクに見て欲しい作品です。

うたプリ関連のあれこれへの感情 2次元は裏切らないか? 


この作品が進むにつれ、構図がどうにも自分には他人事に思えなかった。というのも、私も「推し」に裏切られたように感じてしまったことがあるからだった。
私はどちらかというと2次元コンテンツを好んでいるのだが、その原案者が燃え、更に自ら火種を増やし続ける振る舞いを続けた。
更に私がその作品自体を好きになる約1年前に、不倫問題や情報漏洩疑惑が文春砲を受けた声優に対しても、思うことが無いわけでは無い。

あくまで2次元キャラクターの周りを囲む人間達への感情であるし、彼らは刑事事件を起こしたわけでは無い為『成功したオタク』本編内のオタクと同じ想いだとは全く考えておりません。
ただそれはそれとして、自分の推しへの感情の変遷をきちんと記しておきたい。

以下『うたの☆プリンセスさまっ♪BACK to the IDOL』や、表題作品の原案者及び該当声優への苦言を含むので、目に入れたくない方は最上部目次より次の話題まで飛ばして頂ければ幸いです。

自分が2次元キャラクターを好きになる理由の1つに、作られたものだから安心して推せるという点がありました。
生身の人間を好きになるってことは、例えば雑誌のインタビューで答えた10年前と今の回答の違いを「推しの変化」として受け入れることになる。そしてファンはファンであるが故に悪気無く、自分に都合の良いようにその変化を曲解して解釈する可能性が高いように感じていた。
そういった曲解を自分がやりかねないことへの忌避感を理由の一つにして、作られた世界の2次元コンテンツを好きになっているんだ、と思いこんでいた。
そして自分がうたプリにハマってまだ半年しか経っておらず、更には1週間前に3Dモデルライブの昼夜公演に現地参戦したばかりだったあの日、生みの親が炎上する事態になった。


私は2022/9/2に公開されたスタツアをミリしらでうっかり観て以来『うたの☆プリンスさまっ♪(略称:うたプリ)』のファンをしている。noteに書き連ねている記事はうたプリが大部分を占めているし、他のカテゴリの記事にまでその片鱗を置くようになってしまった。

そして私が自分の推しについて書き連ねようと思ったきっかけは、間違いなく2023/4/1のエイプリルフール以降だった。
当時の私は、まあバチバチにキレていた。4/2の0時台に夢がサラサラと溶けていくのを見ながら、はあ???と思わず声に出していたし、別コンテンツの友人に連日泣きついた。
「あんな言葉を発する人は、本当に1週間前のライブで〇〇〇のソロ見たのか?」と、『花束みたいな恋をした』の「あなたを傷つける人なんて、きっと今村夏子先生の『ピクニック』を読んでも何も感じない人だよ」論法でキレ散らかしてました。

スタツアなんて新規ホイホイ作っといて、TV番組でもファンへの感謝や企画段階からの思いを語っていたあなたがそれを言うか。自分の手中で〇〇〇〇〇がやりたかっただけに見えて腹立たしかった。実際にその作品の声優が某株式会社に所属していたと知り、ほら見ろ!と答え合わせ出来たような、絶望に近いような気持ちになった。
このコンテンツの話を持ち掛けたのは、果たしてどちらの会社だったのだろう。

未だにそのコンテンツはじわじわCDを出し、リアルイベントを行い、グッズを出している。
欲しいから私は勝手にこちらのグッズもCDも買うので、そちらにはちゃんと会社にとって赤字を作るコンテンツであり続けてほしいと願ってしまう。Twitterでは何も言わないし公式通販サイトでも見て見ぬ振りを続けるから、これくらいは許して。
紛らわしい名前付けるのは本当に辞めて欲しかった。名前フェチの自分には、推しのアイデンティティーが揺さぶられ続けてるようにしか感じないままでいる。
自分の好きで他作品の好き/大事なものを殴るなんて、the害悪オタクの振る舞いだとはわかってんだけどね……まあこの感情とは程々に付き合っていきます。


