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#58 もう涙は流さない。最後だという辛さを、自分が変われるチャンスにした!


かつて18歳になった娘を、車でも6時間はかかる都市の大学へ送り出したのを皮切りに、2年後には長男をやはり同じ大学へ送り出した。今回、末っ子である18歳になった次男が家を離れるのは、自然な成り行きである。

上の二人とも在学中に国外へ留学もしているが、私がしゃしゃり出る場面など一度もなかったし、遠い国にいても、さほど心を砕くこともなかった。

ましてや大学を終えて直ぐ、仕事も住まいもないフランスへ飛び立った娘、Gap year (新卒で働くのを一年遅らせて旅にでたりすること) を、南米の国々で旅やボランティア活動をした息子の前例のおかげで、私の免疫はついているはずだった。

今回、地球の反対側とはいえ、治安の良さも習慣もわかっている日本へ旅立つ次男にそれほど違った感情を持つ必要はないのだ。

わかっている‥‥


今旅立つ息子は、上の二人が2歳違いなのに対して、姉とは9つ、兄とは7つ歳が離れている。

この子は、イギリスへ来てから授かった子どもで、本来なら7年前に子どもの巣立ちを終えていたはずの私たちに、もう一度思春期を見守るという時間をくれた。

だからこの次男と一緒に過ごせた時間は、私たちにとってボーナスみたいなありがたいものだった。


巣立ちといえば、私もやはり18歳で田舎から東京の学校へ行った。そしてそのまま東京で就職し、28歳で英国人と結婚したので、また両親と暮らすことはなかった。そして35歳で夫と二人の子どもとでイギリスに移住してきた。

母のことはnoteで度々書いているが、私の母は、私を遠くに見送る度に、いつも元気な笑顔でいてくれた。私の方が先に泣きだせば、もらい泣きもしたが、ふたりで抱き合って別れを惜しんでも、最後に元気にポンと背中を押す。私が後ろを振り返らなくてもいいように、力をくれる母だった。

娘が意気揚々と次の一歩を踏み出す時に、めそめそとして娘の後ろ髪を引くようなことは決してしなかった。


ところが私はと来たら‥‥

自分の予想とは裏腹に、子どもを見送る度にめそめそでグダグダになる母になってしまった。

私の子どもたちは全員揃いも揃って、オーガナイズすることが苦手だ。これは私も同じこと。つまり、私に似てしまったので、文句の言いようもない‥‥

初めて家を離れた時も、帰省が終わってまた自分の持ち場に戻っていく時も、荷造りはいつもギリギリ。前の晩にほとんど眠れない子、終わらないまま寝て、帰る当日にとんでもなく慌てている子、我が家のお決まりの光景である。

もう私は自分の姿を見ているようで、苦しくてたまらなくなる。だからいつも彼らのそんな様子を正視することができない。

家を出る日、電車やバスの時刻が近づくと、荷物を車に積んで駅まで送っていく。 

『ああ、間に合った~』とホッとする。

そして、「行っちゃった‥‥」とつぶやく。

始末が悪いのは家に戻ってからだ。

ベッドリネンを取り換えるために、さっきまで使われていた部屋へ入ると、いつもポカンとしてしまう。あれだけめちゃくちゃだった部屋が必ずきちんと片付いているのだ。

子どもが親の家に戻っている間は、どんだけ気が抜けてるんだよ、と言いたくなるくらいにダラダラして、朝もなかなか起きてこない。

それは、外では戦士の顔で頑張らなきゃいけない彼らの、一時の休息なのかもしれなくて‥‥ 私はけっこう甘くなる。なんだかんだ言っても、親の家で『素の自分』でいてくれるのが嬉しかったりする。

ところが、帰る間際だけは、アドレナリンが放出されるのか、こんなにきれいに片づけられるのだ。今しがたまで子どもの顔をしていた彼らが、すでに戦士の顔になったサインなのだろう。

『私の手の届かないところに行ってしまった‥‥』

整理された空っぽの部屋で、いたたまれなくなって泣けてくるのだ。

そんな私の姿は、家に残っていた子どもである次男の目に、どう映ってきたのだろう‥‥ 上の二人が家を出ていくたびに、打撃をうけている母の姿を見て、いつもなぐさめ役になってくれた次男には本当にフェアじゃなかった、と思う。


親が40になる手前に生まれた子どもだ。この末っ子は、親のミッドライフ・クライシス (中高年の危機) の不安定な姿をひとりで見守ったのだ。たまったもんじゃなかっただろう‥‥

とりわけここ数年は更年期鬱で塞いでいた私を目の前にして、不安な気持ちを共有する姉や兄がいないので、ひとりで辛かったこともあったろうと思う。


そして今日、その最後の子どもを見送った

私はあの失敗たちから学べただろうか‥‥

ちゃんとできたかどうかはわからないが、もうめそめその『重たい母』を返上したつもりだ。次男に対して詫びたい気持ちを、「いままでごめんね」なんて言っちゃだめだと思った。「頑張って行ってこいや」と明るく言えなきゃ、と

泣かずに見送った

夫が泣きそうなのも知っていた。

だから息子に涙を見せなかっただけじゃなく、もう私はめそめそしないと決めた。


頑張れ息子! ずっとBaby of the family (家族の赤ちゃん) と呼ばれてきたけれど、いつか日本から帰ってくる時には、土を耕して、『他人の飯を食う』ことで成長した君を見せてほしい。

次に会うのが楽しみだよ。

私だって負けていられないから‥‥




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