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テストの平均点 実は無意味?!

こんにちは,HARuです。今日は「平均点は気にしなくていい,それよりも気にして欲しい数字がある」というお話。

「今回のテスト,平均点取れなかった…」
「ちゃんと平均点まで到達しないとダメじゃない!」
「隣のクラスの平均点は高いのに,うちのクラスは随分低いなぁ」
といった話をよく耳にします。

さて,本当に平均点が大切なのでしょうか?
私の学んできたことと子どもたちの実態を踏まえって,「平均点はいらない」というお話をさせていただきます。

※あくまで個人の持論です。ご了承ください。

では,いってみましょう!

平均点って何?

まずは,ここからでしょうか。とは言え,今更説明するまでも無いと思うのですが,小中学校(高等学校でもそうだと思います)では,多くのテストが実施されます。
私は中学校勤務なので,中学校の話を中心にさせていただくと,

・実力テスト(業者テスト)

・定期テスト(各教科担当で作成)

・単元末テスト(学校や教科によって実施しない場合もある)

大きく分けてこの3種類のテストがあります。

テストですから,当然点数が出るわけですが,
そのテストの合計点数を受験人数で割ったものが平均点ですね。
定期テストを作成する際には,この平均点が60点前後を目安に作る方も多いと聞きます。

平均点の意味

平均点は,様々な場面で活用されますが,多くは,テストの結果の際に子どもたちに知らせることが一般的だと思います。
私自身も,つい数年前までは,平均点を一生懸命計算し,算出していました。

さて,この平均点,どんな意味があるのでしょうか?
考え得る可能性としては

・集団全体の学力の傾向がつかめる
・苦手な範囲,分野,単元などがある程度分かる
・他者と点数を比較する際に便利である
・子どものやる気を引き出す

それぞれ考えてみましょう。

・集団全体の学力の傾向がつかめる

主な活用方法はこのパターンが一番多いのでは無いでしょうか。集団の平均点を出すということは,その集団が苦手な教科やどの程度の学力が身についているのかを算出する際に用いられる一般的な方法かと思います。

・苦手な範囲,分野,単元などがある程度分かる

上記内容と同じことですが,出題範囲が決まっているテストで,平均点が低いのであれば,その範囲や分野,単元などが苦手という傾向が分かります。詳細は不明でも,ざっくりとした所感としての傾向を把握するということに使う場合もあるでしょう。

・他者と点数を比較する際に便利である

子どもたち同士では,平均より上だと安心し,下だと落胆するということ場面がよく見られます。子どもたちにとってはある種の基準点となるのです。さらに,平均点より上か下かということは,直接点数を比較出来ないあのライバルと自分との比較として使う子どももいます。

・子どものやる気を引き出す

これは,教員側の手立てとしてあるあるなのですが,平均点を出して,隣のクラスと比較することがあります。隣のクラスより下だともっと勉強を頑張れ!と子どもたちを励まし,やる気を出させようとします。具体的には,クラスの平均点や男女別平均点を示して,このクラスは勉強量が足りないとか男子の点数が低くて足を引っ張ったとか必要のない分析を披露するのです。

平均点が無意味な理由

さて,ではなぜ平均点が無意味だと私は思っているのでしょうか。それは単純な話,平均点ではクラスや子どもたちの力量を測ることができないと思っているからです。

極端な例を出しましょう。
あるテストを2人が受験しました。1人は0点,もう1人は100点。さて,この2人の平均点は何点でしょう?
もちろん,50点です。1人目の子どもには目標にするには高すぎるし,2人目の子どもには何の意味もない点数に成り下がります。


もちろん,これは極端な例ですが,大まかに言えば,これと同じことが各学級で起こっているのではないかと思うのです。
さらに,我々教師が一番狙っている
子どものやる気を引き出す
という手法としての平均点は全く意味がありません。

子どもたちは平均点が低いから自分が勉強を頑張ろう!という気持ちにならないからです。
それは,おそらく,平均点というのは自分が関与していると感じづらい点数だからではないでしょうか。平均点における自分の存在というのは大多数の中の1つです。知識として自分の点数も平均点を算出することに必要だと知ってはいても,それを肌感覚として実感できている子どもはあまりいないように感じます。
以上のことから,私は平均点を算出することは無意味だと考え,今までテスト返の際に伝達していた平均点を出すことをやめました。
(ちなみに,男女間の平均点もだし,やる気を引き出そうとしていた教員は私のことです😅まだまだ未熟です)

平均点を出さないでどうするか

平均点を出すねらいは上記に挙げたように

・集団全体の学力の傾向がつかめる
・苦手な範囲,分野,単元などがある程度分かる
・他者と点数を比較する際に便利である
・生徒のやる気を引き出す

ということです。では,これを教師側と子ども側に分けて考えてみましょう

教師

・集団全体の傾向がつかめる
・苦手な範囲,分野,単元などがある程度分かる
・子どものやる気を引き出す

子ども
・他者と点数を比較する際に便利である

となります。この中で,平均点を算出せずとも,むしろ算出すると逆効果になるものは

子どものやる気を引き出す

です。正直,勉強が苦手な子どもは平均点を見たところで,「よし!頑張ろう!」とはなりません。それは,平均点が低いという問題を「ジブンゴト」として捉えられていないからです。大人でも同じかと思いますが,自分が関わっていると思わない仕事に対する熱量は,そうでない仕事とは比較にならないほど低いのではないでしょうか。よく,「当事者意識」などとも言われますが,自分がその点数に関わっている意識を持たせなければ,意味がないのが平均点です。
さらに,他者との比較の中でしか自分の立ち位置(点数)を把握することが出来ない子どもが育つという弊害も感じます。

どのようにすればいいのか?

私は,その子の前回のテストから何点アップダウンしたかを,今回のテストの得点の近くに書いています。こうすることで他者と点数を比較して落ち込む必要も喜ぶことも無い代わりに,以前の自分と比較して現在はどうなのかという客観的な視点でテストを捉えることが出来ます。この客観的視点を「メタ認知」というのですが,兎にも角にも,人と比較しないこの方法は,自己肯定感をも高めてくれます。

成長とは他者との比較によって生まれるものではなく,過去の自分との比較によって生まれるもの

だと私は思っています。昨日の自分より一歩でも半歩でも進めば,それは成長といって良いのではないでしょうか。その成長の実感をして欲しくて,前回のその子のテストとの比較という方法をとっています。
これのメリットはもう1つあり,

自分自身の学習方法が適切であったのかを見極めることができる

ということです。もし懸命に勉強したけれど,思ったほど点数が伸びなかったのであれば,おそらく今回の学び方は自分にはあっていなかったのでしょう。逆にそれほど勉強した覚えもないのに,前回よりも点数がアップしていたとすれば,それはその方法が適していたという証明になります。

失敗を繰り返して成長する

人は誰しも失敗を繰り返して成長します。しかし,その結果に到達するまでの手段が適切だったのかそうでないのか評価できないと,その手段が成功か失敗か判断することが出来ません。
失敗であったのならば改善すればいいのですが,失敗か成功か分からなければ改善のしようがないのです。
ですので,私は子どもたちに自分を客観的に振り返る視点を持って欲しいと思い,前回のその子の点数との比較を記載するという手段にたどり着きました。

もちろん,この方法が適切かどうか分かりません。現在のところ,私が教科担当として平均点を計算せずとも,テストの結果を返却する際には,自動的に平均点が算出されるようになっています。ですので,子どもたちの平均点の意識を完全に拭い去ることはできませんが,少しでも意識を緩和させ,自分との勝負に目を向けてくれたら嬉しく思っています。


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