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日本を支えた女性たち -昭和のキャリア-

毎日ブログ 142日目(2020/7/19)

本日、私の実家から母が遊びにやってきました。
コロナのご時世なので、お互いに1時間の距離なのになかなか行き来しにくいのですが、緊急事態宣言も解除されて早2か月と言うことで、孫の顔を見に来たわけです。

ちょうど次の水曜日が長男の誕生日。そのお祝いも兼ねての来訪ですね。みんなで一緒にケーキも食べました。

いつもは野菜を送ってきてくれてて、今日は持ってきてくれて、本当にありがたい話です。

たまにキャベツなどを調理しようとすると、「おまけ」が顔を出して、私も妻もビビります。割り箸でつまんで割りばし事ポイっと^^;

ところが母は違います。ひょい、ポイ、ぶち、ぐりぐり。…強い^^;
もちろん最初からそんなことができた訳ではなく、やはり慣れや経験は強いと思うのです。

そんな母の姿から、これまで日本を支えてきた女性たちのキャリアを考えてみようと思いました。

この親にして、この子あり

実は私は母の年齢を知りません。
以前何気なく聞いたことはあるんです。もう20~30年前の話ですが。

そういえばお母さんって年いくつだった?

母の返答は少し予想外でした。

女性に年齢を聞く者じゃないよ。

ああ、なるほど、確かにそうかも。と思って記憶があります。
それ以来なのか、それ以前からなのか。私はいまいち他人の年齢というモノに頓着しなくなりました。
あの後も所用で母に年齢を聞くこともあったのですが、用が終わると忘れてしまうんですね。

そんな母に育ててもらった私ですが、小さい頃は特に小児喘息の発作などがひどく、3人兄弟の中で最も心配をかけたという認識でいます。
幼稚園帰りに週2で注射を打ちに病院通いしたり、針治療に行ったり、食事療法で毎朝みんなと違う食事を作ったり。
また、それなのに発作の出ていない時は外で暴れ合わり、庭で骨折して毎週のように接骨院通い。ギプスで友達と遊びまわり、全治2か月の診断が3か月になったり… 今思い出せば、なかなかに激しいですね^^;

その間、父はそうしていたのかというと、実はあまり記憶がないんです。
朝起きるともう会社に行っていて、帰ってきて夕飯は一緒に食べているはずなのですが… テレビの観すぎ、ゲーム(ファミコン)のやりすぎで起こられている記憶ばかりです^^; 尊敬できる父でしたが、少し記憶に薄いのです。
まさに1年前の私ですね。息子と顔を会わせるたびに起こっていた印象です。

そんな父ですが、私が16歳の冬に病死しています。そして母も病気で入院をしてしまい、最悪なタイミングで私が祖父に対して反抗期。あの時期は本当に母にとっては大変な時期だったと反省しています。

まだ10代の男3人兄弟と、祖父とを抱えてパートで働く日々。

私も先日、妻が熱を出した際に、息子たちと妻との食事をはじめワンオペを体験しましたが、あれはキツイ。もうやりたくない。

これを、何年続けたんだ…? 改めて思い起こすと、やっぱりすごい人だ…

当時(昭和中期~後期)の社会環境

私の実家も、世間一般様とさほど変わりがなく、父が外で仕事をし、給与という名の収穫を得てくる。母は内で家庭を維持する役目を負う。
ある意味での役割分担ができていたのでしょう。

当時は男性の収入もそれなりにあって、贅沢さえしなければ一人が働いているだけで家族全員が食べていける、数人の子供を学校に通わせられるだけの生活ができたのです。

今と違って女性は「働きに出なくてもやっていける時代」だったのです。

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ところが我が家は先にも書いた通り父が病に倒れ、母が働きに出かけます。食べ盛り、わがまま盛りの男3人兄弟と、祖父を抱えて。

朝、朝食の準備。子供たちを送り出して洗濯などの家事。休むことなく自分の会社の送迎バスに駆け込む。
夕方帰ってきたらすぐに夕飯の準備。掃除やキッチンの片付け、お風呂、etc、etc…

寝るのは子供たちが寝た後。いったいいつ、自分の時間があるんでしょうか?

当時の私はそんなことを何も気づかず、考えずにいました。

現在(平成~令和)の社会環境

日本は1986年に男女雇用機会均等法が成立しました。あれからもう34年が経過しています。法に従い様々な環境の整備があった事は確かでしょう。しかし、その実、内面的な世界は何か変わったのでしょうか?

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女性は結婚したら会社を辞める。
女性は出産・育児でキャリアが中断する。
女性は、女性は、女性は……

現在の社会でも聞えてくるこれらの言葉は、まるで呪詛の様で、怨念の様です。

女性は結婚したら会社を辞める?
女性自身が結婚しても辞めなくても良い魅力や環境を整備してから言うべき言葉です。
女性は出産・育児でキャリアが中断する?
とんでもない! 企業では経験できない数々のキャリアを積んで戻ってくるのです。出向、長期研修みたいなものです。中断するどころか得難い経験値を増してきますよ。

そんな考えだから女性の管理職は増えないし、女性の雇用が続かないのです。

男女雇用機会均等法から30年経ちましたが、いつになったら日本の会社組織は気付くのでしょうか?
気付いたうえで変わるのはいつの話なのでしょうか?

これからのオバチャーン

それでも私の母は笑っています。伯母達も、母の友達も笑っています。
現代社会と照らし合わせる必要は、実は必要ないのかも知れません。
彼女たちにとっては、やはり現実であり事実であり当たり前だったのでしょうから。

オバチャーンというアイドルユニットです。
非常に活き活きとしたおばちゃんたちです。

これまでのキャリアを受け入れ、新しいキャリアを構築していく。

いっそ母がこのメンバーになってくれたら、むかし母がそうしてくれたように、私も力一杯応援できるんですがね^^;


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