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心を守るBGM

わたしは雑音が結構すきだ。

わたしの中の雑音の定義は、うるさい音。騒音。
というよりは、聞きたくて聞いている音以外の音のこと。

ファミレスで聞こえてくる様々な話し声、電車の中のアナウンス、夜の虫の声、車やバイクの走る音、どこからか鳴るクラクション、食器と食器がかさばる音、パソコンのキーボードを打つ音、紙を捲る音、鉛筆で文字を書く音、家の外の道で笑いながら歩いている人の声、皿洗いの水の音、風で葉が擦り合わさる音、掃除機の音、雨が屋根を打ち付ける音、猫が喧嘩している声、波が砂を打ちつける音、店の扉が開いた時ピンポーンと鳴る合図音、夕方のチャイム、工事現場の音

どんな時でも現れるその音たちは、優しく寄り添ってくれる時もあれば目覚まし時計のように騒がしく鬱陶しく感じる時もある。

わたしの状況などお構いなしに直接耳に入ってくるそれらは、わたしにとってその時々で即興に流れるBGMのようなものだった。ないとなんだか寂しくてあると邪魔くさく感じる時もある。でも見慣れた風景を確かなものにしてくれる。

学生の時、自習をする場所は少し賑やかな場所を選んでいた。少しの雑音は、みんな自分達に起こる出来事に夢中であることを意味しているようだった。自分が他人にとってどう見られているのか気になって仕方なかったあの頃、その音たちは「あなたのことは誰も見ていないし気にしていないよ。」と言ってくれているようだった。自分のプライベートゾーンを守られているように感じて心地よかった。

うつ病の症状がひどく、正気を保っていられない時は外に出た。抑えられない不快な感情で死んでしまいたいと思いながら庭の側溝の上にお尻をつく。そこで無意識に聞こえてくる車の走る音、虫の鳴る声、風の音が、わたしのこのごちゃごちゃな脳みそをお疲れ様というように慰めてくれた。

念願のひとり暮らしで浮かれている時、自分の選んだフライパンで食材を混ぜる音が、洗濯機を回すゴウゴウとした音が、蛇口でお風呂を溜めている時のボコボコという音が、わたしが今憧れの暮らしをしていることを一緒に喜び応援してくれているようだった。

YouTubeや音楽サイトから流れるミュージシャンが命を削るように紡いだ音楽も、傷ついた心を癒したり勇気をもらったり楽しい気持ちを倍にしてくれたりする。
けれど、誰かが話している声や自然が作った音、ただ生活をしている時に鳴る音たちは、自分で音を流さなくても常にわたしと共にある。離れたくても離れさせてくれない。

そんな距離感で、わたしの人生を見守ったり刺激を与えたりしているその音たちは、訪れる毎日を変わり映えのないいつもと同じ日常にしてくれる。特別でない日常を雑音が確かなものにしてくれる。それはわたしの心を確かに守ってくれた。

今日は母が掃除機をかけている。テレビで動画を見ている今のわたしは「うるさいなあ」とムッとしながら変わり映えのないその音を心地よく思い、テレビを消して目をつむった。






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