生産力を身につければ自然と成果はついてくる

個人にしろ社会にしろ力の軸となるのは生産力であり、
生産力があればお金、信用や信頼、人脈等、
成果は必ずついてくるものだと考えてる。

ようは、人に与えられる何かがあれば自然と人から与えられる。

しかし、資本主義社会において生産力の価値を可視化したお金が、
それ自体に価値があるよう錯覚を起こしたことによって、
生産力の力を軽視する人間が一気に増えた。

その結果起こったのが中身(生産力)のない人間の権力者化。

お金という見せかけの力を盲信し権力を付加することによって、
お金があれば何でもできる的な思想を社会を超え世界に根付かせたと思う。

簡単に言えばリンゴを生産する力があればリンゴを手に入れられますが、
リンゴを生産する力がないのにお金だけあっても手に入らないのです。

お金はそれだけあったところで何の役にも立たない、
先に話したように生産力の価値を可視化したものに過ぎず、
逆に言えば生産力の裏付けがないお金に価値は宿らない。

そのことを示すものはいくらでもあって例えば宝くじ。

宝くじの高額当選者はその8割が後に破産したり、
金銭トラブルに巻き込まれると言われてますが、
それは単純にそのお金に生産力の裏付けがないからです。

わかりやすく言えばそのお金を手にするに足る生産力、
誰かや社会等に与える価値を持ってないにも関わらず、
過ぎたお金を宝くじという偶然によって手にしてしまった。

故に、過ぎた価値の投影であるお金を扱い切ることができない、
使い方を誤って最終的に自身の扱えるだけの現状を引き寄せる。

過ぎたものであればその分マイナスな現状に落ち着くということです。

これはお金に関わらず先に話した信用や信頼、人脈(人との繋がり)も、
突き詰めればある個人の生産力(価値の創造力)の投影であり、
長期的にはその能力の内に自然と収まるようにできている。

ですが、主にお金自体に価値が宿るという錯覚からはじまり、
そこに付随する形での信用や信頼、人脈がありえてしてしまう。

そして、お金自体は生産力がなくても手にする機会が現代では多い、
先の宝くじ然り株などの投資や両親等からの資産の引き継ぎなど、
生産力に裏付けされないお金という状態がありうる。

しかし、繰り返しですが裏付けのないものは必ず手からこぼれ落ちる、
特に他者から与えられなければ絶対に手にすることができないものは、
自身の生産力以外に本当の意味で手にできる機会はないと断言していい。

ようは、何だかんだで人生に近道はないと思うのです。

積み重ね、忍耐、修練、他者との地道な関わり、時間をかけるということ、
そういう現代人から見れば前時代的で無駄だと思われがちなことが、
結局のところ人間社会で自身が満足する状況を引き寄せるのに大事なもの。

むしろ、そういったことを無駄だと断じ避ける人が増えたからこそ、
そこには昔よりも大きな価値が宿るとも言えるかもしれません。

人にはできないことができるというだけでもそれは価値、
生産力へと変わるからですね。

何にせよ言えるのは自身が今持っていると思うものは、
中身のない見せかけか生産力に裏打ちされた確かなものか。

大事なものであればあるほど、どうであるかはきちんと把握する。

このことは意識してみると良いのではないかと思います。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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