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【旅のきっかけ】其の二

「明日やろうは馬鹿野郎!!!」
プロポーズ大作戦より



やっぱりそーよな!
間違いないぜ!


そんなドラマのセリフがひと押しし
2011年春19歳、初一人旅デビュー。


高校生の時、常連の練習試合の相手校は
他府県にあった為、電車で行ってました。
普段より少し遠出していつもの駅で降り
そして同じ路線で地元に帰る。

いつも思っていたのは
こっから先の駅には何があるんやろう。
どこに繋がってるんやろう。


そんなことを思いながらいつかここから先の駅にも行ってみたいな〜と。


そんな些細なことを思い出し
旅のスタイルは電車に決定。


「青春18切符」

これってご存知ですか?

最初はてっきり18歳までの特権と思いきや青春ということで何歳でも関係なく購入可
当時税金が上がる前だったので
だいたい1万円ちょい程で
JR全線を乗り放題の切符です。

※ただし販売期間、利用期間の及び
使用制限回数(5回)、
特急列車(勿論新幹線も)に乗れない等
利用規約はしっかりとご確認を。

また場所によってはフェリーに乗れたり
1人旅初めての方にはもってこいの切符。



そんなわけでヒッチハイクでも
チャリ旅でもなく、1番無難な電車旅…

のらりくらり電車に揺れ日本の先っちょへ

ひたすら西へ向かうも良し。
はたまた東へ向かうも良し。



うーーーん。(考えること3秒)



ま!とりあえずあの高校より
先の駅行ってみるか

という小学生的発想で西に決定。



ただこの小学生的発想が
まさか命を救ってくれてるとは
その時は全く気付きませんでした。


(お気付きの方もいらっしゃるかと
思いますが、見事に東日本大震災前に
出発していたので、起こった時期とその時自分がいたであろう場所。
もしあの時東に向かっていたら…)



行き先はとにかく西へ。南へ。

それからすぐに有り金かき集め、
当時はまだガラケーを使っていたので
Googleマップや便利なアプリはなく、
人に聞いたり時刻表とにらめっこしたり
ひたすら電車を乗り継ぎ西へ、南へ進みました。


電車旅は実に沢山の人間ドラマが垣間見れます。  


朝の大阪駅は満員電車からスタートし
時間が経つごとに年齢幅も変わって

時々めちゃくちゃ可愛い子が
隣に座り一人無駄にドキドキしてたり
(男ならこれはあるあるでしょう?)

ある時ではずっとポスターに向かって
怒ってる変なじいちゃんがいたり
(これは大阪あるあるかな…)

駆け込み乗車をしてきたスーツ姿の
少し毛の寂しいおっちゃんは扉に
挟まったと思ったら自力で脱出したものの
少ないはずの前髪だけが扉に挟まり
しばらく変な格好で動けなかったり
(これはー…いや、笑ったらあかん!)

タンクトップのイカつい兄ちゃんが
婆ちゃんに席を譲ってたり
(うん、こーゆーの。)


気になった駅で降りてはぶらぶらし
来た電車の終着駅まで乗っての繰り返し


どこを見ても全てが新鮮で
ドラクエの地図どんどん広がっていく感覚 

 

岡山ではバイクで旅されてた
兄さん方に旅の教えを乞い、

広島のおばちゃんに激ウマの広島焼をご馳走になり

山口では可愛い子が多くて目的地に行けず
ホイホイついていったら迷子になり

福岡では美女店員の言われるがまま
必要もないネックレスを購入してたり

熊本ではなーーーーにもない田舎駅で
降りたものの、次の電車が6時間後とか

そんなこんな電車で行ける最南は
鹿児島県。



鹿児島では西郷どんに会って〜…



…あれ?
あとなにしたっけな…?



えーっと…
(なんかすみません)



それからは船で沖縄へ。
沖縄へ着いた時の達成感みたいな
ドキドキは旅の醍醐味の一つかも。


せっかくなのでさらにフェリーで
本島から3時間ほど離れた小さな島へ。


そしてその帰りの船で…

緊急事態発生。




2011年3月11日。



そうなんです。

東日本大震災があった日は
離島から本島へ帰る船の上にいました。

幸い怪我等は一切なかったのですが、
日本全域で津波警報があった為、
漁港も港も24時間全て閉ざされ
その間、船は留まるよう指示がありました

すぐ隣には海上保安庁の船が
待機しており、そこから毛布や非常食が渡され、これが異常事態なんやというをリアルに感じた初めての時です。
  


結局港が開いたのは乗船してから
だいたい26時間後。


その間の食事は保安船からの非常食や
船員さんが釣ってくれた海の幸。

まだ自分のように若い奴らは地べたに
寝っ転がってられるが
爺ちゃんや婆ちゃん、それに小さな子供を
連れたママが辛そうにしてるのが印象的で


船内で流れているニュースは
繰り返されるネガティブな映像にも疲れ…


こんな時だからこそ何か自分に出来ることはと思うものの空っぽの自分では
ただ呆然としてるばかり。


それでも今自分が出来ることと言えば
子供と遊んだり爺ちゃん婆ちゃんの
過去の武勇伝を聞かせてもらったり


自分はずっと彼女がいなくて〜みたいな話から、面白おかしくフラれた自慢をしてたらウケが良く
気付けば世代関係なくみんなの恋愛話大会で明るい雰囲気になったのが嬉しかった


たまたま乗り合わせた年齢もバラバラの
見ず知らずの他人同士なのに
みんな高校生に戻ったように
「〇組の〇〇ちゃんがさ〜」 みたいな
学校の休み時間みたいな空気。


やっぱり恋愛話(と時々の下ネタ)は
ネガティブを吹き飛ばしてくれるな!
そんなこと思いながら
無事本島に戻ったのを覚えています。


港に戻ると地元のカメラマンや記者、
一緒に乗船していた方の家族が出迎えて

自分も人生初インタビューや!
と慌ててトイレへ戻り
しっかりとセットをして戻った時には


さっきまで過去の大恋愛を話してた
爺ちゃんがインタビューに応え


こんなに元気そうな小僧には誰一人
声をかけてはくれませんでした。

勿論、誰も出迎えてくれる人などいるわけもなく…





あの時のソーキそば

しょっぱかったな…


〜続く〜

読んでいただきありがとうございます! ※絶対サポートしないで下さい!!! ただし1円でもサポートして下さった方にはもれなく…