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#74 あの少年が見せた誇らしげなポーズを私は忘れられないでいる


一昨年の夏まで私は英国のSpecial needs school (特別支援学校)で働いていた。

結果的にはイギリス社会で働くのはもう嫌だという思いで去った職場だったが、思い出すと笑みがこぼれるような場面もいくつもある。

とりわけ、一年近くに渡って専任で担当したJack (仮名) のことだけは、未練のない職場にあって、なんだか恋しいような気持ちなのである。

それは、私に更年期特有の症状が出始めたじくじくとした時期に、いくつかの偶然が重なり与えられることになった『癒され』ポジションだった。


Jackは自閉症。9歳だけど、私よりも身体が大きかった。目がクリクリっとして愛らしく、体型も真っ白な肌も本当に可愛らしかった。

まずこれから話すのは、私の経験した限りの話だと断っておきます。

自閉症というと、音や光といった環境に過敏でありながら、不快さや不安を表現する術を持たない子が多かった。思い通りにならない時に自傷的になったり、攻撃的になったりせざるを得ない子どもたちがある中で、Jackは『癒し』になるくらい温厚な性質を持っていた。

Jackはほかの同年齢の子どもたちとのクラスで過ごすよりも、Sensory (知覚・感覚) 中心のカリキュラムで1対1のアシスタントが付くことが最善と査定されていた。

私の朝は、スクールバスに迎えに行くところから始まる。

“Good morning, Jack” と言って迎える。私は自然と笑顔がこぼれるくらいJackと会うことが嬉しかった。
そこからJackを安心させるためのコミュニケーションが始まる。

それは、これから向かう場所の合図となるobject (物) を見せるということだ。その合図になる物は以前からずっと同じものが使われていた。同時にA4サイズの写真をラミネートしたものも見せた。
例えば、朝の最初は同年齢の8~9人で構成されたクラスに向かう。その際はそのクラスを象徴する物 (例えば小さなぬいぐるみ) と、クラスの先生の写真を同時に見せる。ゆくゆくはこのobject (物) なし、写真だけで理解してもらうまでの過程なのだ。

学校の中にはスイミングプールや音と光を感じるための特別なセンサリールーム (Sensory room)、ボールプールのあるソフトプレイルーム、トランポリンのセッションなど、移動場所が盛りだくさんある。

私自身に与えられる45分間のランチタイム以外、生徒たちがいる時間のすべてを私はJackと過ごした。

Jackはあまり運動が好きそうではなかったが、受動的に動くこと、例えばトランポリンで体育教員が飛ぶことで座ったままの自分の体がポヨンポヨンと宙に浮くことがとても嬉しそうだった。

週の終わりの日には、スキンシップとリラクゼーションのようなセッションがある。大人の私たちがくまさんのように子どもを後ろから包むように座り、音楽に合わせて大きく体を動かす。この時に、ビーンバッグに体を沈めているので、手加減なく私に全体重を預けるJackの下になる私は捉えられて動けない小動物に見えていたようだ。

ずどーんと重たくて、なんだか愉快な気分でもあった。なにしろ何をされても可愛いのだから‥‥

Jackの時間割は毎日違っていて、タイムキーピングはとても大切なことだった。次の場所への移動も、大人の都合ではなく、Jackにとって『こうでなくてはならない』ルートをたどる必要があった。

まずJackに行き先の合図となるものを見せて、それを持ったまま歩く。そんなわけで私はJackと過ごす間は大きなバッグに入れたありとあらゆるobject (物) を持ち歩いていた。

ちょっとしたメアリーポピンズ気分だったかもしれない。

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そのJackとのことで忘れられないことがある


私の受け持ちが始まったのは冬のことで、その他の子どもたちと同様にJackはパンツ型のオムツを履いていた。
疑問に思わなければどうということもない、この学校では珍しくないことだ。

Jackにとってトイレに行くということはつまりオムツを替えることを意味した。
指導要項の中にはトイレットトレーニングという文字はあったものの、実際にJackはトイレを排泄の場所だと思っているふうもなかった。