プリライ6thの円盤を鑑賞すると、毎回該当声優が演じるアイドルのソロステージを数回巻き戻して見る。
ただ1曲のパフォーマンスに、アイドル自身を彩る音楽のバケツをひっくり返してぶちまけられてるみたいで、ああこのライブを生身で浴びれたらどれほど幸せだろうって刻まれた円盤だと思ってる。
あとHE★VENSのステージね。7年後の今年、ASSMU(3Dモデルライブ)で初めてHE★VENSさんのステージを生で浴びて、空気がビリビリしてて最強の帝王やってて、ずっと悲鳴あげてた。「キスよりすごい音楽を君に」系ジャンル掲げてるなら、キスと音楽を比較させてくれ頼むドルチェビータ出して。
もし生で6thが見れていたら彼に堕ちていただろうと思うし、3Dモデルライブでの動き方が解釈一致で好きなアイドルでもあるし、原作ゲームの√シナリオを回収しながら尚更この問題を起こしては駄目な人だろうとも感じた。
キャラクターの輝きは担当声優の影響を一切受けない場所にあるけども、それを見るファンは人間だから余計な思考が脳裏を掠める時がある。

2次元キャラクターを推して彼らの存在を信じているファンとして、そちら側から彼らのベールが剥がしてしまいかねない行為をされると、途端に夢から醒める。
遊園地に行ったのにいかにも「面白いでしょ?」という顔でスタッフ自ら着ぐるみの頭を取られたら、それはエンタメの世界で、あくまで2次元のキャラクターの実在性の仕掛け人をしてきた立場としてどうなのかと疑ってしまう。

今思うとかつての私は、推しのような形をしたものや、かつて自分の推しだったものに、私が推しと出会ったことで貰えたライトスタンドまで勝手に奪われてしまったように感じていました。
そして私はド新規という不安定な立場ということもあり、10年以上続いているコンテンツの核であろう信頼関係までもが長年のファンから見て揺らいでいることが、どうにも不安で仕方なかったんです。

果たして2次元は裏切らないか?とか表題に挙げていますが、そんなはずがないんですよ。公式のストーリーが進んでいく中でさえ、自分勝手な理想を押し付けてしまうが故に公式と解釈違いを起こすことなんてよくある話なわけです。
前述のインタビューの回答を自分の都合の良いように歪める姿勢なんて、2次元だろうと3次元だろうと本質的にはやってること大して変わらないんだから、そもそも自分勝手に信頼を預けた事自体が間違いだったんだと思うんです。
一方的にただ私が悪くて、自業自得なんですよ。私の一存で変えられるのって私しかいないので、ポジティブに切り替えてやることに決めました。

芦田愛菜さんの「信じる」論を連想したので、引用させてください。この思想を推しに当て嵌めたら、凄く楽になったんです。

これらを受けて、そもそも推しを信用なんてしなければいいんだと気付きました。原因は根絶してしまえばいいんです。お前が他人にこうあって欲しい、を好き勝手に押し付けて勝手に気持ちよくなってるだけだと、胸に刻むようになった。
そもそも推し及び自分が好きな作品や他人なんて、人間が生きていく上では必要火急なものでは無くあくまで自分の人生を彩るものに過ぎません。
何か自分にとって不都合が起きたら見て見ぬ振りをするか、そのコンテンツから離れていくしか無いんだと体感したからこそ、敢えてこう考えるようになりました。

良い意味で推しに依存することを防ぐ考え方に転換したところ、たかが推しなんか、他人なんかに私の人生のオールを預け切ってたまるかという、これまでとは違う感情が湧きました。
あくまで自分の肉体とは切り離された推しが炎上したら自分まで不幸になってしまうなんて、あまりにも勿体ないなと感じられるようになったんです。
2次元の推しのキャラクター自身は何も悪くないからこそ、都合の良いように捉えられている側面もありますが。
推しは他人なので、推しに依存をするな、推しと一緒に共倒れなんてしてやるまいと足掻くようになりました。

私はせっかく好きになった推しに、絶対裏切られてやらねえ!!!うたプリと出会えたことを私が生きていく中で、絶対プラスの経験にしてやるから首洗って待ってろよ!の反骨心を燃やした結果、インターネットの片隅で「うたプリの原作ゲームって本当に良くて……」ってひたすら壁打ちしてる変人に成り果ててしまった。
2022年後半はスタツアの為に映画館に通いつめてそれだけでは飽き足らず、より良い音響を求めてチネチッタやグラシネ、イオンシネマ港北に泊まりがけで向かったりしたあの日々に、暗雲なんてかけさせてたまるか。
感情を薪にし過ぎてて我ながら笑ってしまうんですが、推しに関わる全てに神様じみた盲目的信頼を預けていたことへの贖罪も含めて、私がこれからも楽しく生きていくパワーに変えてやろうと思います。

