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#39 私がぶち壊したサラダスピナー


夫の前で一度だけ、破壊的な姿を見せたことがある。

今でも私の機嫌が悪くなると、子どもたちが『サラダスピナーを隠せ』とか、逆に、『サラダスピナー必要やで!』とソワソワする・・・・ これは我が家の人間だけが知っている暗号なのだ。


ある日私は夫の発した一言にブチ切れた。

ちょうど台所の流し台の前にいた私は、目の前にあったサラダの水を切るスピナーを、シンクのステンレスの上に渾身の力で叩きつけた。

プラスチックが壊れて四方に飛び散るまで、これでもか、これでもかと、叩き続けた。


『とんでもないことをオッパジメテしまった‥‥』

妙に冷静にわたしを傍観していたのも自分だった。


サラダスピナーが砕け散ったところで、床にうつ伏して声をあげて泣くしかなかった。
一度感情をむき出したら、出し切るまでだ。

ただ悲しくて悔しくて泣き続けた。

夫はうろたえていた、と思う。
僕が悪かったと言って私を抱き起そうとしたか、立ちつくしていたかも憶えていない。


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私はその頃、イギリスで子育てをしながら、リフレクソロジストとして家で施術するという自営業をしていた。
インディアンヘッド (フェイス) マッサージ、そしてスポーツマッサージの資格をひとつひとつ取り、提供できる施術を増やして頑張っていた。

我が家のフロントドアを入ってすぐ左の、もともと書斎だった部屋をセラピールームとして使った。クライアントはといえば、家事と勉強の合間にポツポツとやって来るので、大慌てで玄関からセラピールームまでに目に見える場所を片づけて待つ。

トイレも気が抜けない場所だ。いざという時に使ってもらわなければならない。

私はただでさえ整理整頓が好きじゃないのに、子ども三人いる日常の気配を一瞬で『なかったこと』にして涼しい顔をしなければならない。

クライアントはリラクゼーションを求めていらっしゃるのだ。生活感のない雰囲気を醸し出すために、私の気だけが張り詰めていた。

寝たきりの方や日常動作に支障のあるクライアントには、週に一度車で出張もした。

インターネットも携帯電話も今ほど普及しておらず、問い合わせはほとんど家の電話にかけられた。たまに「どんなマッサージが受けられるか」という男性からの無知な質問が入った。『ようそんなこと訊くわ』と呆れるような‥‥
自分は毅然として答えることを心がけたが、時にはその声がまとわりつくような気持ち悪さが残った。


おこがましいかもしれないが‥‥ 自分では、人を癒すボディワークのセンスはあるかも、という手ごたえを感じていた。

リフレクソロジーのセッション中は、熟睡されるクライアントも多い。会話がないと、無心になって手だけが勝手に動く。そうすると、私の脳もトランス状態に入ってるような気がしたこともよくあった。
セッションが終わって、クライアントが目覚めると、私もとても心地よく最高にリラックスした後のようになれたものだ。


独身時代、私は東京で看護師をしていた。腰を痛めたので辞めた後、イギリス留学で出会った夫と日本で結婚した。

後に地元に戻ることになったので、夫の休みの日の夜中に娘を預けて、夜勤のアルバイトをさせてもらった。日本の看護師免許は、そんな『つぶしの利く』ものだったが、イギリスに来た途端『使えないもの』になった。

当時日本のものからイギリスの資格に書き換えるためには、6か月間の研修と、イギリス人でも受かるのが大変なレベルの英語の試験に受かり、その上に何千ポンドというお金がかかると知った。
当時は何の試験だったか憶えていないが、ちなみに現在はIELTS7.0以上という基準である。恐るべき英語力が必要になる。


IELTS7.0はTOEICに換算するとほぼ満点に近いスコア。
また英検に換算すると、英検1級に余裕で受かるレベルだと言われる。
このことから、IELTS7.0とはかなり高めの難易度で、取得には高い英語力が必要であると言える。

ところが、実際に病院で働くフィリピン人の看護師さん達の英語を耳にすると、失礼ながら『この英語力で働いてる人がいながら、なぜあの試験を要求する!?』となる。何か、国同士の約束事が違うのだと理解した。