Jackと過ごす時間が半年近くになって、私はなにかに突き動かされてしまうのだ。

Jackにはお兄ちゃんと未就学の妹がいて、お母さんにとってJackだけのために捧げる時間はないのだろう。学校に居る時間にJackのあれこれに集中できる私の時間というのは、公的援助があればこその贅沢な時間だ。

9歳のこの子が自分の息子なら、この大きなオムツを外してあげることが私の真っ先にしたいことだった。

ちょうどイギリスにも夏が来ていたので、身に着けているものも軽装だ。おもらしをしたところでJackが寒い思いをすることはない。

「学校は教育の場だ。親がすべき基本的生活習慣との線引きが必要」という立ち位置である先生たちは、私の意識がそちらに分散するのを危惧して、「やらなくてもいい」というシグナルを送っていたと思う。

オムツを外してからからというもの、『不毛だ‥‥』と思うくらい、来る日も来る日もJackはパンツとショーツを濡らし続けた。

当然、床に水たまりができたり、じゅうたんが濡れて余計な掃除が必要だったり、セッションを抜けてトイレで着替えをさせたりと、周囲に迷惑がかかっているかも‥‥といつも気が気ではなかった。

おかあさんが用意してくれる着替えも全然足りなかったし、学校に予備で置かれている着替えも底をついた。私は息子たちが使っていた下着やTシャツ、靴下やショーツを総動員させ、自分の家に持ち帰って洗濯した。

とりわけJackの履く黒い合皮の靴が、拭いても干してもきっと『おしっこ臭かった』だろうということが申し訳なくて悩んだ。

相当悩んだ‥‥  私は何をやっているんだろう‥‥

いちばん大変な時期に、たまたまおかあさんが旅行で家を空け、おばあちゃんが代わりに家を守っていたことが私を励ましてくれた。家と学校との連絡ノートに『洗濯物が多くてごめんなさい』と書くと、おばあちゃんは『大丈夫、感謝しています』と返してくれた。

芳しい結果を出せていないある日、おかあさんが学校やソーシャルワーカーとのミーティングに来ていることを知った。

ミーティングを終え、帰ろうとするおかあさんを呼び止め、Jackのトイレットトレーニングについて家でできることを提案してみた。おかあさんは、「おにいちゃんがおしっこするところをJackに見せるわ」と言ってくれた。

そうなのだ。こういうことが他人や学校という公の場ではできないのだ。なんだか初めて一歩前進した気がした。帰宅時間を遅らせて待っていた甲斐があった!


信じられるだろうか‥‥

今まで便座に座って、う~んと顔をしかめて見せるけどおしっこなんて一滴も出せなかったJackが、週末明けから学校でトイレに促すと、トイレに向かって立ったままおしっこをしたのだ。

私は嬉しくて嬉しくて、Jackとハイタッチをした。

気持ちは、大きなJackを抱き上げたいくらいだった!

それからのJackは、自分からトイレには行かないが、こちらの誘導の間隔が適切であれば、ちゃんとトイレでおしっこができるようになったのだ。

Jackは意思表示は得意ではない。そんなJackが、トイレを大成功させた後に、トイレの壁に片手で寄りかかり、同じ側の足のつま先を立てる「どんなモンだい?」ポーズをしたのだ。

あの時のJackの誇らしい顔を私は知っている‥‥


あの学期が終わり長い夏休みに入ったのを最後に、私はJackと1対1の担当を離れ別のクラスに配属された。

後日談はなんともせつない。

数か月後、Jackが風邪で具合が悪かったことがあり、それからまたオムツに戻った、と次に1対1の担当になった若い女性が、言いづらそうに教えてくれた。


親御さんのやり方を尊重しなければならない

学校には教育するという本分がある

アシスタントは勝手なケアプランを立てるべきではない

‥‥様々な立場や意見があるだろうし、正しいも間違いもないという気がする。

Jackが9歳の少年としてオムツフリーにしてあげたいと私が思ったこと、担当が終わるまでに実現できたことは、功績でもなんでもないことだった。

なら何だったのか、と言えば、

きっと私たちふたりだけが分かち合った誇らしい気分


今でもJackを思い出すと、あの時の彼のポーズに、私の胸はキュンとなるのだ。



(尚、冒頭のパンダ画像は私たちがまったりしていた時のイメージ画です。iwa_tさんありがとうございます)



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