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#181 私だけかもしれないレア体験 ~四国の真ん中でなにかに憑かれた話~


『憑き物が落ちる』という表現がある。
「なんだか憑き物が落ちたみたいに(良い状態に)なった」という使い方であり、私もそんな表現をしたことはある。
そもそも憑き物は憑いたり落ちたりするものなのか…?



これは2022年の8月、夫とともに訪れた四国の秘境で、私の身に起きた出来事‥‥


朝、7時ちょっと前に仮住まいの家を出て、水がとりわけ美しいという高知県の瀬戸川を目指す。猛暑なので、少しでも朝の早い時間のほうが行動しやすいことを学んでいる。

運転を交替したり、トイレ休憩や缶コーヒーを飲んだりし、瀬戸川渓谷を目指す。

2時間ほどの運転の後、展望台のあるという、目指す場所に到着。駐車場として整備されているにもかかわらず、一台も車が駐まっていなかったのは、今考えても不思議な気がしている。
その時は『独り占め、ラッキー』としか思わなかったのだけど‥‥

現在地と道を挟んだ駐車場に車を駐める

遊歩道に沿って川をずっと探索したいけれど、まずは滝を目指すことに。

土佐名水百選 アメガエリの滝


急な階段をどんどん下りていく。


そして、眼前に広がったのはこの光景。

息をのむほど美しい

ひとっこ一人いないこの場所に、世界の反対側からやってきた自分達ふたりだけが立っていることがにわかに信じられない心地だった。

水は期待以上に澄み切っている。徳島の吉野川も綺麗だったが、透明度はこの水の比ではない。
水着を身に着けていたのだが、服を脱ぐのももどかしいくらいで川に飛び込み、泳ぎ始める。というか、はしゃいでいた。大の大人、いや中高年のふたりが‥‥



真夏の気温だ。流れ続ける水に体を沈めること、それ以上の気持ちよさはない。
川でパシャパシャと遊んだり和んだりするうち、ブヨのような刺されたらヤバそうな虫がまとわりついてきた。それを避けようとして、頭ごと水の中に入るということを何度かしていた。懸命に避けるうち、いよいよ虫がいなくなったのだが、その後からはあまりよく憶えていない。

そのまま水から上がることにしたらしい。今から思うと、あれだけ最高の場所にもっと居なかったことが本当に惜しまれてならない‥‥

夫が言うには、私はタオルにくるまったまま、黙り込んでじーっとしていたらしい。
側に行くと震えていたという。
夫に声を掛けられると、宙を彷徨うような目で「私、どうしてここにいるのかわからない」などど口走ったという。
自分の置かれた状況に戸惑って、何度も何度もどういう経緯でふたりがそこにいるのか夫に訊いたそうだ。

これも後で聞いた話だが、
濡れた水着から乾いた服に着替えたのは、夫に介助されてのことだったらしい。自分は着替えの様子を思い出すことができない。
後で、タオルで隠してくれたのか気になったが、そもそも誰もいないのだ。

私が憶えているのは、川の真ん中の岩の上で、夫が必死で説明する私たちの『ライフストーリー』を聞いていたこと。
うん、わかってるよ、私たちがイギリスに住んでて、子どもが3人いるなんてこと。この夏、移住を考えててふたりで日本を見て回ってる、ってことも‥‥

私からは精気のようなものが抜けていたというが、なぜか足元の悪い急な階段も自力で登って車まで戻ったという。
そこで自分がなにをしていたのかを忘れていても、夫とはすべて英語で話していた。ということは私から何かをごっそり盗られたようでもないのだ。

車に戻って、相談するまでもなく帰路に着いた。


私は、何か川に住むいきものの霊に憑かれたという気がしていた。なんと言ってもそこは天狗が出ても河童が居ても納得できてしまう佇まいなのだから。

あのような秘境と呼ぶにふさわしい場所で、私たちは手を合わせるでもなく、ご挨拶するでもなく、はしゃいだ‥‥
だからではないだろうか。
土着の神聖なもの、超自然な秩序のなかに自分たちが無遠慮に立ち入ったのがいけなかったのじゃないだろうか‥‥
なんとなく、自業自得かもしれないと感じた。


自分でなにかを考えようとしても、自分が徳島県にいること以上のことは、思い出そうとしても思い至らなかった。カーナビで夫から言われて設定した、三好市の「みよし」という単語すら意味をなさず、思考を組み立てられない時が続いた。

途中、朝まだ開いていなかった道の駅土佐さめうらに寄ったことを憶えている。
家に帰って買ったものの袋を開けて「これ誰が買ったの?」と夫に訊く。およそ夫の買いそうでないものが出てきたからだ。すべて私が選んで自分でお金を払ったのだと、夫から言われ驚いた。
正気に戻ったつもりだったが、憑依がまだあったということなのだろうか‥‥

早速塩で自分を清め、シャワーを浴びた。


不思議な体験だったな、と思う。
誰にも助けを求められない山の中で、自分たちが何のために日本にいるのか、家族の名前や状況を、必死で説明していた夫はどんな心地だったことだろう‥‥
今でも、「あんなに不安な経験はなかったよ」と夫は言う。
もし私があのままで要領を得ず、私を頼ることができなくなったら、自分はその先日本でどうすればいいのか‥‥と。
この出来事がちょっとトラウマになるくらい、日本で自立していない夫自身の立場が堪えたようだ。

夜になっても気怠く、出かけたくなかった。
『買い物もせず、家でマルちゃんの生インスタントラーメン味噌味を食べた‥‥』と日記に残っている。ぐっと現実感がある。


実はその夜、どういうタイミングか、幼馴染の友人KとLINEで話すことがあり、何気に朝の話をしてみた。

そうしたら、そういうものが『見える』系のKが、「見てあげるわ」と言って、一時間後にまた連絡をくれた。
Kの霊視によると、それは生霊いきりょうのようだ、と。
なに?コワいんですけど‥‥

なんでもその場に居ない人の残存の『念』が私の波長に合致して滑り込んだのだとか。そして途中で『これ違う』とわかって離れた、と言われた。
残存念になるくらいその場所が気にいっている人がいるということなのか‥‥


後になって水のそばには霊が多いとか、滝つぼには修行などで命を落とした人の霊が多いなんてことを聞いた。本当のことは私にはわからないし、今となってはどちらでも構わないのだ。
わかっていることは、ああいうことが私の身に起きたということ。

けれど恐ろしいから行かない方がいいなんて思っていない。
なにかに憑かれても化かされてもおかしくないほどに、そこは美しく澄んだ特別な場所だったのだから。
四国の山の美しさには朝晩魅了されていた私だが、この日、四国の底力を見たという気がしている。


日本の秘境にはまだまだとんでもなく畏れ多いなにかが宿っている。

思い返してもなお、
私は日本の土着の神と、受け継いできた人の土地への愛に対し、畏敬の念に満たされている。



あの日のスマホに残っていたビデオです。



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