私は上記の両者ともに今仕上げてくれている作品については自分が良いと思う限りずっと賞賛を続けていくし、彼ら本人のパーソナリティーとは全くかけ離れたものとして自分の中で大事な曲ではある。
ただガヤを入れてくる余計な目線が増える不可逆の呪いはかかってしまったから、こんな余計な雑音を生む情報を本当に知りたくなかった。スタツアを見ていようと見ていなかろうと、10年以上前からコンテンツ名も声優についても知っていたのでそんなのは無理なのですが。

演者に対しては、またうたプリの舞台に立つことがあればキャラクターの一番近くにいる人として、きっと好ましいものとして見るだろう。
そして原案者に対しても、やはり彼らを生み出してくれたことやスタツアであの歌詞を歌わせてくれたことには感謝の念は絶えない。
アイドルの彼らが生きていく活力になった月日が経つことに愛おしくなっていくし、同時にその反面では上記の騒動から生まれた歪みからも完全に目を逸らせることは無い。


推しという存在になり得る全ての人、推しと肩を組む全ての人には、こんなやるせない気持ちに2度とさせないでほしい。
それはそれとして、上記の演者の仕事は毎回本当に素晴らしいと思ってるよ。ご家族と幸せでいてくれ。
これは七海春歌に脳と身体を貸している彼らの生みの親にも、偽りなく同じことを願っている。
私は「うたの☆プリンスさまっ♪」という作品に出会えて、本当に幸せなんですよ。アイドルの彼らが幸せに笑ってくれてる限り、私は彼らのことが好きでいるつもりなので、見てろよ!って気持ちでいます。
なので私が好きなキャラクター達を大切に思ってくれてるならば、あなた達もただのオタクの私なんかよりずっと幸せでいて欲しい。寿命以外で絶対死ぬな。

あなたがファンにかけた呪いがまかり通るのならば、私にもこれくらいの呪いはかけさせてほしい。直接言いたいことは映画本編に出てきたオタク達とほぼ変わらないものになった。
この思考が固まっただけでも、『成功したオタク』を見て良かったなと思えた。もちろん彼女らの苦しみは私とは違う色を帯びているだろうし、決して同一視するつもりは無い。
ただ、推しにお前の幸福のオールを全て任せるな、推しに依存するな、というメッセージ性をひしひしと感じたのです。
自己満足の範囲で気持ちに折り合いをつけられるようになったのは、時間の経過と多少の諦めと推しに盲目的になりたくないという意志からでしょう。
私も、私の信じる「成功したオタク」になることを諦めないでいたい。


アイドルの恋愛を非難するファンは、性的な加害をしていないと言い切れるか?

上記の通り自分は『成功したオタク』を観て、そもそもお前の人生のオールを推しに任せるな的思想をより強固にしました。
そしてここではリアル現代社会を生きる推し(アイドルと仮定します)に良い意味で期待しない・自分の幸福を推しに奪われない為に、「アイドルビジネスには性愛がアイドルの虚像性と相性が悪かったから、恋愛禁止の風潮が生まれただけなのでは?」という問題提起をしたくて、長々と言及していきます。
10年以上ハロプロファンをしている中でのまとめのようなものになりますが、興味がある方はお付き合い頂ければ幸いです。

作品鑑賞中、リアルアイドルの恋愛禁止についてへのモヤモヤが頭を離れてくれなかった。『成功したオタク』に登場する「推し」達は性加害という罪を犯した者達だ。
一方刑法を犯していない推しのプライベートな交際関係なんて、本来は他人に文句を言われる筋合いなんて無いはずだ。それなのにオタクの一方的なお気持ちは、私刑的に仕事への影響を多分に及ぼす。
つまりそれって、オタク側の自分もアイドルに対して、性加害に似た行為をしていないか?という自問自答だった。


現実のアイドルも2次元コンテンツのアイドルもVtuber(アイドル的な見方をされることが増えているように感じる為、加味します)も、ほとんどの場合は自分で志願してアイドル養成所にお世話になることが多いでしょう。
その入り口が「家族が勝手に履歴書を送ったから」だったとしても、アイドルとしてデビューしてしまえばアイドルとしての振舞いを求められます。
その一部が、性愛はファンに求められる形でパッチワークしつつも具体的にはマスコミにすっぱ抜かれるな、という不文律です。

