人間は良くも悪くも複雑に学習する

人間に限ったことではないですが良くも悪くも、
学びや経験を繰り返すことで脳は物事を学習し、
様々な思考傾向や反応傾向を形作る。

人間の場合は他の生物が持つ動物的な本能、無意識とは別に、
意識を持ち特有の思考や認識を行うためその学習法、
学習過程は複雑になっていますが本質的には同じ。

そしてこれは、言い換えれば人間には学習による挑戦権の限界、
ある物事に対して前向きに行動できる回数に限界ががあるとも言えます。

なぜなら無意識という言動に大きく直結する側面は複数回学習するごとに、
それを良いか悪いかで判断し積極的になるか否かを決めるからです。

例えばある新しいことに挑戦することを考えてみましょう。

当然、はじめてのことばかりなのでうまくいかないことも多い、
それを苦痛に感じたとすると脳が新しいことと苦痛を結び付ける。

今やっている未知の物事は苦痛であると徐々に学習していく、
学習が進み両者が完全に結びついた時。

無意識的にある新しいことは苦痛を感じるものに変わってしまう、
それを意識的に覆すには相当に強い能動的な意思を持つこと、
持つための鍛錬を求められるでしょう。

あるいは生来的に負けず嫌い、ピンチこそ燃えるみたいな、
精神的な性質や思考傾向があるかどうか。

そういうものがない、鍛錬も足りてないとなれば基本的に、
一度学習し無意識に組み込まれた傾向は容易に払拭できない。

それがマイナスに影響するものなら物事に前向きに取り組みづらくなる、
挑戦権の限界とはそういうことです。

もちろん学習の段階でプラスの影響を受ける何かが組み込まれたなら、
その後の行動等はより良くスムーズになるでしょう。

ですからこの無意識の学習については誰であれきちんと意識し、
時に意図的に、能動的に学習させることも大事だと考える。

それを可能とするために学習システムには大きく3つの問題点というか、
厄介な性質があることは知っておくと良いと思う。

1つめの性質は学習する度に良くも悪くも少なからず、
学習結果が溜まっていくことで次に影響が出ること。

例えば新しい何かに失敗して苦痛を感じたとしても、
それで即座に両者がイコールで結ばれるわけじゃない。

だから挑戦権の限界まで複数回はチャレンジすることができる。

しかし完全には結び付かなくても少なからず結びつきが生まれる、
それは挑戦に対する軽微な負荷となり次の挑戦を難しくする。

つまり負の学習結果は積み重なるほどに次の挑戦の難易度を上げるのです。

これは残機ありのゲームとかイメージするとわかりやすいかなと思う。

残機が最大まで残っていれば軽い気持ちで挑戦しクリアも目指せるけど、
残機が減ってくるとそれだけで精神的にきつくなって、
うまく操作できなくなってクリアし難くなっていく。

ようは残機が減れば先に話したよほどピンチに燃えるとか、
負けず嫌いなどの性質や思考傾向がない限り、
精神にデバフがかかったようになるわけです。

だから学習は短期決戦、一気に勢いをつけて短期間で結果なりを出し、
より良いものだという認識を学習するのが大事だったりする。

じっくりコツコツ積み重ねるのは結び付くものが良かろうと悪かろうと、
ペースを乱さずやるべきことをやり続けられる安定感が必要なわけですね。

2つめの性質は学習は経験だけでなく知識や情報、
そこから生まれる想像によっても少なからず行われ、
それによって行動する前に学習結果が溜まる可能性もあること。

人間は実際の経験も知識や情報から生まれる想像上での出来事も、
同じように何らかの形で学習し無意識に蓄積していく。

イメージトレーニングなんかはそのままズバリでイメージを使い、
より良い思考傾向や精神的なあり方を無意識に学ばせるわけです。

ちなみに人間の認識は外(現実)からの刺激を脳が再現することで生まれる、
現実の動きも極論言えば想像、イメージと変わらない性質を持つ。

故に実際に体を動かすこととイメージ上で動かすことは理論上同じ、
リアリティが伴うイメージは実際の動きに影響します。

そのため例えば新しい何かに対するマイナスの知識や情報を事前に仕入れ、
それを元に想像を膨らませるとそれが無意識の学習に一役買って、
やる前から新しい何か=負のイメージとなって挑戦する意欲が失せる。

挑戦権を失うといったことにもなりかねないわけですね。

最後、3つめの性質はこの学習は認識の仕方によって、
その範囲を自由に広げることも狭めることも可能なこと。

例えば新しい何かへの挑戦を新しいことに挑戦することと拡大解釈し、
新しい何かに挑戦と負のイメージが結び付いてしまうと、
それ以降、あらゆる新しいことへの挑戦に負の影響が出やすくなります。

人間は物事を時に具体的に、時に抽象的に捉える認識の幅がある、
それは未知の物事に対する解像度を高めるなど良い側面もあれば、
上記のように抽象的に広い範囲と負の側面を結び付けるようなこともある。

無意識は現実だけでなく先に話したようにイメージからでも、
否が応でも何かを学習し思考傾向や精神的性質を形作るため、
認識の仕方、抽象性や具体性をある程度でも自分で把握しておく。

自在に操れるようにならないと意図しないところで、
自分の中に時に取り返しのつき辛い何かを学ばせてしまう。

なので、認識と学習の関係については特に気を付けるのが大事。

以上、3つの性質についてお話してきました。

繰り返しになりますが否が応でも人間の無意識は物事を学習する、
それが自分の中に蓄積され意識できないところで大きく影響し、
時に自分の人生を自分で形作れないといった感覚。

自分の人生を生きれてないという虚無感や失望感に繋がることもある。

ですから人間の学習システム、その3つの性質については、
きちんと理解したうえで日常を生きていく。

1つ1つの選択を丁寧に行っていくことは大事だと思うのです。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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