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【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#84

18 秩禄公債(1)

 内議で決していた事業のうちまず取り掛かろうとしたのは、華士族に対する俸禄の処分についてだった。華族と士族に藩政下で支給されていた俸禄を新政府について賄いきれるものではないため、削減をした上で禄券という証券にして配るというもの。士族の俸禄の削減は藩政下でも行われていて、他に生活の糧を持たないものについては農業をできるようにしたり、生業を得るための助産をするという保護策も設けることにしていた。
「禄券を発行するとして、どの程度投資に回るものでしょうか」
「そもそも士族のほとんどに関しては、商売をするようなことは考えても見なかったでしょう」
「使われることよりも買い取ることを考えた方が良い様じゃな」
「買取の査定を入れるべきだと考えます」
「そうは言われても余裕どころか無い袖は振れぬ」
「いっそのこと他の事業分も含めて外債を募ってはいかがでしょうか」
「外債か。問題の先送りにしかならないのでは」
「そうは言っても、見かけ上でも使える額が増えるのは今の状態では必要なことだと思います」
「たしかにそうじゃな。この公債の件吉田少輔を責任者として調査を進めてくれ」
会議室を出て執務室に戻った馨を追いかけるように渋沢が入ってきた。
「井上さん、江藤さんを司法卿に推挙したというのは本当ですか」
「本当じゃ。福岡やらが佐々木さんらのやり方は因循だと申すのでな」
「はぁ、わかりました」
「どうかしたのか、渋沢」
「申し訳ありませんが、井上さんはどの程度御存知なのですか」
「わしが、江藤を。先程の制度取り調べの会議で顔を合わせたのが初めてかもしれん」
「その程度で、推挙されたのですね」
「何かいかんかったかの」
「私もそれほど存じ上げているわけでは無いですが、司法省や左院の知り合いから聞きますと、井上さんとは全く異質な方のようです。それどころか薩摩・長州の官員に敵愾心をお持ちのようで」
渋沢はそこまで一気に言うと溜息をついた。
「はぁ、一度私にご相談いただいてもよろしかったのでは。いえ、この様な事は、ご相談いただきたいものです」
「長州の官員とは言っても、わしは首領でもなし、次官じゃ。それほど気に揉むことではなかろう」
「それならばよろしいのですが」
「それにしても、おぬしも伊藤のようじゃ」
「それだけ、井上さんが、危なっかしいのでは、無いでしょうか」
渋沢は一句づつ言い含めるように言った。
「わかった、わかった。もうよい」
「深刻なことといえば、台湾での琉球民の殺害事件です。これを機に清を攻めようという、意見もあるとか」
「それはまず、琉球の所属から明らかにせねばなるまい。北のロシアとの樺太·千島と同じく、琉球が日本国の領土でなければ成り立たぬ」
「なるほど」
「台湾や清への派兵は何としても止めねば。そんな金はどこにもないことを解らせるんじゃ」
「我らにとってこれほど、由々しき問題はありません」
「吉田の方は進んどるのか」
「まだ私の方には、今日も横浜のオリエンタルバンクに、相場の確認に行っているようです。報告も直にあがると思われます」
「予算の定額についてだが、これは各省を集めて話をせにゃならんの」
「このあたりは幹部会の席でも」
「そうじゃな。長々すまんかった」
「江藤さんに関しては洋行の話もあるそうですから」
そう言って渋沢が出ていった。
 はっきり言って馨は江藤を知らなかった。現在大輔で洋行中の佐々木高行は知っているので、因循だと言われればそうだと思ったまでのことだった。

一日の業務が終わり、今日はそのまま家に帰ることにした。
「おかえりなさいませ」
武子が迎えていた。
「今日はお待ちのお客様が」
「誰じゃ」
「岡田平蔵様です」
「わかった。もう少し待たせとけ。まず飯じゃ」
たまに早く帰ったら、来客では早く帰った意味がないと思いながら夕食を取った。酒は軽く飲んだだけで済まして、岡田を待たせている部屋に行った。
「すまんかった。かなり待ったか」
馨は岡田に声をかけた。対面して座ると続けて言った。
「どうじゃ、造幣寮の方は。金属の納入や分析は順調か」
「はい、私の方は順調でございます。久々に東京にまいりましたのでご挨拶と罷り越しました」
「そうか、それはよかったの。大阪には近々造幣寮の検査に行かにゃあいけんと思うちょる」
「それは重要な御役目ですな」
「大阪といえば、おぬし、良い人物を知らんか」
「どのようなお方でございますか」
「英語が堪能で、度胸もあり、頭の切れる男じゃ」
「それは、なかなかの大人物でございますな」
「とりあえず気に留めておいてくれんか」
「わかりました。それではこのへんで失礼いたします」
「そうか」
 岡田は顔を見に来ただけのようで、帰っていった。同じ長州の出の商人で、大阪にいる時に紹介されて以来、こうして話をするようになったのだった。英語の堪能なものを探しているのは、造幣寮でキンドルに対抗できる人物が欲しいとずっと考えているからでもあった。

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