乙女ゲームに夢中になっておいてとんだ二枚舌なんだけども、この構図ってめちゃくちゃ気持ち悪いなと思い続けています。
そのくせ、好きなアイドルがマスコミに交際相手の情報をすっぱ抜かれたら、プロなんだったら隠し通せ、バレるなよと考えてしまうんです。
私はアイドルのプライベートになんて興味無いと口先では言いつつ、彼らを応援する過程で「アイドルはプライベートな恋愛関係を知られてはいけない」がいつの間にか刷り込まれてしまってるんです。
自分がアイドルに対して容姿を含めたパフォーマンスへの信頼を抱くと同時に、何故かアイドルのプライベートへも土足で踏み込んでも良いのだという驕りが生まれているのが、本当に嫌で。
アイドルのプライベートの恋愛発覚が、お互い「お前だけだよ」って言いながら付き合ってる恋人の浮気が発覚した時みたいな気持ちになるように、上手いこと誘導されてませんか。


私の推しアイドルの1人は恋人との記事をすっぱ抜かれてひっそりグループを卒業しました。でも恋人の方は本業の音楽関係の仕事にそこまで影響しているように見えないのが、どうにもやるせなかった。
私の推しもめっっっちゃくちゃ歌上手いんですけど!?って思ってしまって。
ただでさえ女性アイドルって年齢的な観点でグループを卒業する場合がとても多いのにそのアイドル生命を、ファン側のアイドルへの定義のエゴで縮めてしまったように感じて苦しかった。

アイドルに恋愛禁止令を課すことや、「明確に恋愛禁止を唱えていないグループに所属しているとしてもアイドルを彷彿とさせる職業に就いている人間に対して、何故かプライベートの恋愛を歓迎しない不文律が生まれること」がアイドルの原罪として作用しているように思いました。

性的行為って他人から見たら基本汚いし気持ち悪いんですけど、それからしか生まれないパワーや魅力があるしそれから目を逸らさせ続けるのが一番不健全なのではないか。
アイドルだって人間じゃないですか。そもそも生身の人間が恋愛感情を伴う交際関係を結ぶ相手がいると、そこから派生しうる性的行為はただの人間でしか無くなってしまう。アイドルに対して虚像性を付け加えるのに手っ取り早かったのが、アイドルという職業をそもそも恋愛禁止にしてしまえ!という暴論なんじゃないかと思っています。

その構図ってめちゃくちゃグロくないですか。飯を食うなって強要は虐待やハラスメントに値しますよね。睡眠欲、食欲、性欲という人間の三大欲求の1つには断固として抗い続けろと強要することになるんですよ。
"個人の恋愛感情を捻じ曲げようとするハラスメントを、私はずっとアイドルに対して続けているのではないか?それは性加害とかけ離れてると本当に言えるか?"という問いが、『成功したオタク』と共に私に差し迫ってきたのです。

ファンはいつから原罪を糾弾出来る神になったか

ひと時の恋愛感情にかどかわされたアイドルは、アイドルとしてのプロ意識を真っ先に疑われます。
アイドルをしている人間の仕事の大部分はステージパフォーマンスやTV番組、ラジオや雑誌での活躍、ファンとの交流の為の準備を指しており、そこに恋愛関係の有無を問うものは無いはずなんですが。
ここに恋愛スキャンダルが乗っかると、何故かいきなりアイドルという職業への自覚が問われ糾弾される仕組みがずっとまかり通っているのが、相当危ういと思い続けています。それっていつしかアイドルの原罪が恋愛になってしまったからでは、と。

私は原罪について全く詳しくないので、ここで簡単に調べてみました。こちらのサイトがわかりやすく説明されていた為、原文を、女=エバ=女性アイドルと仮定し、原罪を彼女の「恋愛」と置き換えてみます。個人的に置き換えた単語は()で示しています。

女(アイドル)は「食べてはいけない(恋愛をしてはいけない)」と言われていたものを食べ、次に夫のアダムにも与え、ダムもそれを食べました。これが、アダムとエバが犯した「罪(アイドルとしての禁忌)」です。つまり、罪の本質は「神への反抗」です。何が善で何が悪であるかは自分で決めるという態度は、自らを神とすることです。

アダムとエバから生まれた子どもは、「同じ性質」を持って生まれてくるようになったということです。内面的にアダム以来の「原罪(恋愛)」という「罪への傾向性」を宿して生まれてきました。

聖書は、「罪の支払う報酬は死です」と教えています。この場合の死というのは、「神との断絶」のことです。つまり、「原罪を宿したままでは、人は永遠の滅びに行くのだ」と警告しているのです。

