不足すれば求め過ぎれば発散する無意識の基本欲求

整体師であり体癖理論の生みの親である野口晴哉さんは、
その理論の根幹として鬱散(うっさん)要求と集注欲求があると説いた。

鬱散、たまったものは発散したいという欲求と、
集注、欠乏したものは集めたいという欲求である。

人間は受けた刺激に応じて何かが溜まったり出ていったりする、
それによって何かを発散したり集めたりする欲求が生まれるのですね。

その傾向が主に体の作りによって人により異なっている、
その特徴を詳しく分類したのが体癖という理論です。

ここで重要なのは人が起こす何らかの行動はすべて、
この鬱散か集中に分類できるということですね。

例えば泣くという行動にしても親しい人が亡くなって、
様々な感情が内に積もっていくのを発散するためのものと、
人に関心を向けられず他人の注意などを惹くためのもの。

同じ泣くという行動にも何かを鬱散するためのものか、
それとも集注するためのものかで方向性が違う。

それは当然、周囲に与える影響の違いでもあります。

鬱散する行動はそれが良くも悪くも周囲にエネルギーをまき、
関わる人やものに対してそれを与えることになるでしょう。

正のエネルギーなら人をポジティブにするでしょうし、
負なら逆にネガティブにしてしまう。

そうして発散し適切な水準を超えてエネルギーが欠乏してくると、
今度は集注する方向に行くということですね。

集注する行動は良くも悪くも相手からエネルギーを奪う結果になる、
相手の正のエネルギーを奪い疲れさせたりすることもあれば、
逆に負のエネルギーを吸収し開放してあげることもできるでしょう。

そうしてエネルギーを集めて内に溜まり積もり積もって溢れそうになれば、
発散する方向へと向かっていくことになるわけです。

なお、エネルギーには物質的なものと精神的なものがあり、
行為によっては両方の性質をあわせ持つこともある。

例えば食べるという行為はその典型。

ストレスを発散するために食べる、精神的には鬱散の方向性でも、
肉体(物質的)にとってはエネルギーの集中になります。

この集中によって悪いもの、あるいは過剰にエネルギーを摂取すれば、
体の方に悪い影響が出てそれが精神に負荷をかける。

それを鬱散するためにまた食べてまた悪いものがたまり、
またと悪循環に陥ることもあります。

正と負、物質的と精神的といった様々な要素が、
エネルギーの流れを形作る。

その基本として発散から欠乏し、欠乏から集中しというプロセスを、
延々と繰り返しているのが人間に限らずエネルギーを持つもの、
その全ての存在に共通する根本的な性質なのですね。

で、このことを理解しておくことは大きな利点がある。

自分の行動にしろ自分以外の動きにしろその本質、
鬱散なのか集注なのか、正なのか負なのかをきちんと把握することで、
自分や周囲の影響の方向性をある程度でも能動的にコントロールできます。

もし、相手の行動が負の発散的性質を持っているのであれば、
近くにいれば負のエネルギーを吸収しマイナス影響を受ける。

であるなら基本的には距離を取るという選択をするのがいい。

あるいは、もし相手が親しい人で発散したい負のエネルギーを、
いくらかでも肩代わりしたいとか支えてあげたいと思うなら、
あえて近くにいてエネルギーを自分に集中しても良いでしょう。

ただし、その場合は自身にエネルギーを吸収できるだけの余裕がないと、
それが別の相手や何かに意図せず発散されマイナスな影響を与える。

そういう可能性があることもきちんと自覚しなければいけない。

逆に自分がどういった影響を与える鬱散や集注を行っているか?

きちんと把握することも大事。

このように自身や相手のエネルギーの方向性や性質を、
きちんと把握することでより良い関係を構築しやすくなる。

鬱散と集中という本質をきちんと意識しておくだけでも、
よりうまく自分や時に他者をもより良い方向に導いていけると思います。

ぜひ試してみてください。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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