誰の担当でもない小さな仕事たち
こんにちは,HARuです。今日は「学校にある誰の仕事とは決まっていないのだけれど,誰かがやらなくてはいけない仕事について」というお話。
学校には「校務分掌」という役割分担があります。
教科担当だったり,道徳担当,部活動担当などさまざまな役職を
校長が割り振ったものです。
しかし,実は学校にはその校務分掌には記載されない
細々とした仕事がたくさんあります。
今日は,それについてのお話。
ただ,私のネガティブな思いが溢れている部分があるので,読まれる方を不快にしてしまうかもしれません。
お読みになる際はくれぐれもご注意いただければ幸いです。
では,いってみましょう!
校務分掌
文部科学省が「学校の組織運営の在り方について」審議のまとめを出しています。
それによると,
簡単に言えば,
校長を補佐するために学校内のさまざまな仕事の役割を決めたものが校務分掌
だと思っていただければ問題ないと思います。
当たり前ですが,校長一人では学校運営ができないので,その学校運営に関する仕事を他の職員たちにも割り振るよー,だから手伝ってね。
というのが校務分掌です。
例えば
・教科指導
・特別活動
・〇〇教育
・部活動
・生徒指導
などなど,本当に多岐に渡り教職員の仕事は定義されています。
確かに,これが決まっていないとこの仕事は誰がやるのか不明確になってしまうのです。
避難訓練の計画は誰が作成するのか,校内研修の推進はどの教師を中心に行うのか
など実際の校務に影響が出てしまいます。
ですので,一般的に校長は4月最初の職員会議等でこの「校務分掌一覧」を示すことが多いのです。
校務分掌に載っていない仕事もあるよね
さて,前述した通り,大枠に関しては
職員一人一人の仕事の分担が決まっております。
しかし,当然ながら誰がやるか実際に決まっていない仕事も多くあります。
むしろ,そんな仕事の方が多いかもしれません。
これはどの職場でも同じことだとは思いますが。
例えば
・プリンタの紙の補充
・シュレッダーのゴミ処理
・トイレットペーパーの補充(特に男子トイレ)
・放課後の窓の戸締まり(これは役割は決まっていますが…詳細は後述します)
ざっと上げてもこれだけのことは仕事が決まっておりません。
当然,組織としてはこんな細かいところまで決めていたのでは
トップ(校長)の負担が大きくなりすぎるので決めないのでしょう。
突然ですが,
学校という場所は,子どもたち一人一人に目を配り,気を配る場所だと思っています。
そうすることで,子どもたちの成長を促す。
そんな場所のはずです。だからこそ,そこで働く職員は
前述したような誰かが気づいて行動しなければいけないことに率先して気づき
常に誰もが気持ちよく過ごせる環境を整えているはずです。
しかし,残念ながら私の知っている範囲ではそんなことはありませんでした。
積極的に誰の仕事でもないことをしてくれる方もいれば
そうでない方もいます。
果たして,そうでない方は誰かがやってくれているのだということに
思いを馳せているのでしょうか。
先ほどあげた仕事は,どれも簡単なものです。
経験や知識が必要な類の仕事とは違い,正直,誰でも出来ます。
プリンタの用紙切れはプリンタが音で知らせてくれます。
シュレッダーもゴミ処理のランプが付きます。
トイレットペーパーに至っては,自分が使っていて無くなったことに気づかないはずがありません。
しかし,それを放置する!
誰かがやってくれるだろうと思っているのでしょうか。
なぜ自分でやろうとしないのか不思議でなりません。
っと,熱くなってしまいました💦
とにもかくにも,
それをしなくても困らないけれど,やっておくとみんなが助かるよねという仕事
は職場に山のようにあります。
その仕事を,誰ともなく実行することができるか。
それが組織力なのではないかと,私は思っているのです。
確かに,あなたに割り当てられた仕事ではありません。
でも,あなた以外の誰かにだって割り当てられていない仕事なのです。
あなたが気持ちよく印刷できるのも,シュレッダーをかけられるのも,トイレットペーパーがあるのも,誰かがその仕事をしてくれたからです。
自分の仕事だけしかしない組織はうまくいかないと思う
皆が自分の任された仕事の範囲をきっちりとこなす。
確かに仕事はうまく回るでしょう。しかし,社会生活はそれだけでは成り立たないのではないでしょうか。
ほんの少しの気遣いが,相手を思いやる気持ちが仕事を組織を潤滑に動かすのではないでしょうか。
私にはそう思えてなりません。
ここで質問です。
学校に勤務していると以下のような場面に出会うこともあるでしょう。
「放課後に廊下の窓が開いていた」
さて,あなたはどうしますか?
そもそも気づかない
戸締まりをするのは日直の先生の仕事だから放置する
自分が日直の時に助けてもらえるかもしれないから締める
あなたはどの選択肢を選びますか?
一番最初のそもそも気づかないというのは,教師としてもう少し周囲に気を配ってもいいのではないかと思います。
日直の仕事だから自分はやらない。
確かに正論です。
しかし,私は自分にできる5分間の親切として窓を締める選択をします。
あなたがどんな選択をするか,私には分かりません。
それでも,私は
ほんの少しの気遣いが組織を潤滑に動かす
という信念のもと,誰の仕事でもない,名も無き仕事を今日も行います。
(全国にも名も無き仕事をこっそり行っている同志の方々がいらっしゃるはずです。そんな方々に思いを馳せながら,自分が気づいたこと,自分にとって5分間の親切にあたることは積極的に行っていこうと思っています。)
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