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#132 ひとり暮らしをしたあの部屋にまつわる思い出


若いころ、看護師という職業柄か学生時代そして社会人になっても、寮というありがたいものがあった。
私の一人暮らしは社会人一年目、ぎりぎり敷金礼金が貯まった時に迷わず始まった。
もちろん、寮という選択があったことを『ありがたいことだった』と感じたのはもっと大人になってからのことだ。あの頃は早く寮を飛び出したい思いしかなかった。

そう、あの全員が同じ玄関を通る、門限のある場所。
外泊する時は赤いふだを掛けて出る。
気が変わったら、門限までに必ず電話を入れて誰かにふだを掛け直すお願いをしなければならなかった。
今の時代なら、スマホでキーを押すだけで済むことだろう。

昔はいろんな面で社会通念なんかを考えさせられる場面が多かった気がする。そこに誰かの手を煩わせたり、生身の相手は自分をどう思うかを嫌でも考慮しなければならなかったからだ。

それはそれでとても大切なことだったんだ。

あの頃それが窮屈だったのは、自立=自由だと思っていたから‥‥


ワンルームマンション!?


念願の独り暮らしは、地下鉄一本で職場のあるお茶の水に行ける場所に決めた。

それはほぼ新築の建物だった。一階はコンビニ、二階は居酒屋チェーン店で、私の住まいはその上の三階だった。
間取りは入り口にすぐキッチン部分のある、ユニットバス・トイレと押し入れ付きの一部屋。
洗濯機はベランダに置き、洗濯物を干した。
『女の独り暮らしは物騒だから、男物の下着を干しなさい』と何かで読んだ私は、彼のパンツも洗ってあげた。
そんなことも、自分が嬉しくてしていただけだ、どこからも見えていないと思う。

カタカナだけど英語っぽくなく、ドイツ語なのか?と思う聞き馴染みのない名前の物件。
この○○○リッヒ△△(町の名前)という名前は検索すると今も変わらずあった。居酒屋もコンビニも何ら変わっていないのに驚いた。

なんなら、ネットで見る限り家賃も35年前と変わっていない。新卒の自分にとっては高額だったと思う。

ワンルームマンションと書くことにものすごく躊躇する。
海外に住んで、『マンション』と呼べるものはとんでもない豪邸だけだと知ってしまったからだ。


角部屋どうし


私が引っ越して間もなく、私の部屋の反対側の角にあたる部屋に独身男性が「越してきました」と、タオルだったか何かを持って挨拶に来られた。
後にも先にも、こうしてご挨拶を受けたのは私の人生で一度きりのことだ。

角部屋以外はみな横並びなので、私の部屋のドアの覗き穴からはその男性の部屋のドアが向かい合うことになる。
相手はおそらく気にも留めていなかったと思うが、あの頃は、『あれ、いつもの男と違う?』とか、自分の素行がバレバレなんじゃないか、と自意識過剰になったりした。(実際華やかでもなんでもない)

今、懺悔しておきたいことがある。
この男性が最初に持って来てくれた名刺を『使ってしまった』ことを‥‥

私は後に英会話スクールの営業をした時期があった。一度スクールに来てもらい、どんなシステムで上達できるのかプレゼンをする。そのアポをとるのも自分だ。
その際に彼の名刺にあった職場の番号に電話を掛けた。なにげにありそな「渡辺」と名乗り、彼の仕事中にお邪魔な電話で呼び出し、
「英会話にご興味ありませんか?」と明るく訊いた。

‥‥もう殴ってやりたい‥‥

あの時の○○さん、そして名前を悪用された全国の渡辺さん、申し訳ありませんでした。


淡い片思い


基本、一人の人と長~くお付き合いする性質たちだ。

だがこの時期はこころが揺れていた。
夢中になったり、もう絶望的だと悲観したり忙しかった。

ある日、街のブティックで男性から声を掛けられた。新宿か池袋、もうどこだったかも憶えていない。

その人は、あるアパレルメーカー勤務で、会社のために女性のフォーマルウェアの市場調査で街にいた。
自分のイメージに合う洋服を数点買って帰りたいのだが、男一人だと怪しく見える。試着して買うまでを付き合ってもらえないか、ということだった。

たまたま何の用事もなく、断る理由もなかった。
誠実そうで素敵な人だったし、数着試着したのも楽しかった。

後日お礼にと、ドライブと渋谷のどこかで彼絶賛のカルボナーラをご馳走してもらった。
そして新デザインの開発が済んだ際、あの日私が試着したワンピースとジャケットのセットを「似合ってたから」と届けてくれた。

それがあの物件の居酒屋だったのだ。軽く食事した後にコーヒーくらい飲んでもらおうと部屋に招いた。
ああ、きゅんとしたのはその時だ。
部屋にあったキーボードでさらりと弾いてくれた素敵な曲、あの横顔と長い指に、私は恋をするところだった‥‥

なのになんにも起きなかった。
ソソノカシテクレタラ、イクラデモソノキニナッタ私を大人の彼が利用することはなかった。(チッなのか、ホッなのかわからん‥‥)
私は成就しない相手とはいつも何ひとつ始まらずに終わる。相手がいつも誠実すぎるのだ。何かに守られているとしか思えない‥‥


誘惑


仕事は頑張っていたので、いつも腰痛に悩まされていた。
カイロプラクティックにも定期的に通った。

今にして思えば、マッサージで気持ちよくなって眠ってしまう、無防備極まりない奴だった。
私のカイロプラクティックの先生は本当に上手だと思っていたけれど、誰でも信頼してしまう私はすきだらけだったのかもしれない。

その先生から美味しいカウンターのお寿司屋さんに連れて行ってもらった。僕の夕飯に付き合って、くらいのノリだったはずだ。ところが、それを境に家に「今なにしてるの?」といった電話がかかるようになった。
その頃、先生の奥さんは出産前だった。

きもちが悪くなったので私は治療に行くのをやめた。
せっかく腕はよかったから残念だったけれど。

「誘惑」されたのか?いや、私は一度も迷っていないぞ。先生のほうが私に誘惑されかけていたのかもしれない。自覚なんてないけれど‥‥なんてこっちゃ。


新築建材の罪


この部屋には2年ほど住んだだろうか。

住んでいる時には自覚のなかったことだが、私は大人になってから埃やカビにくしゃみ・鼻水が止まらなくなるアレルギー体質になった。

このような症状が出始めたのはあの部屋に住んだことと関係があるとしか思えない。シックハウス症候群と断定できる症状がその時あったわけではないが、新築時に使われた建材やあるいは換気システムなどに原因があったという気がしている。

建材に関しては国は規制を見直したはずなので、最近ではこんなことはないと思う。
35年も前の話である。自由を求めた若者には無知なことがたくさんあった、ということだ。


最後に


若い頃は、いっぱしの社会人だと胸を張り、自分で稼いでいるお金を何に使ってもいいだろうと思うものだ。

だけど自立=自由では決してなかった。
自由とは、選択に責任がつきまとうものだと知った。
その責任がとれてこその自立なのだと。

危なっかしいあの時代に、なぜか守っていただいた大きな力に畏敬の念しかない。
私を信頼してくれていた親には言えない話もたくさんある。そりゃあ安全で監視の届く場所というものはあるだろうが、自立したい人間にそれは酷でしかない。


親になった自分が思う。
「若い時にはひとり暮らしは絶対にやってみるものだよ」



この企画に参加させていただいてます。

あの頃の思い出を辿る話になってしまいました。こんなことでも書いてみるきっかけをくださったメディアパルさん、ありがとうございました。



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