#115 歳をとることは目線の位置が高くなることのように思う話
古いビデオの中の、長い間忘れていたような顔に視線が釘付けになる。その表情が動くたびに山口智子と宮沢りえが見え隠れしている。
それは28歳の私。
それは盛り過ぎだろ‥‥と言われそうだが、職場でよく「宮沢りえちゃん」と呼ばれた理由が今ならちょっとだけわかる。山口智子さんがドラマで人気が出たのはこの後のことだが、彼女にも似ているらしかった。今は見る影もないので笑ってほしい。
ビデオの中の私は艷やかな振り袖を着ている。
それは、東京から田舎に帰って成人式に出席しようと思わなかった私が20歳で着ていない、28にして初めての振り袖だった。
私の隣には、来日から10ヶ月目のイギリス人の夫が座っている。彼もまた28歳である。
数日前に鎌倉の教会で結婚式を挙げた私たちは、その日530km離れた実家に居た。
親戚一同にお披露目をする宴の主役となるために・・・
お世辞にもきれいと言えない12畳の仏間、12畳の居間、10畳の祖母の部屋、10畳の父母の部屋を開け放った、間に合わせの宴の席に仕出し屋の料理が並んでいる。
あれから30年近い年月が経ったのだ。すでにこの世にいない顔もたくさん並んでいることに、深い感慨を覚える。
宴は父の挨拶から始まった。
いつ聞いても、まさに「立て板に水」状態の父のスピーチ。
それを聞く私のなんとも白けた表情がビデオに映し出される。
あの頃私は父が嫌だった。一対一だと相手の目も見て話せないのに、対大勢では水を得た魚のようになる父が‥‥
続いて夫が英語で挨拶をする。
皆がわからないのにわかろうとして聞き入る。
通訳をする私のなんともバツの悪そうな顔。かしこまればいいのかふざけていいのかわからないといった様子なのだ。
そんなふうに始まった披露宴も、皆のアルコールの量に比例して、和やかで笑い声も大きくなっていく‥‥
この田舎町で育った娘(私)は、25から26歳になる「結婚適齢期」に英国に一年間留学した。
母にとってはそれ自体が恥ずかしくて、誰にも内緒にしてあった。そんな時代であり、また北陸特有の地域性でもあったかもしれない。
イギリス人と恋愛をしたことを最初は一時のことと思ったことだろう。
だが結婚となればもう隠すことではない。
私たちが友人達だけで結婚式を挙げると知った後、両親がこの場を設けてくれたのは、「若く至らないふたりを親戚内でも認めてもらえるように‥‥」との想いだったのだろう。
その親の愛に今さらながら胸が熱くなる。
厚顔無恥、
若気の至り、
傍若無人‥‥
知っている限りの「恥ずかしい」の言葉の矢が自分から放たれ、自分に刺さる。
あの年齢の倍になった今の私は、その自分を痛くて観ていられない。
なぜなら、ビデオの中の私はどっかりと自分の席に座ったまま、次々と運ばれる押し寿司などを喜んでいただき、自分の8ミリのビデオを回してはしゃいでいるのだ。
『おいおい、まずは年長の方のところへ行くんやろ‥‥
ひとりひとりの前にひざまづいてご挨拶と本日のお礼を言って回らんと‥‥
夫になった人を伴うのは日本人の私の義務なんやないの‥‥』心の中でさけぶ。
父の生い立ちを知れば、その人間としてのバランスの悪さもわかってあげられるようになった。
父がしてくれた挨拶だって、今聴けば「父親が嫁ぐ娘を想う感情」に気づくことができる。
年をとるということは、目線の位置が少しずつ高くなる事なのかもしれない。
経験が増えたことで賢くなったわけではない。
ましてや(高くなると言っても)神の目線に近づくなどという意味では毛頭ない。
良くも悪くも、以前よりも多くを見渡せてしまう位置にいるような気がする。
ビデオには披露宴の前後にも、地域の人たち、私と家族の知人友人たちとのやり取りが収録されていた。
夫が一生懸命知る限りの日本語で何かを言う。
それがピッタリ的を得ている時、さらにユーモアとしても通用した時、聞く方々は、手を叩いて、転げ回って笑ってくださる。
夫の言葉を引用して「〜〜〜ですって〜!」と感心して、大げさに喜んでくださる。
そして多くの場面で、お決まりのように夫が「ハイ、ガンバリマス!」と言って終わるのだ。
どんなに疲れたことだろう。
私がビデオを再生している部屋に入ってきた夫は、また違った意味で「観ていられない」と言って出て行ってしまった。
夫が恥ずかしいと感じる気持ちがわからないはずはない。私だって自分の下手な英語や発音を改めて見せられたなら、居たたまれないからだ。
だけど私は、あの頃あれだけ奮闘してくれた夫にも感謝しかない。
生きることは「恥をさらしているような」ものだ、と思う。
悲観的に言っているのではない。
それでいいのじゃないか‥‥
それだから他者にも寛容になれるのかもしれない。
奇しくも私の娘も28歳。
フランスから2年ぶりに帰省することが叶い、クリスマスを家族で過ごすことができた。
娘が居る間に、28歳の自分自身はああだったのだと気づけたことに、なんだか泣き笑いしながら感謝したくなる。
実は娘に対して『大人としてこういうことには気づいてほしい‥‥』なんてことが多々あり、ちょっと悶々としていたのだ。
自分を省みたら、帰省している娘にそのような「余計なこと」を言える立場か!としっかり自覚した。
今の娘の目線の位置を尊重しようと思う。
恥をかくならかけばいい。
自分は自分しか生きられないのだから‥‥
2021年の終わりに、恥ずかしくてそしてスッキリした、そんな話でありました。
みなさま、よいお年をお迎えください。
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