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逃げてばかりの人生だけど

 人生の折り返し地点なんてとっくに過ぎたのだけど、ふと自分の今までを思い返して。逃げてばっかりの人生だったなと、改めて思う。

親の愛から逃げた。友情から逃げた。夫から逃げた。
家庭から、晩学から逃げた。
生きること、愛されないことから逃げた。愛されることが怖くて逃げた。
逃げ続けた。
(詳しく書こうと思ったら長編になりかけたので割愛)


 でも今、改めて振り返ってみて。
逃げるばっかりの人生だったけど、それも悪くはかった。
そんな風に思う。


 学校教育を通して私たちは、欠点を改善する事、足りない部分を補う努力をする事、困難に立ち向かう事ばかりを褒められて来た。
 最近でこそ、「逃げる勇気」って言葉をあちらこちらで目にするようになったけれど、ある一定以上の年代の人はきっとそんな事許したら立派な大人になれないって、刷り込まれているんじゃないだろうか。私のように。

 だから私も、昔は逃げる自分を責めていた。
ダメな人間のままきっと一生を終わるんだ。そんな風に絶望もしていた。

だけど、だけどさ。
逃げるってことも一つの行動だよね。
私は少なくとも、苦しい今から逃げるための行動をしたんだ。


この数年はそんな風に思う。


逃げるためではあったけど、資格を取った。
転居もした転職もした。いろんな自己啓発セミナーにも行ってみた。

それは全て、私が私のためにした「行動」。

お陰様で、建設業の経理から始まり社労士に至るまで、いろんな資格を取得した。型枠大工の仕事からコンビニの店員、配管工に怪しい団体の事務員、最終的に中堅会社の経理部という何だかよく分からない実務経験もできた。


「お金を得るため」という視点からは価値のない資格や経験だとしても。
それらは私が「行動した」証、なんだよね。

その行動の結果、今現在私はこうやって生きていて、
こんな文章なんかを書いている。

やあ私、頑張ったじゃないか。
山あり谷あり、凸凹だらけの人生を歩めたじゃないか。

誰にも褒められない人生かもしれないけど、悪くはなかった。


ああ、だからね、
今、何かから逃げたいって思っている人がいるなら、
遠慮なく逃げてみたらいいよって私は思う。

逃げちゃダメだって頑張る道もあるし
頑張ることを諦めて、逃げることに全力疾走する道もある。
逃げることも、留まることも、
どちらも「行動」なんだよ。

あなたが生きる事を諦めない限り。


どっちを選んだって、人生の終盤に辿り着けば同じ。
「いつだって私は生きていた。今この瞬間まで」
そういう結論になるんだからさ。



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