#65 あの危うい夜を過ごしたアメリカ人もまたエンジェルだったかもしれない
独身時代に一度だけ、私にアメリカ人の友人ができたことがあった。
そのアメリカ人で、年上で、男性である人物をAと呼ぶことにしよう。
Aとは、深夜の東京のファミレスで知り合った、と記憶している。
今は夫となったB (Americanに対しBritishでBとする) と出会ったイギリスから戻り、まだ長距離恋愛をしている時の話だ。
なぜ私が深夜のファミレスにいたのか、まったく思い出せない。どうやってそんな見ず知らずの人と会話が始まったのかも‥‥
Aの顔も、そしてあろうことか名前さえ憶えていない。ドキドキするような相手でも好きなタイプでもない。第一本当に私のなかでは恋愛対象年齢を超えていたのだから。
ひとつ思い出せる会話は、日本の教育に関するAの意見だった。
彼はこう言った。
「日本が学校教育で漢字を教えるために費やす時間を、どれだけもっと生産的なことに使えるだろう?漢字教育を止め、漢字を使用していなかったなら、日本はどれだけ発展していたことだろう。日本が漢字を中国に返上せず、気の遠くなる時間、漢字を学び続けたのは、文化として未熟だと思う。」
私はその時、『漢字を学んだことでこの国が発展できなかった、なんて感じたことないぞ』と思ったが、漢字ってアメリカ人の目にはそんな忌まわしいモノに映るのか‥‥ と、かなり目から鱗だったのだ。
そうだ、きっと私はAといると自分の知的好奇心が満たされたのだ。イギリスに一年間住んだ後での日本だったから、英語で自分の意見が言えることにきっと充足感があったのだと思う。
次に憶えている場面はAの部屋だ。
私たちは、会話が弾んだのだ、きっと。だから彼の家にいたのだ。しかも夜に。
Aの家に夜にいるとはどういうことだ?と言われてもなんの反論もできない。一体どういうことだったのかと、己が己に訊きたい。
出会ったのが深夜で、次の記憶も夜。そしてその間の記憶がない・・・・
昼間、太陽の下で会った記憶は、ない。
ただ、私にとっては、不思議と警戒心のカケラもなかったことだけは確かだ。
まったくどうかしている。
その頃の自分と同じ歳の娘を持つ今、「あちゃ~~」っと手で顔を覆いたくなる話でしかない。
私たちはコタツのような座卓のようなものの前に座って、いろいろ話をしていた。
不思議な取り合わせだけど、Aとの友情が成立していることをなんとなく誇らしく感じてもいたのだ。
なのに、会話が途切れた瞬間に、彼がそ~ぅっと私を倒したのだ。まるでスローモーションのようにゆっくりと。『押し倒す』というとどうしても乱暴な響きがあるが、それはなんというか、その行為によって相手の意向を確認するようなものでもあった。
その想像だにしなかった展開に、すぐさま、もし私が誤解を与えたのならごめんなさい。でも私はBのことも話したし、Aとこんなことになるつもりはない、と言った。
その時とっさに身をひるがえして私から離れた彼の申し訳なさそうな様子を私は憶えている。
私は27歳という十分な年齢だったので、Aとそのような大人の関係になることに異存はないと思われたのだ、とやっと理解した。なんという鈍感で無防備なヤツだったのか、私は。
Aは「勘違いしてしまい、大変すまなかった」と私に深く謝り、ちゃんと駅まで送ってくれたはずだ。
私にしても、汚されたような気持ちはない。狐につままれたような感じだったのだ。
とにかく私は自分の疎さと思慮のなさを恥じ、それ以来Aと会うことはなかった。不快だったからではない。自分の世間知らずを反省したからだ。
今の自分ならこの時の自分に滾々と説教するところだ!
それから間もなく、私は待ちに待った日を迎える。
日本で職を得たBが、仕事を辞め住まいもたたみ、イギリスからやって来るのだ。
その前の晩、自分の部屋であれこれと想像していたら眠れず、変にハイになっていた私は明け方近くに、いつの間にか眠りに落ちてしまった。
そして事もあろうか、ハッと目覚めた時は、すでにどうあがいても成田空港でBを迎える時刻には間に合わないと悟ることになる。
90年代前半のことだ。インターネットも携帯電話もない時代に、私になにができただろう・・・
その時にとっさに浮かんだのがあのAだったのだ。
躊躇する余裕などない。私は慌てて彼に電話し、泣きながらどうしよう・・と訴えた。
Aの指示はとても落ち着いていて、的確だった。
「Bの乗ってくる飛行機の航空会社に電話しなさい。便名を告げれば、伝言したい内容をプラカードにして、職員が到着ゲートで待っていてくれるはずだから」と。
地獄に仏
干天の慈雨
闇夜の灯火‥‥ どの表現でも合っている、あっぱれな助言だった。
同じ助言ができた人はいたかもしれないが、パニック状態の私に、助けを求めるべく相手はAしか思いつかなかった、と今でも思う。
こうして、生まれて初めて見知らぬ日本の地に降り立ったBは、4か月ぶりに私に会える代わりに、
"〇〇様。ミズカ新宿で待つ。成田エクスプレスで来られたし。"
これを英語にした伝言に迎えられたのだ。
哀れなB‥‥
日本に着陸さえすれば、後の心配は要らないと思っていたBは、『Shinjukuってなに?』『Narita expressってなに?』と全身の血の気が引いたのではないか‥‥
どう奮闘してくれたかものか、Bは新宿に向かい、半泣きで向かった私と、なんとか新宿の成田エクスプレスの降り口で逢うことができた。
もちろんBはあの時も、30年経った今も私のダーリンなのだが、あの時のAの機転がなかったら、長旅の後、不安でたどり着いた日本で恋人に見捨てられ、もう帰ってしまいたいと思ったことだろう‥‥
夫となったBは今でも、私を追ってやってきた日本での出発点があれだったことを悲劇の始まりのようなストーリーとして語ってくれる。
Aが私の世界にほんの一時だけ居てくれたことが今でもやっぱり不思議で、現実味もなくて
もしかしたら、羽のないエンジェルだったのじゃないかという話だ。
エンジェルは、ちょっとおっちょこちょいだった夜のことに赤面しているかもしれない‥‥ いえ、無謀で潔癖だった自分こそアホでした。
「あなたのおかげで、思慮深くなることを学びました」
「ただ、漢字が日本にあってよかったってことだけは譲れません。
日本語が好き。心からそう思います」
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