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あの日の空の青さの事を、ずっと忘れずにいたい。

9.11から20年たった日の朝。流れてきたTweetにあの日の記憶がよみがえる。もう20年。たった20年。
3.11もそうだけれど、あの時私たちは大きな衝撃を受け、世界を変えたいと願ったはずではなかったのか。目に見える世界がまるで変わっていないような気がするのはどうしてなのか。自問は尽きない。

一連の投稿を是非読んで、それぞれの9.11を思い出してほしい。
私たちがあの日、どんな祈りを捧げたのかを。

あの日捧げた祈りを心の書庫から取り出し、手に取って眺め、いったい私はその祈りを生きてこられただろうかと問い直すことが、これからの明日のために、大切なのだと思うから。

空は青く青く、薄は銀色に輝いていた。

あの日の仕事帰り、浅間サンラインから眺めた景色は美しかった。
青く澄んだ空。秋の陽光を一杯に吸い込んだ銀色の薄の波。銀色の波に押されるように帰宅した居間のテレビの中で、青空にそびえる二つの塔に、何かが飛び込んでいった。

空の青さが綺麗で、とてもきれいで、その後の光景がまるで現実とは思えなかった。

世界は美しさが恐ろしいと思ったのは、後にも先にもあの時だけだ。。
どんなに傷ついた人が居ても、どんなに醜く人が争っていても、世界は変わらず美しく在り続ける。きっと、この先どこかの国が滅亡したとしても、世界は美しいままであるのだろう。

残骸の中に埋もれる人と、空を飛んであの塔にぶつかった人と、居間のコタツでのんびりとテレビを眺める私とが、同じ時間を生きていた。テレビの向こう側で絶望する人がいるのに、私は平和で安全な場所でくつろいでいた。
あの日、私の中で一つ世界が壊れた気がする。

どんなに人が傷ついても、神様は傷つかない。醜い争いが無くなりますようにとどんなに人が祈っても、神様は高みから優しく見下ろすだけだ。
だから人が祈るのだ。人しか、祈る事は出来ないのだ。
しかし私たちの祈りに、力はあるのだろうか。3.11の日にも問うたその問いに、答えはまだ出ていない。

私の大切な子供たちがどうか傷つけられませんように。誰かをの大切な子供を傷つける事がありませんように。

母として、思う。
私にできる事は多くはない。目の前にいる子供を守るために、日々働き、隣り合う人を助ける事くらいしかできない。ほんの少し遠い場所にある政治と言う力を変える為に、小さな一票を投じるくらいしかできない。

けれど、祈るのだ。

私の大切な子供たちが、正義の名のもとに振り上げられたこぶしで傷つくことがありませんように、と。
そして同じように、正しさの名のもとに振り上げたこぶしで、誰かの大切な子供を傷つける事がありませんように、と。

私と同じ母である誰かが、正しさに子供を奪われることを私は望まない。
私の子供が、正しさに奪われることを願わないのと同じ重さで。

その祈りを、私は子供に伝えて、目の前にある日常を生きてゆく。
そして思い出したように祈りの言葉を、世界にそっと放ってみるのだ。

人が人である以上、諍いはなくならないだろう。正しさを守ろうとする戦いが、地上から消え去る事は無いだろう。
けれど、もう少しだけその戦いが優しいものになりますように。
私の大切な子供たちの生きる世界が、自分以外の正しさをほんの少しだけ許せるような、そんな場になっていますように。
その祈りを忘れずに、抱き続けていたいと思う。





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