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アセクシャルを母親にカミングアウトした。

10月末、選挙で帰省したときに母親にアセクシャルであることをカミングアウトした。アセクシャルという言葉は一切使わなくて、「恋人とキスとかセックスとかしたくないんだ」って言った。

実はその頃恋人とお別れしたばっかりで、それは恋人にアセクシャルであることをカミングアウトしてからちょうど2週間後とかだったから、別れた原因が自分のセクシュアリティのせいだったんじゃないかってずっと自己嫌悪してたときだった。その頃はずっと「私がアセクシャルなんかじゃなければ。ちゃんと恋人らしいことができたら。もしかしたら別れずに済んだんじゃないか。」って自分を責めてた。こんなセクシュアリティをもった私なんか大嫌いって思った。

けど、母親に話すとき私はなぜか強がって「私は自分のセクシュアリティを誇りに思ってるし、私だけが寄り添えなかったなんて思ってない。お互いの価値観が合わなかっただけ。」って言った。本当はそんなに吹っ切れてないし、相手に対して罪悪感しか抱いてなかった。けどなんか、自分じゃない誰かに自分の弱い部分を見せたくなくて、つい見栄を張ってしまった。

そしたら母親は一応話は聞いてくれた。そして「やっぱり理解はできない」と言われた。

それは私を突き放して出た言葉じゃなくて、理解したいけど感じたことない感覚だから理解はできない、という想いから出た言葉だった。決して拒絶されたとかドン引きされたとかではなかった。けど、これまで誰よりも私の気持ちを理解してくれてどんなことも理解して支えてくれた母親にすら、今回私はすがることができないということがとてもショックだった。


そのうえでこう母親に言われた。「もっと振る舞い方に気をつけた方がいいと思う。その気がないならお泊まりしないとかさ。」

ああ、私は好きな人と隣で寝ることもできないのか。なんじゃそりゃ。これって結局、《世の中どんな人も、好きな異性とキスとかセックスとかしたい》っていう潜在意識が母親の中にあるってことだと思った。そうじゃなければ、好きだろうと好きじゃなかろうと異性の家に遊びに行くことだって異性と一緒に寝ることだって、不思議なことじゃないはずだから。


それとこうも言われた。「相手もすごく傷ついたと思うし、我慢してくれてたんだと思うよ。」

確かにその通り。私がアセクシャルであることをカミングアウトして、おそらく相手の中にあった当たり前(恋人はキスもセックスもするということ)が当たり前ではなくなった。それはもう一緒に恋人ではいられないよね。恋愛観がまるで違うから。母親に言われた言葉は間違ってはいなかったと思う、多分。正直小さい頃から母親の言うことが私の全てだったし、母親が間違ってるなんて考えられないっていう私の思考が、そう思わせてるかもしれない。とにかく母親が言いたいことは理解できた。

ただ、それらの言葉は私がかけて欲しかった言葉じゃなかった。母親は、まるでアセクシャルの私が悪いみたいに話してた。多分、絶対に、無意識で。

何度も言うけど《世の中どんな人も、好きな異性とキスとかセックスとかしたい》っていう潜在意識が、母親の中にはあったから。それに当てはまらない私が、きちんと相手に対して寄り添うべきだったってことが言いたかったんだと思う。ここで言う「寄り添う」は、キスでもセックスでも恋人でいる以上は拒否しないで受け入れるって意味。

この頃の私とは違って、今の私は「それは違う」と堂々と言える。無理矢理社会の当たり前に合わせる必要なんかない。《世の中どんな人も、好きな異性とキスとかセックスとかしたい》なんてうそだから。

性に関する価値観だったり、恋愛に関する価値観は、社会の当たり前に合わせる必要は全くなくて、パートナーとお互いの価値観に寄り添ってあげることが大事だって思う。

ただ今回、アセクシャルであることで相手を傷つけたことは変えられない事実だってことは忘れないでいたいと思う。相手も私も、恋人としてお互いの価値観が合わないことを理解したうえで最善の選択ができたと思いたい。正直気持ちが完全に冷めたわけではないけど、これ以上寄り添うことはできないからこれからもずっと大事な友だちでいたいと思う。

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