正確に言えば、私がイギリスに来てから時とともに、この資格書き換え要項は二転三転した。

看護師として病院で働くということは、絶対的不可能ではなかったはずだ。つまるところ、私には試験に受かる自信もイギリスで看護業務をこなす自信もなかったのだ。

「何としてでもやってやる」を選ばなかったのだから、外国の免許で資格業種にそのまま就けない事実を恨めしがっても仕方ない。ただ厄介なのは、青春をかけて取った資格が無効になったことに心が納得できていなかったことだ。

そんなひとつの『アイデンティティを失った』後に、頑張って取得したセラピーの資格は、私にとって自分を支える誇りのようなものだったと思う。

今だから、話してくれるのだが、夫は夫で、家で独りでクライアントを受け入れる私のことを心配して見守っていたらしい。クライアントの中にはたくましい男性もスポーツマッサージを受けにきていた。

夫なりに、できるだけ自分の Size 12 (31cm) の靴を玄関の目につくところに置いていたと明かす。夫は細身だが、靴のサイズを見て「この家には大男がいる」と思わせたかったらしい‥‥

そして、いくら心配でも、私が一生懸命取り組んでいる仕事に、水を差すようなことはとても言えなかった、今ごろ教えてくれた。


ある時、夜中の二時というような時間帯に家に電話がかかり、夫が出ると切れたり、私が出ると「マッサージを受けたい」という男性の声。
こういうことが二、三回あったと思う。

そんなことで、とても自尊心が傷ついていた頃だった。


あの日も昼間に、家に男性の声でマッサージの問い合わせの電話がかかって来た。どんな内容だったかは憶えていないが、”Sorry! Ask someone else!” (悪いけど他を当たって!) と断ったことは憶えている。


夫が私に何かを言ったのはそのすぐ後だったのだ。
私のなかでどうしようもない焦燥感と怒りがぐるぐるしている時だった。間の悪いことに、普段ならちょっとカチンときて終わることを、彼が言ってしまう。

その一瞬でわたしのなかの何かが弾けたのだ。

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私はサラダスピナーを叩きつけた・・・・

 
家族は私を気が済むまで泣かせてくれた。延々と泣いた後、まるで憑き物が落ちたような自分がいた。

そのまま私はセラピーの仕事を辞めた。

あんなに好きだったのに・・・
いともあっさりと。

辞めると決めたら未練を残さず、ピタッとやらないことにした。
ありがたいことに、とても惜しんでくださる人も居たが、友人たちからのたってのリクエストにさえも、もう応えることができなかった。

あれから十年になるだろうか・・・・
あの時の葛藤と、一旦は封印した苦さを、今ふり返っている。


自分が施術を受ければわかることだが、マッサージとは他者によって100%自分に注目してもらい、その手で癒してもらうことだ。だからこそ普段省みることのなかった自分の体の状態を意識でき、多くの気づきが生まれる。

マッサージセラピーはそんな時間と空間を提供する仕事であった。なのに他者から歪められ、もっと言えば自分が汚されてしまったように感じたのだ。

実際私は、性被害に遭ったわけでもない。ごく少数の他人から誤解されただけであり、応えられない依頼があっただけのことだ。
それなのに、あの時は「女である事」も、「アジア人である事」も、「マッサージを仕事にしている事」も全てが誤解の対象になっているように思えてしまった。

今ならわかる。性的なマッサージを期待した人間の私への電話は、相手側の問題であり、私の問題ではなかった、と。

その境界線が引けずに、物を叩き壊すくらい精神的に追い込まれたのだ。「プロフェッショナルとして人の役に立ちたかった」私の意志はなんと脆く、儚かったことか。

自分に信念と自信があれば、そんなものに動じる必要はなかったのに、私はまだそんな人間になれていなかった。 

今だから、無駄な潔癖さ、無駄なプライドだったと自分を笑える余裕もやっとできたような気がする。

ひとつの職業を捨てる時もまた、アイデンティティの危機であった。でもそのリセットのおかげで、また違う仕事との出会いもあった。

あれから買い替えられて、違う色になったサラダスピナーを使うたびに、職場の同僚が言った言葉を思い出して可笑しさが込み上げる。

「ミズ~よくやったわね!今度からは箱買いよ、箱買い!必要な時にいつでも叩き壊せるように常備しておくのよ!」

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幸いな事に、我が家のサラダスピナーは無傷で今日もレタスの水を切ってくれている。



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