価値観の揺り戻しがおきつつある激動の現代をどう生きるか

哲学者のヘーゲルは弁証法という方法を用いて世界を観測していたと言われる、
その中で中核をなすのがアウフヘーベン、日本だと止揚と呼ばれる考え方。

止揚とは例えば今世界で主流となっている何らかの思想等が否定された時、
前に主流となっていた思想等に揺り戻っていくことになる。

だけどその全てを否定することなく一部の良いと思われるものは保持して、
新たな要素を付け加えることでさらなるより良い何かを見出すもの。

そうして否定と揺り戻しと模索を繰り返し少しずつより良い何かを定義し、
最終的には究極的な1つの答えに至れると考えていたのだと思います。

さて、実際に世界はこの止揚の法則によって動いてるように見える、
例えば西洋ではキリスト教や貴族階級による支配の否定。

ようは、集団としてのあり方ではなく個人としてのあり方が重視され、
個人主義、自由、人権の保証といった価値観が優勢になった。

その流れが資本主義を中心とする自由主義等を生んだのですが、
今度はそれが行き過ぎたせいで強者である個人ないし少数集団が、
大多数を支配するという格差社会を生み出すに至る。

それはいかがなものかと社会主義やそれを元にする共産主義が生まれ、
だけどそれも行き過ぎた結果少数による支配が実現してしまい、
冷戦の時代を経て共産主義は否定されだけど資本主義に偏りすぎず。

丁度よいバランスを模索しようという動きが生まれた。

そして現代、超格差社会とも呼べる状況が生まれるに至り、
この動きが大きくなり影響力を強め完全な自由主義を否定し、
だけど共産主義のような極端なあり方に偏ることなく。

より良い何かを模索しようという勢力と既得権益を手放したくない勢力、
両者がぶつかり権力争いに明け暮れているというのが実情だと考えられる。

つまり現代は主流となる価値観が揺り戻されどのような何かに辿り着くか、
様々な要因が絡み合う激動(激流)の時代だと言うことができます。

こういう時代にあって個人がより良い人生を送っていくために、
どのように生きれば良いかと考えた時まず意識すべきと思うのが、
自分の軸をしっかりと定めておくということ。

こういう全体として確固とした軸が定まらず揺らいでいるような時代では、
個人や集団が自身が本当に正しいと思う価値観やあり方を各々発信したり、
あるいは自身の利益に都合が良い何かを優勢にしようと考える。

加えてネット全盛の現代は情報等が即座に世界中に拡散される状況、
あらゆる性質の考え方を意識的に断ち切ろうとしない限りは、
自然と自身の中に受け入れてしまうようになっている。

そんな時、もし自分の軸が定まってなければあらゆる思想に振り回される、
川に流されていく石が様々なものにぶつかって徐々に削れていくように、
自分という存在が削れていきいずれ失われていくことになるでしょう。

だけど流されないほど大きく重量のある石であればそう簡単には削れない、
時には流れの方を変えてしまうこともある。

同じようにしっかりした自己を確立することが、
こういう激動の時代には重要だと思うのです。

それができてはじめて流されることなく自分の大事なものを見据えて、
必要なことを成し、得ていくことができるようになるのだと思います。

そして時に一部であれ流れを変えられるような、
何かしらの思想なり価値観なりを発信できるようになることもある。

何を目的にするにせよ言えるのはこういう揺り戻しの時代において、
まず確固とした自分という存在を定義することなしには、
自分の意志で能動的に歩んでいくことはできないということです。

これから先しばらくは世界全体が表面的にであれ共通して持つ、
何かしらの思想を模索していく段階が続いていくことで、
大きく世界情勢が変わっていき否が応でもそれに巻き込まれる。

というか、今起きている戦争によって急激な物価高が起きたりなど、
日本もすでにその影響に巻き込まれているということは、
少なくとも自覚しておかないといけないと思う。

そのうえでお話してきたように自分の人生を生きたいと思うなら、
自己を定義するということはぜひ意識してみてもらえればと思います。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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