私たちの今の状態は、先祖アダムに繋がっている状態です。イエス・キリストのことを「最後のアダム」、あるいは「第2のアダム」と言います。聖書が提供する「救い」は、最初のアダムとの関係を断ち切って、最後のアダムであるイエス・キリストに繋がりなさいということです。それが、イエス・キリストを信じるということです。

イエス・キリストに繋がるなら、この方の性質を自分の内に宿すことになるので、「原罪(恋愛)」の問題は解決されます。つまり、イエス・キリストを信じるということは、「最初のアダム」との関係を断ち切って、「最後のアダム」であるイエス・キリストと繋がることなのです。

原罪って、なに? | 聖書入門.com (seishonyumon.com)

こう置き換えてみた時に、とても納得がいってしまったんですよね。
特に後半にかけて読み進めていくと、アイドルに対して処女性を求める理由にも繋がってきませんか。恋愛感情から断絶された世界をアイドルに対して押し付けてしまう矛盾というか、自分勝手な感情がわかりやすくひらかれたようで、キッッッツイ。本当に何様なんだよと思う。
上記で何より頭を抱えたのが、どう見てもこの構図だと原文の神=アイドルファンになってしまう点でした。表向きでは彼ら彼女らを応援している癖にそれがマスコミにすっぱ抜かれたら即掌を返すわけです。とんだ神やな。
YOASOBIに言わせれば「誰もが信じ崇めてる  まさに最強で無敵のアイドル」って、神がアイドルでその信奉者がファンの構図に見えるわけじゃないですか。

しかし実際のアイドル達は愛される為に、アイドル業界で生き抜く為に嘘で固めていく作業を繰り返しているわけで、神(笑)が勝手に「君もアイドルたるもの、プロ意識としてプライベートの恋愛はバレないようにだね」ってご高説を垂れるわけですよ。お前は何様なんだ?
「罪の支払う報酬は死=神との断絶」とはつまり、恋愛をしたアイドルが支払う報酬はファンの皆様との断絶です。それは人間のアイドルであればその食い扶持を賄う側が離れることになるので、文字通り餓死とも取れる。原罪の説明文が全てアイドルの話に解釈出来てしまって、笑ってしまいました。まさかここまでしっくりくるとは思わなかった。

以下前述の繰り返しになりますが自分がアイドルを好きである限り、「別に誰と恋愛してくれてても良いんだけど、なるべくスキャンダルとしてはすっぱ抜かれないで欲しい」とは正直思ってしまうんですよね。
この思考って、彼氏に対しての「浮気しても良いけど、絶対私にバレないようにしろよ」っていう浮気に対してよくある意見と言ってること同じなんですよ。
アイドルが疑似恋愛を提供していると言われてて、自分は所謂ガチ恋を体感したことは無いにも関わらず、それでもこの思考に染まってしまってるのが何より恐ろしい。
ここでごちゃごちゃ御託を並べてるお前も神様仏様ファンの皆様に染まってんじゃん、自覚してるだけマシだとでも言いたいわけ?って自分の中の化け物が指差して笑ってくる。

推しに加害をしない為に 批判はどこまでが正当か


個人的な理想の構図としては、アイドルの実態については定義が出来ず、ただ魔力のある冠=アイドルと考えています。アイドルなんて虚像で、絵に描いた餅で、そんなの触れられやしないもので。だけど、パフォーマンスを極めた先に表れてくれるかもしれない何か、をアイドルと呼んでるだけだと思っている。
その下に位置するのが、アイドルという冠を自分の頭に乗せる為に、悩みながら自分のパフォーマンスを高める者達が自らを「アイドル」と呼ぶ者達です。さらに下にアイドルを応援するファンがたむろしている。
上の者は下の者に何をしても良いというわけでは決して無いけど、これが間違ってはいけない力関係じゃないかなあとは思っています。

アイドルは人気商売だから、着いて来てくれる人が大事なのはもちろんその通りだと思います。ただファンは集団なんですよね。推しのスキャンダルに対して、彼らはSNSで自分の感情を吐き出します。それは新曲が出た時、大きいコラボが発表された時、アルバムが発表された時と同じはずです。

しかしプライベートの話題でSNSのトレンドに載ってしまうと、そもそもアイドルのことを否定的に見ている人やファンではない層までに届いてしまいます。
当たり前のことではあるんですが、このスキャンダルが報道された途端に膨大な人数がアイドルについて言及する層に流れて来ます。するとそれまでアイドルファンとして存在していた場所には、そのアイドルに対して好意的な人数の割合が圧倒的に減少するように見えるわけです。
しかもこの批判的層には当然そのアイドルのファンも流入するわけですからね。

