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間違った平等観に縛られていると何であれ成功できない理由

かの有名な福沢諭吉さんは学問のすすめの中で、
平等のあり方を説きました。

人は誰であれ権利通議において平等であるべきだけど、
その有様は不平等で当たり前であるというものです。

権利通議とは現代風に言い換えるなら人権と呼ばれるもの、
人が人生をどう生きそれによって何を得られるかは、
平等に自由にできる権利があるべきという意味です。

そして有様は不平等というかみな違って当たり前とも言っています。

ようは、人は誰であれ自分の人生をどう生きて何を得るかは自由だけど、
その結果どんな有様(状態)になるかは人それぞれ違うのものだと、
それが真の平等なんだと福沢諭吉さんは説いたのです。

ですが、現代の特に日本ではわりと多くの人の平等の捉え方が、
権利ではなく有様も皆平等であれと考える場合が多い。

その結果どうなるかというと一番下の基準に皆合わせる考え方になる。

例えば運動会のかけっこで順位をつけず、
皆1位でゴールするみたいなことをやる学校があったりとか。

当然ですが人の運動能力には差があるのが当たり前で、
どれだけ努力しても埋まらないことがあるのは確かです。

だからといってそれで競争を排して皆1位と有様をそろえてしまえば、
もっと上に行こうと頑張りたい子供の権利を奪うことになる。

つまり平等であるとは権利か有様のどちらかしかないのです。

で、どちらが正しいかはおいておいて重要なのは、
少なくとも現代社会の大半は権利の平等で成立しているということ。

人は誰であれあらゆる選択とそれによって行動する権利があり、
その結果が正当に認められるよう世界は進んでいます。

ですから、そんな世界でより大きな成功を得たいと思うなら、
それに合った選択や行動をする必要があるのです。

そのために大事なのが福沢諭吉の説いた、
権利と有様は別だという平等観を持つこと。

そして、自分の持つ資質を最大限活用できるような選択をすることです。

運動能力にしろ思考力にしろ人には個人差があり、
優劣があるということは揺るがない事実です。

加えて先に話したように現代は権利の平等がある程度成立する世界であり、
それはつまり有様は必要なことを必要なだけできたかどうかで決まる、
自身の選択と行動の結果によって導かれるということでもあります。

例えばビジネスの世界で成功したいと思うのであれば、
その成功に足る必要なことを積み重ねる必要があって、
だけどそのためのスキルや思考力がない場合。

当然ながら成功することはできないし成功できないという結果は、
自分の選択と行動の結果によって導かれたものだということ。

これをありのまま受け入れるのが権利と有様は別という平等観。

そのうえで自分にはビジネスで成功するための資質があるのか、
努力すれば身につくたぐいのものなのかそうではないのかは、
冷静に見極めなくちゃいけない。

先に話した運動能力のように生まれながらのものが、
大きく影響することも世の中にはあってそれが成功に必要なら、
生まれながらに持ってる人と持ってない人の差は大きいからです。

そういう分野で持たない者として成功を目指すのも1つの選択ですが、
持つものより圧倒的に多く効率的な努力を求められますし、
それでもなお成功できるかどうかはわからない。

なので、自分にある資質を最大限活かすことができるような、
そんな選択をしたほうが成功という点では良いのですね。

もちろん、持たない者として挑戦するというのも1つの選択ですが、
選択と行動の権利でその道を選んだのであれば、
例え成功できなくてもその結果を受け入れなければならない。

と、いろいろお話してきましたが日本も含めこの世界の大半は、
権利の平等によって回っている。

権利の平等がある世界ではあらゆる選択と行動の権利がありますが、
同時に有様はその人の持つ資質(能力)と選択と行動によるもので、
それは受け入れなければならないということは覚えておくと良いです。

そのうえで、自分の資質を最大限活かす選択をするのか、
例え不利でも挑戦することに価値をおく選択をするのか。

それは人それぞれでしょうが少なくとも権利ではなく、
有様を平等にするという平等観だと現代では、
実質的な成功も精神的な成功も得ることはできない。

このことは意識すると何であれ成功しやすくなると思いますよ。

どうするかはあなたの選択次第です。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。




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