マルティン・ルターをキリスト教を改革した人ではなく保守した人の視点から見る

マルティン・ルターは宗教改革の中心人物として語られることが多く、
改革する人、新しい世界を開く人といったイメージが強いと思う。

それまでのキリスト教という既存の枠組みを打ち壊し、
人間中心の世界への一歩を踏み出したようなイメージもあるかもしれない。

確かにそのような側面があることは確かであろうと思う、
マルティン・ルターの考え方がどうあれ社会にはそのように受け取られ、
時に改革的な思想の旗印として掲げられる場合もある。

しかし、実際にはルターは保守的であったと個人的には思う。

少なくともキリスト教を改革したのではなくむしろ守った人である、
もしルターがいなければもしかしたらキリスト教は教えとして、
現代まで大きな影響力を持てなかった可能性もあると考える。

まず宗教改革についてざっとおさらいしてみましょう。

当時、キリスト教、神の教えを盾にした聖職者達の横暴や抑圧、
時に支配が表面化し民衆の多くが不満を募らせていた。

ついには贖宥状(免罪符)を金銭でやり取りしはじめた、
神による罪の許しはお金によって成されるという価値観を、
実質的に推奨し始めたと言って良いでしょう。

神から見て人間はすべからく平等であるという教えを掲げながら、
格差による恩恵の多寡を良しとするようなそのあり方は、
間違いなくキリスト教という教えの軸。

民衆の間に根付いていた信仰という観念を大きく揺るがしたと考えられる。

ルターもまたその有り様を見て聖職者達の堕落や腐敗を危険視し、
宗教改革の直接のきっかけとなったとも言われる、
『95か条の論題』という文書を書き上げた。

これが、ルターが改革的な人物だったというイメージ、
その元にもなっていると思いますが実際には違うという説が現代では定説。

まず、この95か条の論題はラテン語で書かれていたと考えられている、
当時のドイツの一般庶民の多くはラテン語を読み書きできなかった。

つまりルター本人の意図は95か条の論題はキリスト教内部のみに対する、
現状の批判を表明したものに過ぎなかったと考えられるのです。

95か条の論題をドイツ語に翻訳し一般庶民にまで広く知らしめた人、
引いては西洋全体を巻き込む宗教改革、宗教戦争の引き金を引いたのは、
誰かはわかっていないのですが別の人だったと考えられています。

しかし何が原因であれ改革、革命の炎が大きく燃え上がり、
その流れがもはや変えがたいと悟りルターは新しい宗派。

プロテスタントを立ち上げることとなった。

しかし、それも時に改革、革命の名の下に過激な行動に走る民衆をなだめ、
少しでも被害を減らそうとするためのものであったように考えられる。

そしてルターがキリスト教という教えを守ったと考えられる最大の理由は、
95か条の論題にしろプロテスタントにしろ教え自体を否定せず、
一貫して聖職者の堕落や横暴を批判していたということ。

キリスト教の教えを捻じ曲げている、神の意志はそこにはないと批判し、
キリスト教とキリスト教徒の聖職者を明確に分けた点にある。

坊主憎けりゃ袈裟までという言葉もあるように教えとそれを扱う者、
両者は混同されやすいものです。

当時の民衆もキリスト教という教えとそれを都合よく解釈し、
私益を貪ることに浸かっていた聖職者の違いを明確に理解し、
きちんと分けて考えることができた人は多くなかったでしょう。

ルターは95か条の論題やプロテスタントという新たな宗派を通じて、
キリスト教の教えとは聖書の教えであり聖職者の教えではないと、
明確に線引して聖書を信仰の対象とする考え方を提唱した。

それによって民衆の観念においてキリスト教と聖職者、
明確に異なる2つの定義を形作りキリスト教全体と民衆の衝突ではなく、
キリスト教を利用する聖職者と真にキリスト教を信仰する者の衝突にした。

仮に、もしルターがおらずキリスト教全体の批判意識が高まり、
民衆のキリスト教への信仰の観念が完全な敵対への観念に反転すれば、
おそらく宗教戦争と呼ばれる衝突はもっと悲惨なものになっていたと思う。

最悪どちらかが潰えるまでの殲滅戦争に発展していたかもしれない、
少なくともキリスト教という教えはその形式だけを残し、
信仰としてはほとんど西洋社会から失われていたと思う。

西洋社会を形作ったのはキリスト教による伝統や文化が大きいため、
その多くが一気に失われたとなれば戦争が終結したとしても、
社会的基盤が大きく揺らぎ長い混乱が続いたようにも思います。

そういう視点で見るとルターの行動はキリスト教、
引いては西洋社会を揺らがす意図のものではなく、
むしろ何とかして守ろうとする姿勢。

保守的なものであったように思うわけですね。

そして、この視点から学ぶべきことがあるように思う。

観念の崩壊はその是非に関わらず実質的基盤の崩壊につながることをです。

キリスト教という教えが全て正しいと言うつもりはありませんが、
当時の西洋社会は間違いなくキリスト教によって支えられていた。

それを利用して私益に走る聖職者が多くなる弊害も生んだわけですが、
だからといってキリスト教それ自体を完全に否定していたら、
人々の観念から信仰が完全に失われていたとしたら。

民衆が、引いては国がよって立つべき規範や基準を失うことになっていた、
先に話したように大きな社会的混乱を生んでいたでしょう。

ルターはそれを間違いなく理解していたように思う、
だから慎重にキリスト教と聖職者を分けて批判し、
民衆の観念を一挙に崩すことなく。

かといって抑圧や支配に苦しめられ続けるような道でもない、
より良いバランスを取る道を模索していたのだろうと思います。

この考え方は現代の変化の激しく多様な価値観に溢れた時代にこそ、
大いに必要になる考え方だと思う。

次々と現れる未知でだけど魅力的に見える思想や価値観を前に、
今の自分を、社会を構成している観念や概念の全てを、
自覚的に、あるいは無自覚に一気に否定し打ち壊すこと。

完全に新しい世界観を構築することが果たして最善なのか、
最善だとしてその変化に伴う多くの混乱や苦痛に向き合い、
乗り越える覚悟がきちんとあるのかどうか。

きちんと考えることが大事であると思うのです。

少なくともマルティン・ルターという人を改革、革命の正当化に使う、
新しい世界を開いたと安易に考えることは避けたほうが良いと思う。

その意図、バランス感覚こそ大いに学ぶものがあるのではというお話です。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?