与える人は成功するという考え方の本質

近年、ギバーやテイカーといった言葉が広まり、
与える人は成功するという考え方がよく見られるようになった。

その類の考え方を推奨、テクニックや方法論ついての本なども、
いろんな著者の方が執筆し出版され目に入ることも多い。

だけど与えることで不利益を被るような経験がある場合などには、
こういった考え方は綺麗ごとで何の役にも立たないと思われることもある。

実際、ギバーテイカー論でも闇雲に与えること、
無私の精神で行うことは良くないなどと言われる、
与え方にもコツがあるとか何とか言われたりする。

こういうその時々場合によるといった細かい指摘などを見ると、
結局のところ与えるって何なのかと思うことはないでしょうか。

相手のためになるようなこと、価値を提供していくこと、
与えれば成功すると言ってだけどただ与えるだけでは意味がない、
例えば人を選べとか言われるとそれって与えることになるのか。

環境や状況に応じて与えを制御することは個人中心思想、
自分にとってのメリットとデメリットを見極めて、
自分に都合が良い状況を構築するような考え方と何が違うのか。

というか、自分に都合が良い状況を見極め作り出すということ、
自分にとってメリットがある時は与えるけどそれ以外は見過ごす。

与えるより得られるものを多くしようとする人のことをテイカーなどと、
奪う人という意味で呼ぶわけで選ぶギバーとはつまりテイカーではないか。

与えると言いながら結局は奪うようなことになるのではないか、
しかし自分を犠牲にしてでも与え続けるというのは違う。

自分のメリットを最大化するわけではなくかといって自分を犠牲にしない、
お互いの言動がお互いを高めるような調和されたあり方。

自分も自他も与え合うことでより良い状況を生み出すのが理想、
それが与えるということの最大の意義である。

これをとりあえず前提とするならそれを可能とする、
与えることの本質はどこにあるのか。

個人的には与えるとはつまり動きを生むということであると思う。

人間に限った話ではないですが生物には外界からの刺激に対し、
ある一定の反応を示す基本的な機能が備わっている。

動物であれば本能、人間であれば無意識と呼ばれるような領域、
そこから反応的、衝動的に思考傾向や言動を生み出す機能です。

例えばおいしそうな匂いがしてると何かを食べたくなる、
お腹が減っている時はさらに食べたいという思いが高まるのは、
無意識的な反応傾向がそのようになっているからです。

そして、この反応にはざっくり分けると2つの傾向がある、
良いものに惹かれる傾向と悪いものを避けたがる傾向です。

前者がメリットを得たい、居心地の良い環境に浸りたいなどの思いを生む、
後者がデメリットを避けたい、時に攻撃的、排斥的な思いを生む。

外界から受けるある刺激に対して良いものか悪いものかを判断し、
その時々に適切だと思われる反応を無意識は示す。

で、ここからが重要なのですが人間には無意識だけではない、
受ける刺激に対して反応するだけでなく自ら意志を生み出し、
何かに働きかけるための意識という機能があります。

与えるとはつまりこの意識的、能動的な意志を用いて、
相手に対して自ら働きかけることで何らかの反応、
動きを生み出すことだと考えられる。

意識を用いて相手の無意識を動かすことを与えると定義でき、
相手の反応が自分の無意識をより良い形で動かすことで、
また相手に良い影響を与えまた自身へと戻ってくる。

そんな好循環を生み出すことがつまりは与えることで成功することの意味、
本質ではないかと個人的には思っています。

ですが、意識的な与えるには重大な欠点と言いますか問題がある。

意識は無意識の反応から断絶した在り方、思考傾向を持つために、
自分はもちろん自他となるとさらに無意識の傾向を把握しづらく、
それが独りよがりな押し付けや相手の傾向の見誤りに繋がりやすい。

結果、自分では与えたと思っていても実際は相手の無意識を、
ネガティブな方向に動かしただけという状況があり得る。

ネガティブな反応は高確率で自身のネガティブな反応を引き出す、
そうして両者とも反応が悪化していく悪循環に陥りやすいのですね。

と、色々お話してきましたがつまり与えることの本質とは、
意識を用いてまず自分が相手に働きかけることで、
何らかの動きを生み出すきっかけを作るということ。

成功する、価値が生まれるには心にせよ体にせよ動きが必要である、
動きがないところに何かが生まれることはない。

だけど先に話したように無意識とは外界からの刺激に反応する機能である、
故にまず刺激を受けないことには動きが生まれない性質があり、
無意識が満たされるには何かしらの刺激を待つしかない。

テイカーとはつまり無意識を満たすために相手から働きかけを待つ、
能動的に思考し行動せず最低限の労力などでより良い状態になりたい、
自分が動くことなく相手の意志を求める人のことを言うのでしょう。

加えて受けた刺激に対する反応も常に自分の方を向いているため、
相手に対して示される反応が良くも悪くも一切ないため、
思考傾向や引いては言動が客観的に奪うように見える。

だけど、そういう生き方は常に受動的、相手の働きかけ次第であり、
おまけに奪うためにより良い反応を示されることも少ない。

結果としてあらゆる関係、作用によって形作られる現実において、
大抵の社会、集団から弾かれ成功から遠のくことになるのだと思う。

逆に与える人は少なくともまず自分が働きかけるという意志を持つことで、
何らかの反応を能動的に示してもらうことができる。

自分から刺激を待つ必要がないという時点でテイカーと呼ばれる場合より、
成功する可能性が高まる、多くの道が開かれていくのは確かだと考える。

しかし、先に話したように意識的な意志は無意識的な反応と、
大抵は異なるため時にそれが押し付けやマイナスな影響となり、
ネガティブな反応の示し合いとなってしまうこともあるため。

与えるが実際には与えてない場合もあることは、
きちんと意識しておくのが大事になるのでしょう。

とりあえず与えるということはまず自分から働きかけることで、
相手のより良い無意識的な反応を引き出し互いに好循環をもたらすこと。

さらに次元の高い与えとして相手の反応傾向をより良いものへ転換する、
きっかけを示すというものもあると考えますがこれは難しいと思うので、
まず働きかけと反応をより良いもにしていく。

無意識的な動きを生み出す与えを言動に反映させていくと、
与える人は成功するという状態をきちんと実現できる。

その助けになると思うので与える生き方を実践したいと思うなら、
ぜひ意識してみると良いのではと思います。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。


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