つまり、スキャンダルが報道されるとSNS及び世論ではこのピラミッドが完全に逆転するように思います。一番上に神様仏様アイドルファン(悪質な方)様が君臨し、その下にアイドル事務所、最下層にアイドル達本人がいるんじゃないかと思うんです。少なくとも先述のアイドル性という魔力のある冠はどっかいきます。
本当にスキャンダルってアイドルのアイドル性ととことん相性が悪いんですよね……キラキラしたステージの上とは真逆の情熱大陸等の密着番組はあくまで裏側として見せていい範囲を演出してるけど、スキャンダルはファンが見たくないものまで「見て見て~!!!!!!!!」してくるのが悪質だなと思います。
一度見てしまったら、そりゃあスキャンダルは脳裏にべっとり貼り付く。マスコミは表舞台に立つ人達(いわゆる『推し』になりやすい役職の人達)のセンセーショナルなプライベートをパッチワークする程に、アクセス数や広告表示数として金になる記事になることをわかり切っているわけでしょう。

ならばせめて、推しがプライベートで問題行動をしていないのならば、まずその記事のアクセス数に、トレンド欄に貢献するべきではない。エゴサに引っ掛かりかねない文面であれば推し自身の目に入る可能性も当然あり、何よりインプレゾンビ達が同じ文面を何百回もコピペしてインターネットに流すような時代で。
トレンド欄で推しの名前と短絡的なワードが乱立するような一助をしないようにしたい。

一方推しが本当に問題行動を行なっていた場合、ファンはきちんとその問題行動をあってはならないものとして、誰よりも正しく問題視しなければならない立場に立たされる。
これはSNS等の誰にでも見える媒体ならば尚更、推しの名前について過去に愛を持って言及していればいるほどに、正当な批判をしなければいけないのだと思う。

ただマイナスの感情に引っ張られると人間って本当にろくなことを言わない。これは自分の体験を以てしても明らかだし、名前は出してないとはいえ誹謗中傷してないって言い切れるか?と反省して消したTwitterの投稿もいくつかある。感情のはけ口にするなら最低限当人の名前は出すものじゃないし、名指ししたいならなるべく鍵アカにしておきたいなと思う。自戒の念を込めて。
インプレゾンビにのっとられて意味があるのかもよくわからなくなってきたトレンドの一助になるな。

数の力でイベントの早バレが舞い込む匿名箱持ってるタイプの情報アカも、あまり見ない方がいいとは思う。ああいうのは絶対滅びないだろうし、自分からわざわざ覗きに行っちゃうことあるんだけど。インプレ数根拠におすすめ欄にじゃんじゃん流れてくるの辞めて欲しいよな……
オタクなんて等しく皆大なり小なり気持ち悪いことやってる狂気性持ってるんだけど、なるべく飼い慣らせるようになりたいなと思う。
推しの問題行動を批判する場合は人間性の批判じゃなくて、仕事への影響等を正しく批判したい。誹謗中傷と批判を決して履き違えることがないように。

キモいオタクの私は、推しの人生をリアルタイムで消費して自分の一存で歪めようとする原罪(罪への傾向性)を抱えている。
自覚した上で、きちんと飼い慣らせるようになりたい。今はまだ願望の段階だけれども。

推し活という言葉が散々叫ばれている世の中ですが、推しはあなたの人生の責任まで負ってくれません。推しが笑顔なら私も笑顔になる、だけなら良いのですが、推しが調子を崩した時にまで引っ張られる必要は絶対に無い。

推しに裏切られないように、良い距離感で推しの仕事を消費出来ますように。
私はその人の演技が見たいが為にサブスク追加契約したくらいには最近気になっている俳優さんの舞台のチケットが取れたので、また東京遠征します。
友人に誘われた宝塚とあんステ以外にプライベートの観劇経験なんて無いし、3次元で自分と同じように生きてる人間の仕事をちゃんと追いかけるの初めてでめっちゃ怖い。反面すごく楽しみ。

推しに祝ってもらえるくらい、私の人生を私の為に幸せにしてやろうな!という自分への鼓舞を胸に、「成功したオタク」の感想とさせて頂きます。
もう大分上映規模が縮小されてきてしまっていますので、気になる方はお早めにご覧ください。


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